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第8話

 会社での雄樹は周囲の憧れの存在だ。交わりあうような関係にはなれないと思っていた。自分は夜の住人のようだと。その夜に飛び込んできた太陽はやはり眩しいけれど、一緒にいるとなぜか心が落ち着く。どうしてなのかわからない。理由、理由……理詰めで生きる自分。白か黒か。勝ちか負けか。そんなふうな環に彼の存在はとても不可解なもので。けれど、理由がなくてもいいのだろうか、と環はまぶたを閉じたまま考えていた。今のこの気持ちが、恋しいと、愛しいということなのか、まだわからないけれど……。その感情に名前がなくても……。今こうしてひと時の安息をくれるのが雄樹なら。この想いにそのまま従ってしまってもいいかもしれない。雄樹に引かれるままに──。 「環、でいいよ」 「環さん?」 「呼び捨てで。いつも……その、してる時、呼んでるように」 「マジで!」  嬉しそうな声に、環の胸も少し弾んだ。いきなり起き上がって環を苦しいほどに抱きしめてくる。 「……苦しいよ……」 「環……」 「その代わり」  環はしっかりと釘を刺した。 「ベッドの上だけ、ね?」 「えっ!」 「会社では」 「あるわけないでしょ」 「せめて二人の時は」 「ないない」  首すじに顔を埋めている雄樹の声がだんだん小さくなっていった。そんなにダメージが大きいのか? 自分の一言で一喜一憂する雄樹がおかしくて、多分、彼が初めて環に声をかけた時の気持ちが少しわかったような気がした。 「……決めた」 「ん?」 「全部、環で統一だ」 「……は?」 「面倒くさい。俺はそういうの苦手なんだ! 決めた、全部、環!」 「ちょ……」 「な?」  薄暗い部屋の雰囲気に似合わない爽やかな笑みで見下ろされると、環は一瞬、言葉を失くした。やられる。これは最初のパターンだ。頷いたら負け。頷いたら……。 「……いいよ」 負けでもいい。もう、いい。環は両手を雄樹の首に回した。唇が降りてくる。優しく触れてくる。目を閉じて、回した手に力を込める。雄樹の唇が笑みの形をかたどっているのがわかる。全身で自分を欲しているのがわかる。それだけでいい。もうなにもいらない。初めて見た時から、多分、自分は彼に憧れていたのだから。 「環……笑ってる」 「うん……」 「初めて見たかも」 「雄樹だけね」  夜が深くなっていく。それでも心がほんのり温かいことを幸せに思いながら、環は雄樹の唇に応える。  こんな気持ちが「好き」というなら、環は今、とてもいい気分だった。

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