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不審者?
泊めてくれと口約束をしたときには、山根は日曜の夜間作業でこの現場を最後にする予定だった。けれど、剥離を前倒ししたことによって夜間作業が不要になり、明日の昼まで店内にいて、午後から俺と交代することになった。午後からはアルバイトの女子大生がメインで、俺は控え室待機で呼び出しの対応と、スタッフへの連絡係だ。
市村は休みにしてもらったけど、かなりしつこく大丈夫かと粘られてしまった。
「そんなに俺って頼りないかな」
心配もいいけど、いい加減腹が立ってきて、少し首を傾げてにっこりと問うと、市村は泣きそうな顔になった。
「や、あの、そうじゃなくてっ。だって初めての現場だし、いきなり日曜はその、」
まあまあと宥めに入ったのは、近くで珈琲を飲んでいた山根だった。
「どこだって同じようなもんだし、任せればいいじゃん。市村困らせたら怖ーい警備員がすっとんで来るから、その辺にしといて」
楕円のテーブルに頬杖を突いてにやにやと俺たちを見て言うから、俺は今度こそ自然に首を傾げてしまった。
対して、市村の方は山根を見て口をぱくぱくさせている。耳が赤い。
「や、山根ぇっ」
「怖ーい警備員? ってもしかして木村さん?」
先日のことを思い出した。にしても、怖くもないし、すっとんでは来ないだろう。そんなに警備は暇じゃない。
「そそ、木村くんね」
にんまりと笑顔のままの山根に何か反論したくて、でも出来ない、という感じに市村は口を半開きにしていた。
「まあ、友達困らせたら恨まれるかもだね。というわけだから、諦めて素直に休んでな、市村」
勤務時間以外にも仲の良さそうなふたりを慮り、念押ししてから、これでおしまいと手を振ってみる。
そうしたら、ドアが鳴って外から開かれた。ひょっこり覗いたのは件の木村氏で、俺は凄い偶然に感心してしまう。
市村は茹で蛸のように真っ赤になり、山根は口元を押さえたものの、プッと吹き出したのは誤魔化しきれなかった。
忙しいのは確かだな、と痛感した日曜の午後。事前に平日に挨拶回りを済ませておいたらしい山根は、嬉々として本社に帰って行った。来たときの俺と同じように身の回りのものだけ詰め込んだバッグを持ち、後は梱包された段ボール箱が部屋に積み上げてある。
食器や炊事道具は今までの住人の持ち寄りで次々と置いていかれた物らしく、俺も勝手に使えばいいと言われてしまった。
社員が共同で使う部屋というのが初めての経験なので、なんだか不思議な感じだ。ほかの場所に短期で派遣されるときには、長期滞在可能な宿屋を借りるか、事務所に雑魚寝をしたりしていた。男所帯だからなんでもありだ。
夜間との交代の時間になり、アルバイトの女の子たちがうきうきと帰り支度するのを見送っていると、在庫のチェックを終えた小野さんが控え室に戻ってきた。
ミーティングを終えた夜間スタッフたちが倉庫に行くのと入れ替わりで、オープン当初からいるという小野さんとは、親しげに挨拶を交わしていた。
「お疲れさまです、安原さん。どうでしたか? 初日は」
事務机の引き継ぎノートに書き込みながら、小野さんに話しかけられる。同じように挨拶を返してから、椅子に腰掛けたまま伸びをした。
「うん、まあ忙しいといえば忙しい……かな?」
そうですか、と小野さんは笑った。
「なら大丈夫ですかね~。暮れから正月は三倍くらい忙しい程度です」
「えー、三倍……」
早朝がぎりぎり、夜間はいつも通り、日中の主婦パートが殆ど出てこなくて、それなのに客足は十倍くらいになるという。
何処のモールも福袋には気合いを入れているからなんとなく想像が付くけど、どうしてそこまで昼のパートが確保できないのかと疑問だ。
「短期バイト入れてなかったの」
書き終えたのか、ペンとノートを置いて、小野さんは首を傾げた。退店を促す音楽が流れ始める。夜間スタッフが、倉庫から通路へと移動を始める気配がする。
「私は人事には関わっていないけど、大田さんが募集かけても集まらなかったみたいです」
「ふうん」
募集かける媒体間違えてんじゃなかろうか、あの係長は。
頬杖を突いて舌打ちしていると、小野さんがひょいと顔を覗き込んできた。いつもより近い距離に戸惑っていると、くすりと微笑んでベレー帽を脱ぎ、踵を返してロッカールームへと入っていく。ルームと呼んでいても、控え室の半分がロッカーで間仕切りされているだけの空間だ。通路代わりの場所にカーテンが取り付けてあり、ロッカーの上も開放空間。男と女がふたりきりの今みたいな状況なら、やる気に溢れたやつならなんでも出来そうだ。
まあ、俺にとっては豪以外の全てが鑑賞用だ。これっぽっちもその気になれない。おかげで犯罪者にはならずに済みそうだけど、自分でも虚しい。生活に潤いがない。
ノックの音がして、応じると警備スタッフが半歩入って来た。ドアは半分開かれたままだ。今度は木村じゃなくて小野の方だった。今日も爽やかな風を引き連れたイメージで、目の保養だ。
「あのー、安原さん。客用の駐車場に停めてるの、安原さんの車ですよね」
ナンバーを告げられて、何かあったかと慌てて立ち上がる。
「今日は職員用が空いてないからあっち使わせてもらっているんですけど、何かありましたか」
本当なら従業員が客用を使うのは御法度だ。店舗から一番遠い隅にこっそり停めたものの、邪魔だったろうかと問い直す。念のため言伝はしてあったんだけど。
いえそれは大丈夫なんですが、と小野は首を傾げた。少し長めの襟足が、制帽の下で首筋に当たっていてエロい。女ならくらくらしそうな、何処か戸惑っている表情。
「あっちの外注のスタッフから連絡があって。なんか、車の傍に何時間も同じ男がいるらしいんですよね。で、イタズラ目的かと最初は気を付けていたんだけど、本当にただ車の傍にいるだけみたいで。流石にボンネットに凭れているくらいで注意するのもなんだから、声は掛けていないっぽいんですが」
この辺に知り合いがいるんですか、と問われて首を振る。過去にこの辺りを訪れたことすらない。
「なんなんですかね~。まあでも、心づもりしてから向かってください。何かトラブりそうなら、警備に連絡いただけたら向かいます。何時上がりですか?」
夜間のスタッフは揃っているし、別に社員がいなくても、控え室の鍵は施錠後に警備室に預けることになっているから平気だ。
「気になるから、もう帰ろうかと思います。知らせてくれてありがとう」
軽く頭を下げると、いえ、と制帽の鍔に手を掛けて笑い返された。いい人だなあ。イケメンで性格もいいなんてなかなかいない。豪も見習えばいいんだ。その内どっかで痛い目に遭うから。
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