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新しい現場、新しい仲間たち

 近くの風除口から外に出て、建物沿いにぐるりと回りながら、携帯電話で控え室を呼び出す。  社名を言ってから名乗ったのは、男の声だ。 「お疲れさまです。安原です」  名乗ると、束の間惑う空気の後「ああ」と声が弾んだ。 『今度きてくださる』 「はい。実は今駐車場に来ているんだけど、これから控え室に行ってもいいですか」 『あ、はい。お待ちしています』  やり取りの後ほどなくして小さな風除口が見えてくる。客用の十分の一にも満たない自動ドアは全面強化ガラスで、そこをくぐるとすぐに警備員の詰め所だ。 「おはようございます」と挨拶して、外来用の名簿に時刻と名前、来訪先などを記入していると、ガラスの小窓を覗き込むようにして警備員が寄ってきた。覗くまでもなく全面透明ガラスなんだけど、そこは気分なんだろう。  へえ、と言いそうな口元から顔へと視線を上げると、明るめの髪を少し長めに伸ばしたイケメンだった。その向こうでモニターを眺めているスタッフもイケメンだ。別にゲイじゃないんだろうなと自分では思っていても、同性だとしても恋愛対象じゃなくてもやっぱり目の保養なのは間違いない。  イイ職場だなあなんて、のほほんとしていると、 「たぶん初めてですよね。こんにちは」  目の前のイケメンがにこやかに言った。 「はい。もうじき配属になる予定の安原です。よろしくお願いします」  なんだかフレンドリーだなと嬉しくなる。 「小野です。よろしくお願いします。後ろのが木村」  ちょっとだけ振り向いて、奥のひともひっそりと微笑んだ。一瞬しか視線は合わなかったけれど、職務中だから仕方ない。  小野って、さっきのサブマネらしき女性と同じだ。この辺によくある名字なのかな。  今は無駄話で仕事の邪魔をするのもなんだから、また馴染んだ頃に色々話せたらいいななんて思いながら、もう一度会釈して、建物側の自動ドアをくぐった。  配置図で憶えていた控え室の前に立ち、軽くノックする。はい、という男性の声で内側に体を滑り込ませる。奥の事務机から、男性が立ち上がるところだった。 「市村です。こんにちは」 「お疲れさまです。突然すみません」  随分小さなひとだな、というのが初見の感想だった。ほっそりとした体つきに、少しだぶついた作業服。優しく垂れた眼差しはすっきりとした一重で、気の弱そうな印象。それと社内での噂も相まって、ああこのひとだから戻って来られないのかなんて、失礼にも納得してしまう。本当のところなんて、今はまだ訊けやしないけど。 「あ、どうぞ椅子を使ってください」  示されたのは、事務机より手前にある楕円のテーブルの下に押し込まれている折りたたみスツールだった。遠慮なく腰掛ける俺を確認してから、市村もそうっと腰を下ろす。その時に、やけに慎重に机に縋るようにしているなと気になった。顔色はそうでもないけど、体調が優れないんだろうか。  目に入る情報から色々と推測してしまう。 「下見ですか」 「ええ。店内一周してきましたよ」  頷いて、いつも通りにこやかに見えるように表情を作ったまま、市村をしげしげと見つめる。観察していると取られないよう、部屋全体を眺める合間に少しずつ。  山根と同期だから、年齢は同じ筈。けれど身長のせいなのか、若く見える。山根は丸顔で小顔だからかなと思っていたが、市村は醤油顔で面長なのに。若いというか、幼いとも言える。これで夜勤明けの朝なら、髭も少し伸びて余計にアンバランスなんだろうなと思った。  豪も年齢より若く見えるけれど、それは良い意味での若さだ。溌剌として物怖じしない。いつだって自信に溢れていて、自分の選ぶことに惑いはない。後悔しているところも見たことがない。  社内では立場が下の筈の自分にも丁寧な言葉遣い。そして、どこかおどおどとした眼差しが、もどかしい。嫌いなタイプではないけれど、さてどういう付き合い方をしていけばいいのかと思案する。 「どうも同じ年みたいだし、気楽に接してくださいね。大田さん相手みたいに遠慮しないで、仕事もどんどん回して」  え、と僅かに口を開いて、一重の眼を丸くして。それから市村はかあっと頬を染めた。 「え、あの、あ、はい」  熱くなっているだろう頬から顎にせわしなく手のひらを滑らせて、視線が落ち着かないまま、市村は頷いた。  なんだか本当に年下みたいだと笑いそうになったけど、それは失礼だから懸命に笑顔を作ってみる。  その時、事務机の上で、内線用の簡易携帯電話が鳴った。  すみませんと言ってから、素早く市村が応対する。 「フードコートからバックヤードに入ったところ……はい、廃油ですね。判りました、すぐに参ります」  復唱した内容を聞いて、電話機を持ったまま歩きだそうとした市村に先立ちドアを開ける。 「すみません」 「いえ」  やはり動きづらそうな体で進んでいく市村の半歩後ろを付いていき、倉庫の扉を開けて、止められる前に明かりを点けた。 「ルーク使います。市村さんはおが屑を」 「あ、はい。でもあの」  入り口すぐの蛇口にホースを繋ぎ、鍵を差したまま充電中の自走式洗浄機のタンクに水を入れ、スチールラックにざっと目を走らせて専用の洗剤を手に取る。ざっと二十畳はありそうな倉庫の奥へと向かいながら、市村はちらちらとこちらを確認していた。  タンクが満水になる頃には、ビニール袋とおが屑、ダストパンセットなどを台車に積んだ市村が戻ってきた。充電用のプラグを外して本体に繋ぎ直すと、俺はドアを大きく開けた。廊下に人がいないのを確認してから、ルークを前進させる。 「確か、搬入口の奥に業者用のエレベーターがあるんですよね。そのすぐ上ですか」 「ええ。でも、あの、安原くん」  市村が何を言いたいのか判る。 「いいんですよ。猫の手でも借りたいでしょ、今。休みの日だからとか、俺に遠慮しないで」  気を使うなと、軽く聞こえるように言ったつもりだった。それでも市村は、耳を赤くして戸惑っている。  可愛いって言ったら失礼だよな。  だけど我慢できなくて、ルークに向き合ってこっそり口元を緩めながら、通路の奥でエレベーターを呼んだ。

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