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6.過去・智①

 何が発端だったんだろうか?  たぶんそれはほんの些細なことだったハズ。オレにとってはそれは父親からの電話が発端だった。  当時のことは、はっきり覚えてることと曖昧なことがゴッチャになってるような気がする。あの頃のオレは感情を抑えるのが精一杯で、例えて言うならば、強風を真正面に受けながら前へ進んでいるようなカンジ、もがいてもがいてやっと一歩を踏みだしてるようなカンジだった。そしてその一歩は正しい方向を向いてるのかさえ分からなくて、それでも立ち止まることは許されなかったから歩くしかなかったんだ。  それは大学4年の早春、就職も決まり、あとは卒業を待つだけの2月末の寒い日だったと思う。前日までの雨が上がって、まだ気温は低いけど、日差しの明るさから、これから少しずつ春に向かってるんだって思えるような日だった。 「もしもしお父さん、どうしたの?」 「重要な話があるから、今夜こっちに来なさい」 「えっ、オレ今日バイトがあるんだけど」 「アルバイトは他の人に代わってもらいなさい。重要な話だ、必ず来るように」  いつになく厳しい声の父親に首を傾げつつ、バイト先に事情を話してオレは実家に向かった。  一緒に暮らしてた亮介には心配をかけたくなかったから「ちょっと実家に帰る用事ができたから」と軽く言っておいたんだ。そしてこの言葉は、その後の展開を考えると良かったんじゃないかと思う。誰にとってかって言うと、オレでもなく亮介でもなく他の人たちにとって……。  家に戻ったら両親の他に客が待っていた。亮介の両親だ。それを見た途端に、オレは最悪の状態になったことを悟った。足がすくむ、出来ればここから逃げ出したい。 「何をしている、智、早くこっちに来なさい」  父親に促されて仕方なくオレはリビングに足を踏み入れた。  そこから先はもう悪夢のようだった。どこまでが現実でどこからが夢なのかわからない。でもそう思ってるのはオレだけで、確かにあれは現実だった。 「相田智くん、何も言わずにウチの亮介と別れてくれないか」  そう切り出したのは亮介の父。そのセリフと共に手渡されたのは数枚の写真だった。遠くから撮ったのか少し画像が粗いがそれでもしっかりと写っていた。オレと亮介の痴態。オレが亮介のをフェラしてる写真と、騎上位でオレが腰振ってる写真。そこに写ってるオレの顔は恍惚としていて、瞬時に顔が赤くなる。  これは……最近のことだ。普段は日中や、ましてやリビングでイタすことは滅多に無いんだけど、たまたまそのときは盛り上がってしまい、そのままリビングでコトにすすんだ。そしてそのたまたまを写真に収められたってことは、かなり前からオレたちのことを調べてたんだと思う。他の写真はオレと亮介がキスしてる場面だったし、そしてそれは別の日の写真だった。 「亮介はちょっと我が強いけれど普通の子です。智くんが別れてくれれば、また普通の生活をするはずです。お願いだからウチの亮介を同性愛の世界に引っ張らないでください」  亮介の母親から出たそのセリフ、オレが……亮介を……同性愛の世界に引っ張った?  頭が真っ白になって耳鳴りがする。ウチの親も何か言っているけど頭に入ってこない。母親は泣いていた。そして何も答えないオレを父親は殴った。殴られたまま抵抗もなく横たわるオレ。どうすればいいの? どうして欲しいの? 亮介……、浮かぶのは亮介の顔。でも亮介はここにはいない。  気がつけば、念書にオレのサインと拇印が押されていた。今すぐ亮介と別れること。今後一切亮介には関わらないこと。亮介には何も伝えないこと。 「明日引越し先を決めてきなさい。引越しに関わる金は全て出そう。それが手切れ金だ。もうおまえはオレの息子じゃない」  そう言った父親の目は他人を見るような目だった。 「ちょっ、親父! いくらなんでもヒドすぎるんじゃねーの」 「透は黙ってなさい。透には関係の無いことだ」  心配した兄貴がとりなそうとしてくれたが、にべもなく断られていた。  もうここへはいられない。フラフラと玄関へ向かったオレを兄貴は追いかけてきてくれた。 「ほら、外は寒いぜ。とりあえず一緒に出よっか」  そう言いながらオレにコートを着せてくれて、ふたりで家を出た。  別に行く当てがあるワケじゃなかったので、近所の公園へ向かって行った。誰もいない公園で兄貴とふたり話をする。 「大丈夫か?」 「大丈夫……じゃない」 「そうだよなぁ」 「何か、全部夢みたい。悪い夢にうなされてるようなカンジ」 「そっか」  それから暫く無言。兄貴の買ってくれた缶コーヒーがとても美味しく感じたのを覚えている。 「智は、亮介くんのことが好きだったんか?」 「うん……好き。亮介もオレのこと好き……だと思う」 「そっか」 「智、オレはもう社会人になってるから知ってるけど、今の社会は同性愛者にとってとても生き難い社会だと思う。だから、亮介くんのことが好きならば、身を引いてあげるのも愛なのかもしれないな」 「でも……、そうしたらオレの気持ちは? 亮介の気持ちは? オレ、ツライよ」 「うん、そうだな。とてもツライな」  それから暫くオレたちはその公園に留まった。亮介のいるマンションに帰るワケにいかなくて、信一に連絡して泊めてもらった。兄貴は黙って信一のアパートまでオレを送ってってくれた。  信一は黙ってオレの話を聞いてくれた。オレが話し終わるまで兄貴は一緒にいてくれて、それから家へ戻っていった。引越し先はオレに代わって兄貴が探してくれることになった。契約のときに一緒に行くだけで良いってことで。今のオレは何も出来る状態じゃなかったから、兄貴のその申し出はとても有難かった。  信一の家に2泊ほど泊めてもらってから、オレは亮介のいるマンションへ戻った。  自分の心にウソをついて。自分が一番やりたくないことをするために。

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