55 / 96

番外リコス国編:04

 衝撃的な神殿初体験を済ませた蓮だったが、神官たちの異様な風体も少し時間が経つと慣れてしまった。見事な大胸筋や六つに割れた腹筋にはついつい目がいってしまいがちだが、どの神官も穏やかで丁寧だ。それもそうだろう、ずっと不在だった彼らの主が戻ってきたのだから。   「レン様。こちらがリコス神の間ですよ」 「……うわあ、オオカミだらけだ! すごいですね」  柱から壁絵に至るまで、あらゆるところにオオカミがモチーフとして使われている。リコス神の間の奥には大きな石像が祀られていた。それだけは、オオカミじゃない。 「ほえー。なんか怖い顔した人だけどイケメンだなあ。何となく、ウルに似てる気が」 「なんで怖い顔をしていると私に似るのか不本意なのだが……似ていると言われたことは一度もないのに。――あれは、リコス神だ。オオカミの姿を取ることが多いとされているが、このリコスを開国した初代の王だったというのがリコス神の謂れだから、石像は人の姿をしている」  リコス神とは、この世界に来てから幾度となく蓮のピンチを救ってくれた、体躯の良い……というよりぽってりとしたオオカミの姿をした神だ。蓮はリコス神だとも知らずに勝手にジンジャーと名付けてしまったのだが、ジンジャー本人が気に入っているようなのでそのままになっている。ジンジャーが人の姿を取る時は、ふっくらとした幼児で現れる。そのことを知っている蓮は思わず笑ってしまった。 「みんな、ジンジャーの本当の姿を見たことないから、あんなイケメン風になっちゃったんだね、きっと。でもリコスの最初の王様ってことは、ウルのとっても遠い先祖、ってこと? 不機嫌そうな顔だけ遺伝したとか……んん? ジンジャーって、子どもじゃなくて大人の姿が本当なのか? ……ひょえっ」  ぶつぶつと独り言を呟いていた蓮だったが、ふとリコス神の大きな石像の隣に飾られている小さな像を見て間抜けな悲鳴を上げた。 「な、ななななな生首?!」 「レン様。それはリコス神の初代神子にあたる御方の顔です。神子が現れる都度、そこに像を飾ろうと代々言い伝えられてきたのですが……やっと、二つ目を飾ることが出来ましょう」  ほくほくと喜んでいる神官長には悪いが、石像とは言え中々リアルな大きさの形をした生首――首から上だけの石像が二つ、三つと増えたらただひたすら怖い。 「……よく見ると、初代の神子とやらもレンに似ているような気がするな。なんとなく笑っているような口元とか……」 「そうかなあ? 俺の顔はアホっぽいから、こんな綺麗じゃないと思うけど」  真剣な眼差しで見ているウルの呟きに蓮も同じ方向を見ながら首を傾げたところで、ふと誰かに呼ばれたような気がして目を瞬かせた。 (あれ、今の声――怒りのマダムの店を探していた時に、聞こえたのと似ている……)  その呼び声はウルのものとも違う男の声だ。まるでこだまのようにゆらめくその声はすぐに消えてなくなっていく。 (……誰だっけ……)  なんとなくだが、聞き覚えがあるような気がする。アルラの街の中を歩いていた時は、てっきり元の世界で自分を呼び掛けてくれている声だとばかり思っていたのだが。 「お二方」  うーん、と悩んでいる間に、すぐ傍で神官長に呼ばれて蓮は驚きのあまり姿勢がピンと真っすぐになった。神官長へと意識が向いて、呼びかけられたのは気のせいだと自分の中で処理をする。 「リコス神の間は、神官全員で祈りを捧げる場でもあります。そして、こちらにある神子の間はリコス神の神子のために作られたものです」  今いる場所から扉一枚で繋がっている小さな部屋へとウルと一緒に通されたところで、蓮は歓声を上げた。  神殿の中はどこも薄暗く松明が照らされているのだが、神子の間は天井がドーム状になっており濃淡様々な青色のタイルが白い壁に張り巡らされている。細かい青のタイルは複雑な模様を描く。小さな部屋ではあるが、明るくて幻想的な美しさを誇っていた。 「すごい! ここまで綺麗な部屋、元の世界でも見たことないや!」 「神殿にこんな部屋があったとは」  感嘆の声を上げる蓮の隣で、ウルも驚いて息をのむ。神官長がそれを微笑ましく見守っていたところで、蓮は部屋の真ん中に植わっている小さな木に気づいた。 「ああ。その木はですね、神殿にしか育たないキャニスの木です。神狼の木とも呼ばれていて、神殿の庭にたくさん生えていたのですが……。アルラの神子が現れた頃――レン様もこちらにいらっしゃった頃と伺いましたが、その頃にまとめて枯れてしまったのです。今はこの部屋にあるそのキャニスの木が最後の一本でして」 「もしかして……幻の果実の?」  マリナから、神殿の庭にしか育たないという不思議な、とても美味しいという果樹の話を聞いたばかりだ。蓮が慌てて問いかけると神官長は頷いた。 「何か不幸の先触れではないかと、その時は大騒ぎになったものです。こうしてリコス神の神子がウル殿下と共に舞い戻られたことを考えると、もしかしたらキャニスの木が何かしらの奇跡を助け起こしてくれたのかもしれませんね」  感慨深い表情で話す神官長の話を聞きながら、蓮は唯一残ったというキャニスの幼木の前に座り込んだ。幻の絶品スイーツが食べられなくなってしまったというショックは思ったよりも大きい。人というのはもう二度と手に入らないと思うと途端に欲しがるものだといつか聞いたが、まさしくその通りだった。 「レン?」  訝し気に蓮のことを呼んだウルの声も、微妙なショックに打ちひしがれている蓮には届かない。 「……この子だけ育っても、幻の果実はもう無理なのかな……」 「いえ、そんなことは。キャニスの木が上手く育てば、挿し木をして増やせるかもしれません」  しかし育てるのは難しくて、と神官長が言い終える前に蓮が勢いよく立ち上がった。 「やります! 俺が世話をします!!」 「お、おお……それは喜ばしいことですが」  神子が木の世話を? と言いたげな神官長がウルを見やるのも気にすることなく、蓮は一転してわくわくとした気持ちになった。リコス国で何をすればいいのかまだ見当がついていなかったのに、一つ目を見つけた。雑草までおまけにすくすくと成長してしまうという難点はあるものの、植物が育ちが良くなるという、よく分からない能力を生かす時が来たのだ。

ともだちにシェアしよう!