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4 - Ⅱ 二人の出逢い
彼女はその瞼を上げた瞬間、微かな違和感を感じていた。カーテンを透かす朝の光も、壁紙も、ベッドカバーの模様も、枕の感触も同じ筈なのに、何故かどこかにおかしなところがあるように感じた。
「ソフィー、朝だよ」
そう言って顔を見せた彼女の養父は深いグリーンの瞳を柔らかく細め、上質なワイシャツの上に黒いエプロンを付けた姿で彼女の部屋を訪れる。
「おはよ、すぐ行く!」
彼女は気付かない。彼女の養父が昨夜眠る前に認識していた養父とは異なる姿である――ヴィンツェンツの異母兄のトキに変わっている――事や、彼女の部屋に掛けられたカレンダーに書かれた年次が昨夜眠る時に書かれていた数字よりも二十五年分遡っている事、そして元々住んでいた筈のドイツの家がスイスに移っており、元々暮らしていた部屋とも異なっている部屋で目を覚ました事に。本能的に感じた違和感の正体に彼女は気付く事なく、変わってしまった世界で一度目の朝を迎えるのだ。リビングで流れていたテレビのニュースでは、速報を知らせるようにドイツで起こった研究所の爆破事件についてアナウンサーが原稿を読み上げていた。
「相変わらず物騒だな、ソフィーも気を付けるんだよ」
トキはスクランブルエッグとサラダ、トーストを乗せた皿をソフィアの前に静かに置いて注意をするように真面目な調子で彼女へ告げる。そんな養父の言葉に「わかってるわよ」と彼女は笑みを浮かべてみせる。そんな姿に「ちゃんと気をつけてくれるなら良いんだけれど――俺、転職しようか?」とトキは眉を下げながら言葉を重ねる。養父である男が実家の手伝いという名の下この国で研究所に勤めている事や、多言語に通じている事、彼が望めば一般的な勤め人としても能力を発揮できる事まで知っていた彼女はそれでも首を横に振る。
「ファーターがそうしたいならしても良いと思うけれど、私の為ってだけでそうするなら嫌よ? それに、次期所長がそんな事したらおじいちゃんが泣くわね」
彼女の言葉に彼は苦笑を隠さず言葉を返す「一人息子の辛い所だ」そんな彼の言葉に彼女は「今の仕事、好きなくせに」と揶揄うような声色で声を投げるのだ。
それからの年月で、彼女は美しく成長した。どこか人形のように整った容貌は少女時代から変わる事なく、あどけない表情を浮かべていた少女はそのダークブルーの瞳に理知的な輝きを持つ女性へと育っていた。それでも、彼女の中では幼い日に感じたわずかな違和感を心の何処かに持ったままであった。誰かが居ない。そんな違和感は彼女が大人と呼ばれる年齢に達した今でも何処かで持ったままであったのだ。
「ねぇ、トキ」
彼女は自身が座るソファがあるリビングと繋がっているダイニングでパソコンに向かう養父へと呼びかける。「なんだい?」柔らかな笑みを浮かべながら彼女に言葉を返す彼に、彼女は「トキの親戚や知り合いに私に似た人っている?」と問いかける。彼女の問いに首を傾げた彼はそれでも真摯に答えを返すのだ。「似てる人はいないかなぁ? こんな綺麗な人はきみくらいだ」そんな養父の言葉に「ふぅん」とだけ返す彼女は開いたままの科学雑誌に視線を落とす。「それにしても、いきなりどうしたんだい?」養父の問いかけに「この間、小さい頃の私と、トキと、私によく似た男の人で一緒に遊ぶ夢を見たの。トキと一緒に居た人が知ってるようで知らない人で、夢にしては妙にリアルだったから」と彼女は答えた。彼女が視線を落とす雑誌の特集は月開発。最近ようやく第一陣が地球へと戻ってきたというその開発に参加した技術者のインタビューが掲載されていた。そこでは彼女と同じダークブルーの瞳に理知的な光を湛えた男が彼女を真っ直ぐに見つめていた。
「それより、今度トキの研究所でやるパーティーでこの人来ないかしら? 来るなら連れて行って欲しいなぁ……なんて」
彼女が話しを買えるように雑誌を見せつけながら養父へ強請れば、彼はその記事を見るように自身が腰を下ろしていたダイニングから彼女の元へとやってくる。「瀬波さんか。分かった、きみの頼みなら頑張ってみようかな」雑誌に視線を落とした養父は彼の父から研究所長の座を譲られていた。そんな彼の答えに嬉しそうに笑みを浮かべた彼女は、その数週間後にはパーティーの会場で養父の隣に立つ事となっていた。
「おかしくないかしら?」
肩までのブロンドは緩くウェーブを描き、メガネの奥ではダークブルーの瞳が不安げに揺れていた。憧れの人に出逢うのだ、美しい彼女は瞳の色と同じダークブルーのドレスに身を纏い隣に立つ養父へと視線を向ける。そんな彼女の言葉に彼は「今日もいつもと変わらず綺麗だよ」と笑みを浮かべる。そうして向かうのは彼女の憧れである瀬波駿馬の元だ。彼の元には既に知り合いであるという日本人の男が向かっており、その男に紹介される形でトキとソフィアは瀬波の前へと進み出る。彼の身体にフィットするように誂えられたのであろうスーツを纏う瀬波を見つめるソフィアは、奇妙な感覚に襲われる――やっと、逢えた――その言葉は、憧れの人に会うと言うのとは少しだけ異なる感覚と共に彼女の脳裏を過る。それはまるで、生き別れた兄妹や、恋人とであったそれのように感じられた。養父といくつかの言葉を交わしていた瀬波はソフィアへと向けられる。
「ソフィア・フェルマーです。雑誌で見てからずっとファンだったの」
そう告げた言葉に嘘はない。しかし、それ以上の感情を感じながら柔らかに笑みを浮かべたソフィアの姿に、瀬波は視線を外せないと言うようにじっと彼女を見つめていた。
「「やっと逢えた」」
その言葉はどちらともなく自然に唇から溢れ、二人は同じ言葉をユニゾンするかのように口にした。その事に驚いたように同じダークブルーの瞳を開いた二人の姿を、面白いものを見るかのように二人の男が見つめていた。
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