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Please say no:Noと言ってほしくて4

*** 「未だショック状態が抜けきれておりませんので、予断を許さない病状ではございますが、あとはキサラギ氏の気力次第となります」  執刀医が僕に頭を下げて、目の前から消えて行く。  病室に入ると、白い顔をしたキサラギが横たわっていた。僕のために、こんなにキズついて――  ベッドの傍に椅子を引き寄せ、静かに座って、そっとキサラギの手を取った。直にナイフで触っていた大きな右手が、包帯でぐるぐる巻きにされていて、見るからにとても痛々しい。  そんな傷ついた手の甲に、頬ずりする。途端にぐっと胸が詰まって、自然と涙が溢れてきた。 「――っ、キサラギ……」  このままアンディみたいに、目が覚めない状態が続いたら、どうしよう。お前の優しい笑顔も、労わる様な声も、美味しいお茶も何もかも、感じることが出来ないのだろうか? 「僕のせいだ、僕のせいでこんな…っ」 「何を、泣いておられるのですか。エドワード様は、次期国王となられるお方なんですよ。一介の執事のために、そんな顔をされてはいけません……」  愛しい人の声が、幻聴のように、そっと耳に届いた。目を見開いて、その人の顔を見つめるしかない。 「き、キサラギ、意識が戻ったのか!?」  嬉しくて思わず、寝ている大きな体に手を伸ばし、ぎゅっと抱きついてしまった。 「ちょこっと痛か、エドワード様」  キサラギの発した、難解な日本語に眉を寄せると、はっとした顔をしてから、苦笑いを浮かべる。 「申し訳ありません。実家に帰省していたもので、博多弁という訛りのある日本語が、つい出てしまいました。さっきのは少し痛いです、という意味でございます」 「じゃあ、ちょこっと腕の力を緩めたら大丈夫か?」    キラサギの言葉を、マネして使ってみる。お前のことが、もっと知りたいからな。 「はい、ちょこっとなら大丈夫でございます」  笑いながら言って、僕の頬に流れた涙を大きな手で拭ってくれた。  あったかい、キサラギの手――戻ってきてくれて、本当に良かった。 「泣いてはいけないと言ってる傍から、涙を流されて……。なしてよかかが、とからんけん」 「なして、よかか?」 「どうしていいか、分からないと言いました。一応怪我人なんですよ、気を遣わせないで下さい。まるっきし、ほんなごと、おおじょうしたお人だ」  くすくす笑って、痛たとおなかを押さえる。 「後半、さっぱり分からなかったぞ。多分、何かの文句であろう?」 「まったく本当に、困ったお人だと言いました。エドワード様こそ、もう私の名前がスラスラと、仰ることが出来ますよね?」  相変わらず、ぼろぼろと零れ落ちる涙を拭いながら、目を細めて聞いてきた。 「…キサラギ チュバキ」  僕の告げた言葉に、あからさまに唖然とする。  ありゃ、聞き間違いげなちゃろうかと、ぶつぶつ口元で呟き、真剣な顔をした。 「ツバキです、エドワード様」 「チュバキ……」 「ツ・バ・キ!」 「ツ・バ・キ……」 「落ち着いて、ゆっくり仰ってみて下さい」  発音に合わせて、首をこくこく動かしてみる。 「っ、チュ……バキ」  やっぱりダメだ、上手くいかない。 「キスするときみたいに、このように唇を尖らせてみて下さい。こうやって――」  言われたように、唇を尖らせてみた次の瞬間、触れるだけのキスをされた。それはすごく優しいキスで、一瞬で終わってしまったのが寂しく感じられる。  ――もっと触れてほしい、触れられたい―― 「ツ、バキ……」  キサラギのマネをして唇を尖らせながら、ゆっくりと発音してみた。そしてそのまま、自分の唇に想いを込めて、ぎゅっと押し当てる。  キズのせいか熱っぽい唇が、キサラギの体の具合を示していて。無理をさせてはいけないとすぐに離したら、包帯だらけの手が僕の後頭部を押さえた。 「もう少しだけ――エドワード様を、感じさせてはもらえませんか?」 「お前、どうして何も言わず、僕の前から姿を消したんだ?」  病人であるキサラギのいう事を聞いてやればいいのだろうけど、疑問を解消したくて、質問に質問で返す。 「それは、その……」 「もしかしてそのまま、姿をくらまそうと、考えていたんじゃないだろうな?」  突き刺すように見てやると、黒真珠の瞳が忙しなく動いた。嘘のつけない、そういうところも愛しく思うぞ。 「Noと言ってくれ、頼むから……。僕の前から、勝手にいなくなったりしないでくれ」  言いながらキサラギの広い胸に、顔をうずめる。 「自分の想いが、報われなくてもいいと思っておりました。エドワード様のお傍に一番近いところで、お仕え出来ればいいと」  耳に聞こえてくる、少し早い鼓動が心地いい。キサラギが生きてるって証なんだ。  嬉しくなってつい、口元が緩んでしまった。 「それにエドワード様が、アンドリュー様をお慕いしていたのが分かっていたので、諦めていたのです」 「やはり……知って、いたのか」 「はい。エドワード様の視線の先を辿れば、容易なことかと思いますが?」  どこか、からかう様な口調で言ってくれる。アンディの前ではずっと、キライな素振りをしていたというのに。 「他の方をお慕いしている、エドワード様が私に対して優しくなさるお姿に、他意がないというのを、頭では理解してはいたからこそ、辛くなってしまいました」  確かに――アンディが僕に対して、幼馴染として大事に接してくれればくれる程、胸の中に痛みが走った。 「他意のない優しさなのに、胸の中の想いが堰を切ってしまって、ついには貴方様に手を出してしまって……」  あのときの僕は必死に、キサラギを慰めようとしていただけだった。それが本人の気持ちを煽る結果となり、押し倒されてしまったっけ。  見たことのないキサラギの顔に驚きつつも、どこか惹きつけられるところがあった。 「エドワード様の純粋なお気持ちに比べ、私のものは邪で、いやらしい種類のものでございます。一度手を出してしまったら、次が欲しくなってしまいます。貴方様のお気持ちも考えず、自分の気持ちを押し付け、全てを奪ってしまうと考えました」 「――奪えば、よかったのに」 「は……?」  キサラギの胸から頭を起こし、顔をじっと見つめらたら、かなり呆けた表情を浮かべていた。 「アンディが日本に発った時点で、僕の恋は終わっていたんだ。その痛手を癒そうと、傍にいたお前を使った。キサラギよりも僕の方が、邪なんじゃないのか?」 「でもそれは、その、質が違うといいましょうか」 「キサラギがいなくなってから、城の中に色がなくなってしまってな。どれだけ強く想われていたか、再認識させてもらったぞ」  癖の強い黒髪をゆっくり撫でてやると、気持ちよさそうに瞳を細める。 「お前の想いが、僕を強くしてくれるんだ。触れたいと思うし、触れられたいのだから。ツバキこれは命令だ、もう離れるんじゃない! 雇い主は誰だ?」 「マイプリンス、エドワード様でございます」  その言葉に微笑むと、キサラギもつられて微笑んでくれる。 「九州の実家に帰るのも、ひとりで行くのは禁止な。僕も連れて行け」 「……はい」 「ついでに、博多弁とやらも教えよ。お前が話す言葉を、是非とも知っておきたい」 「難しいですよ、大丈夫でございますか?」 「だってお前が――ツバキが教えてくれるから、きっと大丈夫だ。あとは……」 「何でございましょう?」  キサラギの耳元で、はっきりと言ってやる。 「早く怪我を治して、僕の心ごと体ごと奪いに来い。いいな? 命令だから!」  素直な気持ちを告げると、目の前にある顔が真っ赤になって狼狽えた。 「奪っても……よろしいのですか?」 「くどいぞ。Noとは言わせない。本当は今すぐにでも、奪ってほしいくらいなのだから」  ドキドキしながら、自分からキサラギに口づける。  たどたどしい僕のキスを、病人のクセにしっかり応えてくれた。あまりの濃厚さに離れようとしたら、僕の舌に吸い付く始末。 「んんっ、も、っ……あぁっ」  キサラギのオデコを無理矢理押さえつけて、やっと引き離すと、不満げな顔をした。 「病人だとキスが、じぇんじぇん楽しめまっしぇんね」 「また、博多弁で文句を言う」 「エドワード様ば、すいとーばってん。しょんなかやろう?」 「水筒?」  僕が口を尖らせて小首を傾げると、苦笑いしながら―― 「エドワード様が大好きなんだから、しょうがないでしょう?」  わざわざ翻訳して、顔を隠すように布団に潜り込む。 「ぼ、僕もツバキを、すいとー……////」  思い切って告げると、長い腕がにゅっと布団から伸びてきて、僕のことを引っ張った。 「うわっ!?」  突然布団の中に引き込まれ、体をぎゅっと抱きしめられる。そして耳元に、艶っぽく告げられた言葉に絶句した。 「もうガマンできまっしぇん。お覚悟しちゃってん」  怪我人のクセに、キサラギの下半身が大変な事になっていて、更なる恐怖心を煽る。 「ばば、バカ者っ! 怪我が治ってからだと、命令したはずだぞ!!」 「エドワード様の、いかんなしけんしゅ。俺ば煽るちゃうなこつ、仰るから」 (エドワード様がいけないんです。俺を煽るようなこと仰るから)  キサラギから伝わってくる、ものすごい熱い体温や首筋を滑る唇とか、頭の中が沸騰寸前で、ひどくクラクラしたけど―― 「――許せツバキ、全てはお前が悪い」  ちゃんと一言詫びを入れ、ナイフが刺さっていた場所目掛けて、パンチをお見舞いしてやった。 「ぐおぅえっ!!!」  僕をパッと離して、ミノムシよろしく体を痙攣させる。  本当は今すぐにでも、抱いてほしいと思っている。それは、お前だけじゃないのにな、まったく――いつでも手のかかる執事だよ、ツバキ。

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