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第1話
「はあ……」
幾度目かのため息で、俺はスマホに落としていた目線を上げた。
そのため息の主は、今ベッドの上で寝転がったまま憂鬱そうに伏せっている。
そいつ、響 はバイト仲間で、この部屋の主。
その実は「声優」という職業で、年は一つ下だけど、大学生である俺とは違う世界で生きている。
とはいえまだ新人の部類だそうで、いくつかアニメの脇役はやったらしいけど、今はナレーションとかの仕事が多いらしく、ひたすらオーデションを受けまくっている日々らしい。
そんな響と出会ったのはバイト先の居酒屋。最初のうちはやけに声がでかくて笑顔を振りまいてる奴がいるなって印象しかなかったんだけど、シフトがかぶって喋るようになってからはそれなりに近い距離になった。
なにより響が一人暮らしをしているアパートは俺の家より大学に近くて、バイトが遅くなって一限から授業がある時は泊まるようにしていたらいつの間にか入り浸ることが多くなった。
そのせいで、一緒にいる時間が自然というか、ぶっちゃけ居心地よくて、だからもう一歩分くらい近づいてもいいんじゃないかって最近考えてるんだけど。
たぶん響も同じようなことを思っているはずで、でもその一歩を踏み出すきっかけもなく。
今も、その悩みに踏み込んでいいものか、少しためらって部屋の中を見回した。
関わった作品っていうのもあるらしいけど、主にオーディションを受ける前に役作りするために買ったマンガが溢れる部屋の中。そこに、ちょっと異色な物を見つけた。
ベッドの下に積まれた妙に淡い色が鮮やかなマンガ。
「なんだこれ。……『にゃんにゃんしたいにゃん』?」
「わあああ!? 待って待って!」
裸で抱き合う男二人、しかも片方には猫耳と尻尾が生えているという、なんともぎょっとする表紙。そのタイトルを読み上げたら、ベッドに寝転がっていた響が跳ね起きて悲鳴を上げた。その上で俺の持っているマンガを奪い返そうと手を伸ばしてくるから、それを避けて掲げてやる。
「もしかして、次これのオーディション受けんのか?」
「あーいや実は、決まった、んだよね」
ここにあるってことは参考資料ってことだろうかと聞けば、響は気まずそうに視線を逸らしつつそう答えた。
いわゆるBLってやつだろう。男同士の恋愛もの。
最近は目に入ることも多いから、詳しくなくてもそれぐらい知っている。
「へええやったじゃん。で、どの役やるんだ?」
「……これ」
どうやらもう出演が決まっているらしいマンガの中のどのキャラだとページをぺらぺらめくってやれば、響はそれを遮ってスッと表紙を指した。その指先には、甘えるようにもう一人の男にじゃれつく猫耳男が。
「え、これ? なに、主役?」
「主役っていうか相手役っていうか、……受けっていうか……」
「うけ? あ、入れられる方ってこと? ……意外とハードだなこれ」
ぺらぺらとなんとなくでページをめくるだけでも、エロシーンが多いのがわかる。しかもかなり、なんていうか、具体的というか、なんか……すげぇなこれ。可愛らしい絵柄だけど、実際に使う用じゃないかってくらいのエロさで思わずマジマジと見てしまった。これはライトでポップなエロ本だ。
「これを、お前がやんの?」
「なんかサンプル聞いた原作者さんがぜひにって……。それ自体はすっごく嬉しくて光栄なんだけど、実際の台本がこういう感じで」
「お、おう……」
さっきから広げて見てはため息をついていたのは台本だったらしく、見せられたそれに書かれたセリフはほぼ喘ぎ声とねだる声ばかり。
「……アニメ?」
「ドラマCD。だからより一層声だけの演技で想像させなきゃいけないわけで。名前付きの役はめちゃくちゃ嬉しいんだけど、喘ぐのなんて、どうやったらいいか……」
うなだれる響を苦笑いを送りつつ、再度マンガに目を落とす。
一話に一回(時には二回)入っているくせにエロシーンのバリエーション豊富なこと。しかも猫耳と尻尾で気持ちよさを表すシーンも多く、普通にこれを声だけで表すのは難しそうだ。
その上、最初は普通に喘いでいるのに、イきそうになるとにゃあにゃあ声に変わるのとか、考えるだけで心が折れそう。
これを、こいつが演じるのか……。
斜め読みで最後まで読み終えて、響に視線を戻してからピンと来た。
一歩踏み出すチャンスって、こういうことじゃないだろうか。
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