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壹
その男はふらりとやってきては、客が待つ座敷でお茶を飲みながら話をしている。
声を掛けてくれたらよいのに。いつの間に来たんだと、つい口にしてしまうほどだ。
「おう、与六 の邪魔をしねぇように、こう、抜き足、差し足、忍び足ってね」
たちあがり、何故かモノノケのように手を前に垂らして音を立てずにそっと歩く。
それを見て周りの客が笑う。
「まるで忍びのようだな」
「確かに」
と常連の一人が勘太 の背中を強く叩く。
出逢いは真夏の夜だ。涼を求めて川辺で夕涼みをする者、舟遊びをする者、その日も人が多く集まっていた。
川辺に座り涼をとっていれば、声を掛けられた。大店の息子であり同い年、名は菊次郎 という。以前から何かとちょっかいをかけられていた。
与六はどこか色気のある男だ。幼き頃は男女と苛められもしたが、歳を重ねるごとに欲を含んだ目で見られるようになった。
菊次郎もその中の一人だ。昔は仲間と共に与六を苛めていたというのに。
いつものようにつれなくすれば、相手はあきらめるだろう。だが、今日は相当に飲んだらしく酔っぱらっていた。
「与六、乗れよ」
腕を掴まれて引っ張られる。
「お断りだね。俺はもう帰るから」
それを払いのけようとするが、手が肩に回り船の方へと引きずり込まれそうになる。
「離しとくれ」
暴れて逃れようとするが、他の仲間に羽交い絞めにされてしまう。菊次郎一人なら大したことは無いのだが、流石に人数がいるとどうにもならない。
「与六ぅ、船の上で楽しもうや」
手を差し込み太ももを撫でる。それが不愉快で、だが、身体の自由を奪われてしまい、なす術がない。
このまま連れて行かれたら最後、無理やりまぐわうことになるだろう。
助けを呼びたくとも口を手でふさがれてしまった。もう、だめだと思っていたその時、
「おい、その辺にしておきなよ」
まさしく天の助け。
声の方へと顔を向ければ、随分と大柄な男が立っていた。
「勘太だ」
一人がそういうと、羽交い絞めから解放される。
「あいつはやばいから」
と大店の息子にいい、悔しそうに離れていった。
たしかにこれだけ迫力があると逃げ出したくなる気持ちもわかる。助けてもらったというのに与六も怖いと思ってしまった。
自分の身を守るように身体を丸くすると、男は提灯の灯りをこちらに照らした。
「おう、無事かい?」
ずいぶんとおおきい。六尺(約182センチ)はあるだろうか。
「あぁ、助かったよ。お前さん、名は」
「荒くれ者の勘太って、聞いた事ねぇ?」
その名は聞き覚えがある。大柄で背中に龍の彫り物をしているとか。
「龍の……」
「あぁ、これかい?」
提灯を手渡されて何かと思いきや、男が背を向けて上半身を肌蹴させる。
灯りに照らされて男の背中の彫り物が露わとなる
見事な龍だ。力強く天へと昇る。その立派な姿に目を奪われる。
「すごい」
「俺の師匠に彫ってもらったんだ。ただし、自分じゃ拝めねぇのが残念でな」
なんて心から嬉しそうに笑うんだろう。自慢したくしかたがない、そんな感じなのだろう。
「お前さん、彫師なんだね」
このまま別れるのが惜しいと感じた。
「そうか。なぁ、今日のお礼に、一献、どうだい?」
と誘う。
「いいねぇ。なぁ、お前さんの名も教えてくれよ」
「俺かい? 髪結いの与六だ」
「そうかい。今度、髪結いでも頼もうか」
「あぁ。更に男前にしてあげるよ」
というと、そりゃいいと威勢よく笑った。
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