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白い世界(完)

 ぽかりと目が開くと、煌々と、明るい空間にいた。  ここはどこだろう。眩しすぎて、目が痛い。 「まだ眩しいか?そのうち馴れる。大丈夫だ」  声の方を見る。大きなひとの姿が見えた。綺麗な顔。宇宙のような、藍色の瞳。長く伸びた銀藍の髪。すっきりと伸びた、一本角。  初めて見るひとなのに、ずいぶんと懐かしい気がした。 「おはよう。やっと目覚めたね。ずっと待っていたんだよ」  悪魔はそっと、優しく手を伸ばして、小さな小さな子供の形をしたものを手のひらに載せた。  それは暖かくて、フワフワしていて、乳白色で、ちょっとだけオレンジ色で、時々ブルーや緑色に光って、葡萄のような甘く爽やかな匂いがした。 「人間の殻を脱ぎ捨てるのに、一〇〇年近くかかってしまったな。でも、私にとっては短い時間だ。お前がこれから人の体を作れるようになって、私の伴侶になるのは、何年先かな?」  悪魔は小さな人型に愛しそうに口づけた。 「一〇〇〇年?二〇〇〇年?ふふふ、楽しみだな。これからは、ずっとお前と一緒だ」  この魂に巡り会うまで、何万年もかかった。愛しい、愛しい私の魂。運命の伴侶。この魂を見つけた時に自分が上級悪魔であったのは、なんというタイミングだっただろう。  一部の上級悪魔には、他の種族にはない特別な力がある。 『魔』とは『神の(ことわり)から外れた』存在。神の定めた輪廻の輪から魂を取り出し、自分の元に留めるという事ができるのは、限られた一部の悪魔だけだ。  もちろん、本来生まれ変われるはずの魂を輪廻の外に置くなど、魂からしてみればずいぶんと残酷なことだろう。例え人の形を取ることができたとしても、どこの世界にも属さず、生きることも死ぬこともできない存在になるのだから。  その残酷な行為をして、ひょっとしたら人は『魂を食べる』と表すのかもしれない。  それでも、悪魔はこの愛しい魂を、自分の手元に留めたかった。自分の命が尽きるまで、この魂は自分の物。もう絶対に自分の手の届かぬ輪廻の輪になど、戻してやるつもりはない。 「お前を見つけることができた私は、なんて幸運なんだろうね」  悪魔は、愛おしそうに、再び人型に口づけた。  魂には、互いに対になる魂が存在するという。  だが、自分の『対の魂』を見つけられるという幸運に恵まれるのは、ほんの一握りの者だけだ。ましてや相手が短い生を生きる種族なら、見つけた途端に輪廻の輪に飲み込まれ、手のひらからこぼれ落ちてしまうだろう。  アディの知っている限り、『対の魂』と巡り会い、共に生きているのは、全て恐ろしいほど長い時を生きる、上級悪魔や上位天使、寿命を持たない神族や、一部の魔族達だけだ。彼らは長い長い時間を掛けて相手を見つけ出し、生涯を共にする。  例えば、魔界の大元帥。彼はあまり友好関係にあるとは言えない至高界の、滅多に自分の執務室から出てくることのない智天使長を、数万年の時を掛けて見つけ出し、更に数万年の時を掛けて口説き落とした。よくぞあの堅物を、と帝王(サタン)が呆れたように呟くと、大元帥は言ったのだ。 『運命なのだから、当然です』と。  だがアムドゥスキアスは、自分にはそのような幸運が舞い降りる筈がないと思っていた。それは自分には縁のないことで、最初から期待するなど馬鹿げている、と。  だが、違った。  自分は湊斗を見つけた。湊斗に巡り会うことができたのだ。  一目ですぐにそれと分かった。なんという高揚感。体の中から全ての血液が沸き立つようだった。  それは、暖かくて、フワフワしていて、乳白色で、ちょっとだけオレンジ色で、時々ブルーや緑色に光って、葡萄のように甘くて爽やかな匂いがした。  魂の美しさだけではない。彼は、彼自身が、素直で、寂しがり屋で、頑張り屋で、可愛らしくて、気高く、美しかった。  なんという幸運。自分は永い永い生を、この魂と巡り会う為に生きてきたのだ。 「可愛いね、湊斗。さぁ、食事をして、お風呂に入ろう。これからはずっと一緒だよ」  悠久の時を生きる悪魔にとっては、彼が魂だけの存在でいる時間など、本当に短い間だろう。  全ての殻を脱ぎ捨てた、小さな小さな人型は、ふるふると小さな腕を持ち上げて、悪魔にそっと触れた。  ずっと悪魔と一緒にいられる歓びに、全身を震わせながら。   ~終わり~

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