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7.過去・智②

 玄関ドアの前に立つ。泣いてはいけない、心を強く持て。亮介が好きだから、亮介の為だから、だからオレは頑張れる。 「ただいま」 いつもと同じようにドアを開けた。 「おかえり、智」  いつもと同じように亮介がオレを迎えた。オレを抱きしめてキスしようとして……、それをオレは顔をそらすことで拒んだ。 「智?」 「あっ、ゴメン。なんかさ、風邪っぽいんよ。亮介に感染るとマズいじゃん」 「大丈夫なん?」 「薬飲んだから平気。ま、寝てりゃすぐ治るっしょ」  心配顔の亮介にオレはニッコリ笑って答えた。心の中は嵐だったけど、表面のオレはいつも通りだ。 「2日も帰ってこなかったから心配したんよ。まあ風邪だったらムリしない方が良かったしな」 「うん、ゴメン。でもおかげで大分良くなったんだぜ」 「わかった」  その後ふたりで晩御飯を食べた。風邪ってことで準備も後片付けも全て亮介がやってくれた。その優しさに心が痛い。 「感染しちゃ悪いからさ、今夜はオレひとりで寝るよ」 「智……」 「何寂しそうな目ぇしてるんだよ。ふたり共風邪ひいたら大変じゃんか」  そう言ってオレは自分の部屋に引っ込んだ。  ゴメンよ亮介。そして明日はもっとゴメン。その夜オレは、ひとりのベッドで声を殺し涙を出さず心の中でだけ泣いた。泣き腫らした顔を亮介にさらすワケにいかないから。  翌日朝食後、オレは亮介に別れを切り出した。 「智……、いま、何て言ったの?」 「うん、だから引越し先が決まったって。会社の近くに良さげな物件があってさ、ちょうど良かったんで契約してきたんだ」 「ここを……出て、行くのか?」 「そりゃそうでしょ。オレたちもう社会人になるんだよ、いつまでも恋愛ごっこを続けるワケにいかないじゃん」 「智は……、そんな気持ちでオレといたのか?」 「楽しかったよ。亮介ありがとう」  ニッコリ笑ったオレを見つめてる亮介の顔は能面のようだった。フラフラと自分の部屋へ入っていった亮介に、オレは最後通告を告げた。 「新居の掃除とかあるからさ、オレ今からそっち行くから。もしかしたら今夜は帰らないかも。だから晩メシとか気にしないでいいぜ」  そう明るく声をかけて家を出た。  亮介!  亮介!  亮介!  まだだ、まだ泣いちゃいけない。零れそうになる涙をガマンして、オレは再び信一のアパートへ向かった。  当時信一は広瀬紘一郎――コウって呼んでた――と半同棲状態だったんだけど、ふたりは何も言わずオレを受け入れてくれた。ただ黙ってオレに寄り添ってくれたんだ。  今思い出しても、あのふたりがいなかったら、オレはこの世にいなかったんじゃないかと思う。それくらいボロボロで、つらくて、生きているのがイヤになっていたから。  引越しは亮介がいない日に行った。信一にお願いして亮介を連れ出してもらい、そのスキに。  オレが持ち出したのは衣類とかほんの身の回りのモノだけだった。なので引越し作業は兄貴に手伝ってもらって短時間で終えることができた。そして最後に部屋の中の写真を撮った。オレと亮介が一緒に暮らした証。もうここへは来ることは無いし、来月にはきっと知らない人がここに住む。でも写真があれば、確かにオレたちはここで暮らしたって記録になり、オレの大切な思い出になるから。  兄貴は何も言わず、黙ってオレが来るのを待っていてくれた。  引越してから入社するまでの少しの期間だったけど、信一とコウはよく一緒にオレのところへ遊びに来てくれた。かなり心配してくれたんだと思う。あのときは何も考えられなかったけど、今ならふたりの気持ちが良くわかるから。ホント、感謝しても感謝しても足りないくらいだ。  入社後は新人教育やら研修やらで毎日が目まぐるしく、帰宅したときは疲れ果てていて、何も考えずに寝るだけって日が続いた。でもそれが良かったんだと思う。少しずつ心の傷も癒えて、気がついたら普通の生活が出来るようになっていたから。  亮介のことは決して忘れたワケではない。  今でも忘れられないんだ。  もしかしたら、あんな別れ方をしたせいかもしれないけどね。  そう、オレは今でも亮介が好きだ。  忘れたいけど、忘れられない。  もう会えないんだから、亮介以外の人を好きになりたいのに。  でもやっぱり自分の心を偽れなくて、オレは今でも亮介が好きだ。  会えないけど。  会わないけど。  心の中で想うのはオレの自由だから。  だから、亮介が元気だったらそれで良い。

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