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鹿島柊介という男を連れていると、否が応でも目立つということを失念していた。いるだけでただでさえ人目を引く容姿だというのに、鹿島は無駄に愛想がいいので女性社員のみならず男性社員にも人気だ。ついでに言うと、それに反比例して浅原へ向けられる視線も常以上に殺気立っている。視線で射殺すというのはこういうことかと、首を竦める。
「浅原さん」
呼ばれて顔を上げると、女性社員に囲まれていた鹿島が彼女たちに手を降り、笑顔で近付いて来た。その際、浅原を見た彼女たちの数々の視線が憎々し気に、「なんで私たちじゃなくてあんなおっさんと」と言っていた。
「ごめんなさい、もう用は済んだので」
「あ、ああ」
このやり取りも悠に五回は繰り返した。逃げる隙はありすぎるほどあった。それなのに、鹿島を置いて帰ることができないのは、単に唯一の友人と呼べる存在が彼ぐらいしかいないせいだろう。
ようやく会社の外まで来たところで、ぱらぱらと降り出した雨が頬を打った。夕焼けが雲間から覗いている。通り雨だろう。
「浅原さん、傘持ってる?」
「いいや」
鹿島の方に視線で問いかけるが、持っていないらしい。
「あーあ。せっかくの相合傘が」
心底残念がっている。鹿島のこれは冗談なのか何なのか分からないが、答えを求めたらいけないということは分かる。
「浅原さんの住んでいるところって、歩いて何分ぐらい?」
「本気で来るつもりなんだ」
「当然でしょう。これを口実に……おっと」
「え?」
「ちょっと雨が本降りになってきた。浅原さん、走ろう」
雨が本降りになってきたのは事実だが、言いかけて逸らしたのはわざとに違いない。要するに、鹿島は他人の行為を盗み聞きするよりも浅原の部屋に来たい別の理由があるのだ。それは知りたいような、知るのが怖いような。
「浅原さん、早く。ほら」
「わっ」
強引にぐいと腕を引っ張られたかと思うと、そのまま走ろうとした鹿島。しかし、すぐに立ち止まって振り返った。
「そっか、俺が先に行ったら意味がないんだ。浅原さん、先に立って俺を引っ張って」
引っ張る必要はないだろうと思ったが、反論する前に雨脚が強くなり、するりと下りてきた鹿島の手が浅原の手を握ってきた。その高い体温を不思議に思いながらも、振り払う気は沸いてこなかったので言われた通りに走り始める。
幸い、5分とかからずに雨は上がり、見上げると薄っすらと虹が架かっていた。手は自然と離れたが、温もりだけが残る。
そのままほとんど言葉を交わすことなくアパートまでの道筋を歩いたのだが、もうすぐ着くということを伝えた時、鹿島はふいに訊いてきた。
「隣の人って、顔は見たことあるの?」
「え?うん、まあ越して来た時に、挨拶をしたくらいだけど」
「本当に男だった?」
「うん」
改めて問いかけられて思い出すのは、ピアスをいくつもつけた派手な髪色と顔立ちの男だった。鹿島も整った顔立ちなのは同じだが、それとはまるで違う。例えるならば、そう。ビジュアル系バンドでもやっていそうなタイプで、それこそ自分とは無縁そうな。
それを説明すると、鹿島はふうんと言った後に、やや不機嫌そうな顔で言った。
「その男が、浅原さんの好きな相手?」
「ん?」
一瞬、何を言われたか分からなかった。枯れた自分に恋だの好きだのといったピンクな話は、隣人と同じくらい無縁だ。
「だから、声が」
「あ、あれは別に好きなわけでは」
慌てて否定するも、動揺が出てしまった。それを見て、鹿島はますますムッツリとする。
「で、その人は違うの?」
「ち、違う。と、思う。鹿島君、近い近い」
ずいっと怖い顔を近付けられて、反り返るようにして離れた。
「ふうん。じゃあそいつの恋人か……」
「鹿島君、着いたよ」
さらなる追求を逃れるために到着を知らせる。鹿島は不機嫌そうな顔はそのままだが、一旦は矛を収めてくれる気になったらしい。
浅原の後をついて来ながら、興味深そうにアパートを見回していた。そして、部屋に入る前は隣人の表札をチェックしていたようだ。呼び鈴でも押してしまわないか冷や冷やしたが、一通り眺めて満足したのか、浅原の自宅に入ってきた。
「お邪魔します」
「ちょっと散らかってるけど、どうぞ」
人を招くことがないうえに、突然押しかけられてしまったせいか、掃除も整理も行き届いていない雑多な部屋が少し気恥ずかしい。目についた物から軽く片付けながら、取り敢えず壁に立て掛けていた丸テーブルを用意し、座布団を引っ張り出して座ってもらった。
「浅原さん、俺今日泊まるから」
コーヒーを用意しようと腰を浮かしかけた時、鹿島は当たり前のように言った。泊まらせてでもなく、泊まるからというのは、もはやそれは鹿島にとって決定事項なのだ。
「え?なんで……」
「だって、隣の人のアレは大抵夜中なんでしょ」
「ああ、それはそうだけど」
てっきりそれは口実で他に理由があると思っていたが、違ったのだろうか。
「浅原さんが良ければ、ベッドに一緒に……」
鹿島が何か言いかけた時、隣の部屋から物音がした。ドアを開閉するだけの音だったが、途端に鹿島は口を噤む。そして一瞬、二人して黙って耳を澄ませる。
「へえ、やっぱ壁が薄いのかな。あまり大声は出せないね」
小声でそんなことを呟いたかと思うと、鹿島は立ち上がって浅原を手招きした。近づくと、浅原の肩をぐいと引き寄せて体を密着させ、そのまま壁に耳をつけてしまう。
「鹿島く……」
「しぃっ」
鹿島の指が浅原の唇を塞いで黙らせる。しかし、浅原が黙り込んでも、鹿島は指を離さない。心なしかなぞられているような気がして、剥がそうとした時だった。
「やっ、待って。いきなりッ……ン」
隣人の行為が始まったようだ。二人の人間のもつれ合うような音がする。今日は深夜までたっぷり余裕があるのだが、何もセックスの時間を毎回決めているわけではあるまい。
耳元でごくりと生唾を飲み下す音がして、その時ようやく鹿島との密着度合いが増していることに気が付く。隣を振り仰いだら唇が触れてしまいそうだ。
「そんなとこ、舐めないで。汚いっ……から」
隣人の行為をリアルに想像してしまい、体が火照ってきた。
「すご……」
「……っン」
まずい。鹿島が耳元で囁くだけで、その吐息も刺激になって体が震えた。
鹿島はまだ隣に夢中になっていて気付いていないようだが、時間の問題だ。なんとか悟られないように宥め、せめて腕から逃れようと身を捩るが、それに気付いたのか、鹿島はますます強く引き寄せてきて。
「ひゃッ……」
耳をぬるりと湿ったもので舐められ、高い声が漏れる。鹿島の舌だと気付き、押し返そうとするが、腕力では叶わない。
「や、やめっ……ンぁ」
鹿島の指が服の中に潜りこんできて、乳首を探り当てて抓まれた。それだけで漏らしそうになってしまい、内股を擦り合わせて堪える。
その時、隣からもベッドが軋む音と高い声が聞こえてきて、クライマックスに突入していることを知る。もし隣人が2ラウンドに入らずにそのまま終わってしまえば、逆にこちらの音を聞かれてしまうのではないか。それに思い当たると、羞恥と共に確かな興奮を覚えてしまい。
「か、しまくん」
「何?」
胸元を舌で舐めていた鹿島が、自分と同じように熱で潤んだ目を上げる。
「ベッドに行こう」
自分でも信じられない提案を口にすると、鹿島は情欲に溺れた目で微笑んだ。
「ひ、あっ」
ベッドに押し倒された後、鹿島の熱い手のひらで両方の乳首をきゅっと抓みあげられる。その時には既に、どんな手品を使ったのかというくらいあっという間にスーツとカッターシャツ、それからスラックスまで脱がされていた。辛うじて身に着けているのは、頼りないボクサーパンツ一枚だ。
対する鹿島もとうに下着一枚になっているが、その引き締まった体と自分の貧相な体を比べてしまい、惨めさと恥ずかしさの板挟みになる。
「浅原さん、顔を隠さないで」
「やっ、むり……んぁっ」
鹿島が優しく撫でるよにボクサーパンツの上から膨らみをなぞった。それだけで痛いほど張り詰めた屹立から先走りが溢れてしまうのを感じた。
鹿島にいっそう優しく、壊れ物でも扱うようにそっと屹立を包まれると、隣人に聞かれているかもしれないという背徳感とは別に、怖くなるほど鹿島の情を感じ、どんどん張り詰めていく。それを知られたのか、鹿島の優しい手つきはそのままだが、動きが大胆になった。
「やっ、待って。出る、からぁっ」
下着の上から擦りあげていた手が、浅原の屹立が十分に水音を立て始めてぱんぱんに張り詰めた頃、ふいに潜り込んできて直にぐりっと亀頭を押した。
「ンンッ……!」
咄嗟に唇を強く噛んで声を抑え込んだが、それでも悲鳴のような矯声を完全には消せなかった。
「浅原さん、可愛い」
鹿島が嬉しそうに言って、より一層浅原の体を愛撫しかけたかに思われたが。
「……ん?」
いつまでも降って来ない刺激を待ちかねて顔を上げると、鹿島は深く溜息をついていた。
「鹿島君?」
「ああ、もう。浅原さん、お腹空いてない?空いてるよね。俺は空いた。何か買ってくるから、その前にシャワーと着替え借りるね」
それだけ言うと、鹿島は髪を乱暴に掻きむしりながら苛立たしげに浴室に消えた。
「え?鹿島君、待っ……」
我に返って呼び止めようとしたが、その時には既に水を使う音がし始めていた。何が何だか分からないが、急にその気がなくなってしまったのだろう。
やはり、自分のような中年相手では勃つものも勃たないのかもしれない。落胆するような、ほっとしたような、どっちつかずのもやもやとする気持ちを抱えて溜息をついた。
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