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第4話

 それ以降、四月に学校が始まるまで、何度か滋と誰かの「身代わり」を見た。想像していたのとは違って、みんな滋を可愛い、可愛いと慈しむ。痛いことやひどいことをする人はいなかった。そして、暁に見られることを嫌がる人もいなかった。滋は誰を相手にしても幸せそうで、「嫌じゃない」という本人の言が嘘ではないことを証明していた。暁は、蔵の使い方と滋の行動パターンを把握できるようになった。基本的にこの森には、一家に一つ蔵がある。文字通りものを貯蔵するための役割が主だが、ちゃんと板張りで布団が敷けるスペースがあって、滋は夜になると求められた人の家に向かう。いつも桶を持っていて、そのなかに滑りをよくする軟膏とか、コンドームとか、ティッシュとかが入っている。意外と重宝するのが、固く絞ったタオルだった。いろんなもので汚くなった滋の体を、みんなが同じように綺麗にする。まず涙をぬぐって、体の表面の比較的綺麗な部分、それから脇の下、臍と、丁寧に清めていく。それからタオルを裏返して、性器と、自分が蹂躙した後ろの穴を、綺麗にするのだ。  みんなが「練習」と言っていた理由が、三回目くらいで分かるようになった。練習には型が必要で、それがこの辺で代々守られてきた、彦奈を守る「作法」なのだろう。だから、程度の差はあっても、異常に乱暴な人間なんて、存在し得ないのだ。 (それこそ、滋さんに嫌われたら村八分だよな) 森じゅうの男の性欲を一手に引き受けている滋は、この森の全てを握っているといっても過言ではない。五十のおじさんも、やっと精通したくらいの一四、五の子どもも、みんな滋を慈しむし、蔵にいるときに限っては、だれも滋に逆らわないのだ。 (彦奈って、そういうこと? 滋さんが特別なの?) 「ああ…あん、ん、んっ、ん…もっと…」 勃起こそするものの、少しずつ冷静に滋を見られるようになってきた。今日は(まさる)さんという、元よりちょっと年上くらいのおじさんが相手だった。 「気持ちいいか?」 「うん、もっと…あっ、あああっ」 挿入する様も、平然と見られるようになった。男が男に、こんな痴態をさらけ出せるほどの快感を与えられるという事実が、ここには確かに存在するのだ。 「あ、ああ、んっ、…んんっ」 「…ふっ…ふ…」 滋には、突かれると叫び出すくらい気持ちのいいところがあって、最初からそこを重点的に可愛がる人もいれば、焦らして長く続けたいと思う人もいるようだった。最終的には滋がねだれば誰だって何回だってそこをひたすらに突き続けるようになるのだけれど。 「…ああ、もっと、ねえ、勝さんはわかるでしょ、ねえってば」 「どうだっけなあ、昔の、ことだしなっ」 「やだあ、だからやなんだ勝さんとするの…あああん!」 「なにがやだって?」 楽しそうに、遊ぶように深く突き入れる。こんな会話は、今まで聞いたことがない。 「だって、だって、ああ、分かってるくせに、俺のこと認めてくれないくせに、なんども、よぶの、あ、ああんやだあ!!」 「気持ちのいいところは…人それぞれだろ。もういじめないから、滋、機嫌直せ」 「う、ふ、うう……ちゃんと、して、ね?」 上目づかいで、滋が懇願する。あ、絶対勝さん太くて硬くなった。そう確信した。 「…俺の、二つ前の彦奈なんだよ。勝さんは」 身代わりが終わった後に相手と滋と暁の三人で、いろんな話しをするようになったのも最近だ。滋が起きていられる場合は、滋が暁のことを紹介する。ここに馴染もうとしているんだよ、と、印象付けてくれる。  胡坐をかいた勝の太腿に頭をのせて、穏やかに話し始める。さっきまでの狂乱が嘘みたいだ。 「ね、勝さんのときの話、暁に聞かせてあげて」 勝は眉根を寄せた。渋い顔で滋を睨む。 「お前、その話好きだよな」 「うん、だってこんな、なよっちい俺とは違って、勝さんは全然女の人っぽくないんだもん」 勝は確かに、がっしりとした体形で、目もきりっとして男らしい。眉も濃い。若い頃は細かったとか、そういうことだろうか。 「俺は十五のときからずっとこんな面構えで、選ばれたって分かったときにはひどくがっかりしたのを覚えてる。俺の前の彦奈は女みたいに綺麗だったからよ。でもよ、俺がそうなったって気付いたときの奴らの顔が、本当に綺麗な女を見るみたいに変わってさ。俺の顔はなんにも変わってないのに。彦奈ってこういうもんなんだなって思ったよ。だから、彦奈が離れちまったときは、ちょっとだけ寂しかったな」 「だから勝さんは彦奈にいじわるなんだよ」 「いじめてないだろ?」 「だってちゃんと気持ちいいとこ突いてもらわないと気持ちよくなれないって分かってるのに焦らすし、俺にやきもち焼いてんの」 滋が少女みたいに笑う。 「…俺も分かってるよ、みんなが俺のこと好きなわけじゃないの。みんな、俺が彦奈だから優しくしてくれてるの」 「あの…彦奈に選ばれるとか、離れるとかって、どういうことですか」 おそらく、この二人の組み合わせのときにしか聞けないことだ。そして、それがここの秘密の鍵を握っているはずだ。 「…勝さんのときも、俺のときもいっしょだよ」 遠く、森の向こうの朝日を探すみたいに、静かな答えだった。 「ある日とつぜん、自分のやるべきことが分かるんだ。学校に行ってるときでも、畑に出てるときでも、朝でも昼でも、夜でも、目が覚めるんだ。ああ、今日から俺が彦奈なんだって」 「…で、誰かが彦奈になるときは、その前の彦奈は自分の中からそれがいなくなるのを感じるんだ。それは、この辺のやつらも同じように分かる。急にいままで魅力を感じてた男にそれがなくなって、別の男を無性に犯したくなる、そうやって気付くんだ。それが十五のやつのときもあるし、四十のおやじのときもある」 「うそっ」 「最高齢の彦奈って(ほまれ)じいちゃんの六十二だっけ?」 「戦前の話だけどな。さすがにほれ、もう勃たねえよそんなじじい相手に」 武の言っていた、「違う国」だと思ったほうがいい、という助言は正しかった。むしろ「違う民族」と思ったほうが、理解しやすいかもしれない。現に、暁は滋を抱きたいと思わない。臨場感のあるアダルトビデオを見ているような気分で、そこに自分は存在しないのだ。きっと、何度滋が招いて、何人との滋の身代わりを見ても、自分は滋には欲情しない。それは自分がここの人間ではないからだ。その「彦奈」というおまじないに、自分はかからない。 「…勝さんは、いじわるだけどちゃんと分からせてくれるんだ。みんなが別に、俺のこと好きなわけじゃないってこと。彦奈だったら、勝さんでもみんな大好きになるし、彦奈じゃなくなれば、俺だって嫌われるってこと」 「おい、俺でもってなんだよ。それに、俺は彦奈じゃなくなったから嫌われた訳じゃないぞ。もともとこういう性格なんだ」 「ふふふ」 とっておきの秘密を共有する、おじさんと、少年。 「…狂ってる、ね」 「そりゃあ、お前にはそう見えるだろ。でも、滋にはあんまり言わないでやってくれよな。いまはこいつがいるから、ここは成り立ってるんだ」 微笑んだまま、ことんと眠ってしまった滋の髪をすいて、勝がこぼした。

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