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番外編:モフモフ隊日記――新規参入計画

『無事、お勤め終了であります!』  唐突に現れ、ピシッと頭を上げた蛇に、王太子宮の庭を散策していた蓮とジンジャーは足を止めた。すっかりと忘れかけていたが、この小さな蛇は竜の国の王太子に変じていた、あの流れの神だ。お勤めが終わった、ということは――。 「ジェルタ役終了ってこと?」 『左様であります!』  野心の男であり、かつての第三騎士団長、ジェルタ。猫の姿をした流れの神によってどこかに連れ去られたものの、その行方はもう分からない。人の姿に変じることができるこの子蛇がジェルタに扮し、王都を出ていくというストーリーを演じることになっていた。 『つきましては、自分もぜひモフモフ隊に加入させて頂きたく!』  子蛇はそう言うと、頭をぺこりと下げた。モフモフ隊とは、蓮が自分で勝手に作ったもので、特に規約などもない。ジンジャーと視線を交わして口を開こうとした蓮の耳に、鼻で笑う声が聞こえた。 『阿呆か。もふもふというからには、当然もふっとした毛並みが必要であろう。その点、我は十分その資格を満たしている。見よ、この優雅な黒い毛並みを。お前には持ちえないものだ』  ふふん、と笑いながら現れたのは黒い猫だ。そのふてぶてしい顔つき――蓮の焼き魚を奪った泥棒であり、自分を害虫に変じさせたジェルタをお持ち帰りしてくれた救いの主でもある。 「ええと、あなたも流れの神なんでしたっけ」 『そう。我はこの国を救ったのだ、感謝せよ。あの者は二度とこの地は踏めぬ』  感謝? と唸るジンジャーはさて置き、蓮の問いかけにも余裕綽々で答えた黒い猫は、長い尻尾をゆっくりと振りながら子蛇に向けて、優越感ましましの視線を投げた。 『貴様も神の一端を名乗るつもりなのであれば、少しは役立つところを見せよ。たとえばそうだな、リコス――の、神子に見事変じて、身代わりになれるくらいでなければ』 『むう、それもそうですね。承知しました』  子蛇は黒猫にそそのかされるままに尾を持ち上げると、蓮と瓜二つの青年に姿を変じていた。ジェルタ役をしていても露見しなかっただけあって、ジンジャーも蓮と子蛇が変じた青年とを見比べている。黒猫も『ふうん』と声を漏らすと、またニヤリとして見せた。 『それで今日の日暮れまでバレなければ、モフモフ隊に入るのを認めてやろう』 『……なんで貴様がそんなに偉そうなんだ』  文句を言ったジンジャーにも一瞥だけを返すと、黒猫は蓮に『自分についてこい』と指示をする。ジンジャーは呆れた風に首を傾けてから、『わたしはレンの傍にいよう』と呟いて姿を消した。 *** 「ウル、お帰りなさい!」  外套を脱ぎかけたところに顔を出した己の伴侶を見たウルは、眉根を寄せた。顔も声も確かにレンなのだが、なにか違和感を覚える。 「――レン、体調でも悪いのか?」 「ええ? そんなことないけどなあ。あ、お腹が空いたからかも!」  笑顔で近づいてきたレンが、甘えた声で返しながら上目遣いでウルを見上げてくる。いつになく厳しい眼差しを向けても、レンは固まることなく笑っている。 「……ウル?」  己の服を掴もうとした青年の腕を、無意識に掴んでいた。「痛い!」と青年が叫んではいるが、ウルは表情を変えないまま、青年が逃げ出せないように壁側へと押しやる。 「お前は誰だ? 私の伴侶を、どこに隠した」 「な、んで……バレ……」  往生際悪くもがく相手に、更にウルが目を細めたところで、「奥様?!」と扉から驚愕する声が聞こえてきた。レンに付けている侍女のマリナである。 「つい今しがた、お茶などをお出ししましたのに……しかも、これからという時にお声がけしてしまったようですね。マリナはすぐに撤収をば……」 「マリナ、レンはどこにいた?」  お庭の東屋にいらっしゃったはずで……とマリナが言い終える前に、ウルは手荒く青年の身体を突き放すと、取り外して置いていた剣を手に取る。 「えっ、旦那様?! はっ、早まってはなりませんッ! 確かに奥様はお菓子つまみ食いの常習犯ですし、お金には目の色を変えがちですが、私どもにもお優しくて、大切なご主人さまなので……!!」  床に這いつくばった青年を問い詰めようとしたウルだったが、駆け寄りながらマリナが発した言葉が耳に入ってきて、あやうく手許が狂いかけた。ウルも、たとえ偽者とはいえ最愛の伴侶と瓜二つの顔を持つ人間を、躊躇なく切りつけることは――自分で思っていた以上に、難しい。 「これはレンの偽者だ。……正体を現せ」  青年は顔面を蒼白にしたかと思うと、小さな蛇へと姿を変えた。 *** 『……もうバレてしまったか。つまらないものだ。あの王太子も人にしては、随分勘が良いことだな』  くあ、と黒猫はあくびを一つして、咲き綻ぶ花々の中へと飛び込んで消えていった。もう姿は見えないのに、『また会おう、リコス』と声だけがはっきりと聞こえてくる。  マリナに準備してもらった画材で黒猫を描いていた蓮は「あ」と声を上げていた。また描きかけの絵だけが増えてしまう。 「バレたって、なんのことだろう。もしかして、あの子蛇……」 「その通りだ」  ひょあっ、と情けない声を上げた後、蓮は自分の背後をぎこちなく振り返った。そこには気配なくいつの間にか近づいてきたウルがいたのだ。だが、不機嫌を隠さずに眉根を寄せているウルを見て、蓮はあれ、と小首を傾げた。 「……どちらさま、でしょうか? ウルじゃない……ですよね?」  相手はどこからどう見てもウルなのだが、自分に向けられている感情が、他人だ。  目の前に立っていたウルは盛大に嘆息した。そこは、そっくりである。まさか、記憶喪失といった可能性もあるのでは。蓮が慌て始めたところで、ウルのそっくりさんが口を開いた。 「……完敗です。自分はどうやら、モフモフ隊には加入できなさそうだ」  そうぼやくと、目の前でウルの姿が消えた。『ここですよ~!』と今度も声だけが聞こえる。椅子の背もたれから、身を大きく乗り出して確かめようとした蓮だったが、声の主――子蛇を確認する前に、あっさりと背後から伸びてきた手によって抱きかかえられてしまった。 「完敗とは、なんのことだ? 仕置きが必要かと思ったのだが……まあ、良い」 「えっ、お仕置きって?! ……そんなことより、おかえりなさ……」  言い終える前に、噛みつかれる勢いで深く口づけられる。力が抜けたところで再び長椅子に戻された蓮は茫然と自分の旦那様を見やる――と、ようやくウルが表情を緩めた。なんだか、機嫌がとても良さそうだ。 『おかしいなあ。自分は、完璧に変じたつもりなのですが』 「我が伴侶殿からは、甘い香りがするからな。……つまみ食いの常習犯でもあるらしいし」  蓮から体を離したウルによって摘まみ上げられた子蛇は、何時ぞやと同じようにがっくりと項垂れている。 「……なんか、いろいろとバレている……?」  ようやく自分が窮地に追い込まれつつあることを悟った蓮は腰を浮かべかけたが、もふっとした壁にあたった。 「ジンジャー! 良かった、助けに来てくれた?」 『助けたいのは山々だけどね。今回の発案はレンじゃないとだけ、言っておく。その流れの神はわたしが預かろう』  ウルが無言で子蛇をジンジャーの前に置くと、ジンジャーはすっかりお馴染みとなった幼子の姿に変じて子蛇を摘まみ上げた。『まあ、ほどほどに』と遠い目をして言い残すと、蓮を置いて行ってしまった。蓮もできることなら、この場から消えたい。 「何故、さっきのが私ではないと分かった?」  二人きりになってからウルに問われて、蓮は琥珀の瞳を大きく瞬いた。  何故、と問われても、違うと思ったからとしか言いようがない。しかし、蓮の口は自然と「俺を見る時の目の色が違ったから、かな」と答えていた。  再び触れるだけの口づけの後、思い切って蓮がウルの顔を見ると――そこには、蓮だけが知る優しい蒼色があった。 ――なお、後日モフモフ隊には準隊員が一人加わったと、隊長に事後報告があったという。 Fin.

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