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セフレの中のひとりでいい

 潮時ってこういうのをいうんだろうな、とひとりで麦酒を呷りながら思った。  学生の時みたいに、一緒に街へ遊びに出ることもない。いつならここに帰ってくるのかも判らない俺。その俺に抱かれるためにだけ、帰宅を見計らってやってくる豪。  確かに、俺は豪を欲している。できれば全部欲しい。だけど豪が欲しているのは、俺という存在じゃない。今日それを痛いほどに思い知った。  基本的に、女としかヤらない。大抵の男はそうだ。それなのに、俺だって人前でしたことがないのに、俺の知らない奴と路上でいちゃついている。そこに恋愛感情がなくても、触れられることに嫌悪が湧かないくらいに親しい男なんだって判る。  そりゃそうだよな。便秘解消ったって、何ヶ月も我慢出来るわけがない。俺が留守の間に相手をしてくれる奴がいない方がおかしい。  乾いた笑いが漏れた。  心のどこかで、本当は解っていた。ただ、認めたくなかっただけなんだ。夢を見ていたくて。  豪が男の中で許しているのは俺だけ。幼なじみで親友で、だから体だって、同性だけど預けられる。恥ずかしいことも打ち明けてくれるんだって。  違うんだ。豪にとっての俺は、ほかのどのタイミングで出会った友達と変わらない。男の中で一人だけの特別なんかじゃない。  そんな、他の奴らから見たら明らかで当たり前のことを、ずっと認めたくなかった。  だけどもう、認めるしかない。何よりも確実な、俺自身が目にしてしまったんだから。  夜明けに眠りにつき、夕方に目覚めて洗濯物を干してから、車で海に向かった。  俺たちのいる市内は、県庁所在地だけど海には面していない。一時間以上掛けて海岸にたどり着き、海開き前の砂浜へと降りた。  来週中にはロープを張られてしまう海の上では、ウィンドサーフィンや水上スキーを楽しむ連中で賑わっている。遊泳区間になってしまったら、もっと沖じゃないと出来ないから、精一杯楽しんでいるんだろう。  沈んでいく太陽に照らされて、海面は切なく紅潮している。揺れている影が、俺の心の波と同調して、凪いでいく。  学生の頃、豪の友達と一緒にこの海でサーフィンをした。ツレの女の子たちはボディーボードをしていて、そんな集まりでは、豪は男連中に混じってはしゃぐ方を優先していた。だから、男の連れも多いんだ。  豪にとっての俺は、あいつらと同じ。だったら、そろそろ俺だって吹っ切らないとやっていられない。  きっと俺がいなくても、あいつの生活に陰りもなければ差し障りもない。大勢の知り合いの中の一人が消える、それだけのこと。  やがて日が落ちて闇が辺りを覆うと、しばらくは車のライトを頼りに波滑りを楽しんでいた連中もいなくなり、辺りは静かになった。防波堤で夜釣りに臨む年輩のひとたち。そこから少し距離をとっているカップル。身を寄せあって、時折静かに言葉を交わしている。そんな風景の中に溶けこんで、俺は朝日が昇るまでそこにいた。  干しっぱなしだった洗濯物を取り込み、シャワーを浴びてからカーテンを閉めて眠る。目が覚めたらもう夕方で、完全に昼夜が逆転していた。今回のは自分でやっていることだけれど、地方にいる間には日付も時間もぐちゃぐちゃになるくらいランダムな時間に働くから、これくらいで体調には差し障りはない。  ようやく空腹を感じて、コンビニで弁当を買って戻ってくると、玄関には豪のスニーカーが並んでいた。 「お帰り」  付けっぱなしで出て行ったエアコンの風が当たる場所で、テレビを眺めていた豪が俺を迎えた。小さなガラステーブルの上には、煙草とプルトップが開いた麦酒の缶。  そういや合い鍵を返してもらってなかったよな、と思い出した。もう今更返せなんて言わない。  黙ってミニキッチンに足を向けて、弁当をレンジにセットしてから手を洗った。  日曜の夜に来るなんて珍しい。ここからだと勤務先には遠いから、日曜には泊まらないのに。  ピーっと鳴り始めたレンジを開けて弁当を出すと、箸を手にしてテーブルに着く。  ああ、泊まりじゃないからか、と苦笑する。金曜にあいつに抱かれたなら、今日は俺のことを必要としていないだろう。  黙々と弁当を食べる俺の斜め隣で、豪は静かにテレビを見ていた。バラエティーに合わせたチャンネルでは、液晶画面の向こうで芸人たちが笑っている。それを眺めて時折口元を綻ばせながら、手元の携帯端末にも視線を落として打ち込んだりしている。  どうせならその相手のところに行けばいいのに、どうしてこいつはここにいるんだ?  以前なら、そこに豪がいるだけで良かった。体を繋げなくても、些細な会話だけで、一緒にテレビゲームをしているだけで、同じ部屋に居てくれるだけで良かった。切なくて寂しくても幸せだった。  同じように切なくて、寂しくて。今はそれが苦しい。  空になった容器をゴミ入れに押し込んで、立ったついでに冷蔵庫から麦茶のペットボトルを出して喉を潤す。それから洗面で歯磨きをして、もう一度ペットボトルを取り出すと、それを持ったまま玄関に向かう。  その時になって、ようやく豪の声が追いかけてきた。 「琉真? 用事があるのか」  背後から近付いてくるのは、声だけじゃない。 「ああ。お前も電車があるうちに帰れよ。車使うから」  用事なんてない。今夜は家で荷物の整理でもして、その後はだらだら過ごすつもりだった。  だけど、豪がいるなら無理だ。酸素不足になりそうなくらい息が詰まる。  一昨日のあいつは誰だ? 俺にするみたいに、自分からあいつの舐めて淫らに腰振ってんのか? その色っぽい喘ぎ声で昇天させて、中にいっぱいくれって強請ってんのか。  そう問いただしたところで、何になる。けろっと「そうだよ」って返されて、だからどうだっていうんだって、訝しげにされるのがオチだ。 「琉真、待てよ」  背後から回ってくる腕が、俺を引き留める。たっぷり時間はあったはずなのに、まだ足先だけしかスニーカーに入れていない自分のトロさが恨めしい。  豪の手がゆっくりと腹を撫でて、麻のパンツの上から股間をまさぐる。びくんと体が震えた。 「それって、俺とセックスするより大事なこと?」  ぐんと膨張する股間は、豪の言葉を否定している。もっと構ってくれとせがんでいる。理性だけじゃ、ささやかな反抗心も保てやしない。心が悲鳴を上げていても、欲に忠実な体が反応してしまう。  ああ、もういいや――たとえ、豪にとっては便秘解消の性欲込みのセフレでも。大勢の中の一人でも。  今日だけ、もう一度だけ。何度も繰り返してきた決心を打ち壊されて今まで続いてきた。  今度こそ、最後にする。決心を固めた。

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