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月下香

 月明かりが眩しい。  薄い紗のカーテが引かれた窓辺に置かれたベッドの上に、老人が目を閉じて横たわっている。  静かな夜だ。三つの月が、窓辺に優しい光を注いでいた。 「……花の匂いがする。何の花だろう。……とっても、良い匂いだ……」  老人の声に、悪魔がそっと窓を開けた。 「月下香だろう。そろそろ花が咲き始めたようだ」 「そう……」  老人は窓の外に目をやり、それからそっと目を閉じた。 「アディ、そろそろ時間みたいだ。ずいぶん待たせてしまったね……?」 「私にとっては短い時間だったけどね」  悪魔は、すっかり細くなった老人の腕をそっと手に取り、愛おしそうに握りしめた。 「寒くはないか?」  夏の盛りだというのに、悪魔はそう尋ねた。 「寒くはないよ」 「苦しくはないか?」 「大丈夫。なんだかとっても、良い気分なんだ」 「そうか。それならば良かった」  悪魔は、優しく微笑んだ。 「ただ、ずいぶん暗いんだ」 「暗い?」 「うん。お前の顔が、よく見えなくて……」  少しだけ悲しそうに笑うと、男は目を閉じた。その額に、悪魔がそっとキスをする。 「あなたがいてくれて、良かった。俺を見つけてくれて、俺を選んでくれて、おかげでとても幸福な人生を送ることができた。まだお礼を言っていなかったね。ありがとう」 「お礼を言うのは私の方だろう?ありがとう、湊斗。私と共に生きてくれて」  悪魔は老人の手を握り、今度は頬にキスをした。 「なぁアディ。俺の魂を、今度こそちゃんと食べてくれるだろう?」  老人の声に、悪魔は小さく首を振った。 「お前の魂を食べるような真似はしないよ」  その台詞に、老人はとても悲しそうな顔をした。今にも、泣き出しそうな。 「こういうときぐらい、食べるって言ってくれても良いだろう?お前の血肉になって、お前とひとつになりたいんだ。そうすれば、寂しいことはないだろう?」 「湊斗…」  老人は、悪魔の美しく瑞々しい手に触れ、そっと涙を流した。 「先にお前を残して逝く俺を、どうか許して欲しい。どうか、俺をお前の中に入れて欲しい。俺が消えてなくなることで、アディが寂しい思いをするんじゃないかって……それだけが心残りなんだ……」 「大丈夫だ。大丈夫だよ。寂しいことは決してないから。愛しているよ、湊斗。だから安心しておやすみ。どうか湊斗、良い夢を」  老人の瞼に、悪魔の唇を感じた。  辺りが暗くなる。それから、白くなる。眩しい光。熱すぎても冷たすぎてもいない眩しい光に湊斗は包まれた────。

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