56 / 96

番外リコス国編:05

 また近いうちに来ることを約束して、ゴリマッチョな神官たちに見送られながら神殿を後にする。やることを見つけてホクホクとなった蓮だったが、神殿を訪問したのと同じ衣装でウルの両親――つまり、リコスの王と王妃――に会いに行くことを知り途端に意気が下がってしまった。  神官たちの服装は、蓮の今の衣装を上回るインパクトがあったから気にしなくて済んだ。王城となればまさかあんな大胸筋から腹筋に至るまでむき出しな衣装を着ている者などいないだろう。    「ウルのお父さんとお母さんに、『そんな変な衣装を着ている神子にうちの息子とお付き合いさせられません!』とか言われたらどうしよう……」 「念のため言っておくが、レンが気にしているほど変ではないよ」  再び乗った馬車の中で隣に座ったウルに慰められたものの、蓮はふわっと広がって鳥の羽までついた袖口を見やりながら嘆息した――その時。  突然止まった馬車に周囲が騒然となった。すぐにウルの護衛についていたオーヴァが馬車の扉を開けてウルに状況を報告してくる。 「前方を走っていた馬車の車輪が、ぬかるみに嵌ってしまったようです。我々も加勢して参りますので、少しお待ちを」  簡潔に告げてオーヴァが扉を閉めると、前方から人々がワイワイ言う声が一気に大きくなった。小さな窓からでは、前方の様子を見たくても何も確認することができない。そわそわし始めた蓮の隣で腕を組んでいたウルは、横目で伴侶の様子を見やると小さく嘆息した。 「レン。アルラに在った時と、今とではお前の立場は大きく変わっている」 「でも、俺が俺じゃなくなったわけじゃないからさ。気になるものは、気になる。何か手伝えること、少しでもあるんじゃないかなって」  蓮が訴えると、ウルはそう言うと思っていたと言わんばかりに小窓から様子を窺うと、馬車の扉を開いた。  ウルが先に降りて様子を伺っているのを、扉からそっと顔を出した蓮も見る。前方ではオーヴァが言っていた通り、道から少し外れたところでぬかるみに嵌ってしまったらしく、傾いた馬車があった。ウルと乗っているこの馬車よりも小さいが細やかな装飾が施されているので、庶民の乗り物ではないことは分かる。 「まだ馬車の中に人がいるのかな? あの状態で中にいるのは怖いよね」 「貴族は人前に姿を見せることはあまりしないからな。……この様子だと、もっと応援を呼んだ方が良いか」  蓮には立場を考えろ、と言っておきながらウル自身も前方の馬車を助ける算段を考え始めている。そういうところが好きだな、と蓮はうっかり思ってから再び前方へと視線を戻す。そしてすぐに違和感に気づいた。 「なあ。どうして誰も、ぬかるみのところに板とか入れないのかな。ぬかるみに何でもいいから挟み込んで……こっちの馬車をひいてくれている馬もあっちに連れて行って、一緒にひいてもらったら」 「確かに、人よりも馬の方が力も強いな」  蓮にあっさりと同意したウルが手際よく馬たちから軛を外すと、そのうちの一頭の頭絡を押え持つ。馭者が慌てて手綱を取り付けて前方の馬車へ誘導するのを蓮も付いていく。 「王太子殿下に……神子殿! ここは危険ですよ」  人手は多いのだが、馬の気が昂っているのもあってなかなか救助は進んでいないらしい。馬を宥めに入ったウルたちに任せて、蓮は車輪がしっかりと嵌りこんでいるぬかるみに近づいた。きょろきょろと周囲を見回したが、人家は立ち並んでいるものの蓮が欲しい物は見当たらない。 (……作ってくれた人には申し訳ないけど……他の人の服をぼろぼろにする訳にはいかないし。とりあえず下にはズボンも穿いているし)  意を決して、蓮はひらひらとして鳥の羽があちこちにつけられた神子のための長衣を脱いだ。上半身はウルからもらった青い石の首飾りと下着だけとなったがそれにも構わず、嵌りこんでいる車輪のところに敷く。人々が何をしているのかと見守る中、蓮はひょこりと顔を出す。ちょうどウルが連れてきた馬が軛に繋がれ終えたのが見えた。同じようにこちらを見やって、ぎょっとした顔になったウルに蓮は笑いかけると、「動かしてー!」と声を張り上げる。  ミシミシと音を立てながら動こうとしている馬車から離れて、後ろから押している人々に加わろうとしたところでそれはオーヴァに止められてしまった。  もう一頭の馬の力もあって、車輪は真っ白だった蓮の上衣を茶色く染めながらゆっくりと回り、ぬかるみから無事脱出することができた。大きく馬車が動いて蓮を始めとして後方にいた者たちに泥が降りかかったが、とりあえず馬車が無事動いたことに全員が胸をなでおろした。 「まったく。たかがぬかるみに嵌ったくらいで、いつまで待たせるの?! 折角の外出の日だったのに、気分は最悪よ! お前たちみんな役立たずだこと!!」  馬車の中から激怒する女性の高い声がして、蓮は目を丸くした。ウルたちは軛につないだ馬を再び離す作業をしながらこちらを見ている。泥まみれのまま立ち尽くしている蓮の目の前で扉が開き、華やかなドレスを纏った女性が現れると蓮たちを一瞥した。 「ふん! こんな薄汚れた者どもを見て、私の目まで汚れてしまったじゃない。ああ、もうこんなドレスなんか着ていられないわ、気持ち悪い。ユノー、ぼんやりしていないで早くしなさい!!」  ユノーと呼ばれたのはオーヴァたちと一緒にぬかるみに嵌った馬車を押していた一人だった。少年かと思っていたが、慌てて女性に返事した声は少女のものだ。少女はぬかるみですっかりと泥だらけになった蓮の上衣を取り上げると、主人が馬車の中に戻るのを確認してから蓮のもとに駆け寄った。 「申し訳ありません。こんな上等な布で作られた、大切なお衣装だったのに……こちらのお衣装は私に預からせてください。そちらのオーヴァ様という方のお名前宛に、近いうちに伺います」 「気にしないで。ユノーさんも泥だらけで大変だったね」  女主人の立ち振る舞いに驚いていた蓮だったが、駆け寄ってきて必死に謝る少女に笑いかけると少女は驚いたように目を瞬かせた。  その間に馬車は出立の準備が整い、城へと向かって走り始める。ユノーは慌てて蓮にもう一度深々とお辞儀をすると、蓮の衣装を持ったまま馬車の前方へと駆けていき、馭者台に飛び乗ったようだった。     「……どこかのお姫サマのせいで、王太子殿下のご到着が遅れてしまいますね」 「まあ、こちらが勝手に手伝ったことだ。陛下たちには出直すと伝えてくれ」  オーヴァと話しながら馬を連れて戻ってきたウルは、すっかり泥だらけとなった蓮を見て苦虫を噛みつぶしたような顔になった。自分が羽織っていた外套を脱ぐと何のためらいもなく蓮の肩にかける。 「勝手に手伝ったこととはいえ、己の優しい伴侶がこんなにも泥だらけにされた上に詰られるとは、非情に不満かつ不愉快だ」 「え、えへへ……ごめん、衣装ダメにしちゃった」  ゆらりとウルの蒼い瞳が怒りで薄くなるのを見ながら、蓮は笑いを顔に貼りつけながらもじりじりと後退する足を止めることができなかった。

ともだちにシェアしよう!