1 / 10
不毛な三角形は、こうして作られる。
僕は、まだ何も書かれていなかったノートに一本の線を入れた。
「今日は記念日だって言った!」
「わかってる、わかってる」
「わかってないから言ってる!今日無理やり上司のご機嫌取りまでして非番もぎ取ってきたの!一ヶ月ぶりの貴重な休みの日だし、あなたの誕生日を祝ってあげたかったから!」
古民家を改造したカフェには、いつも静かでお行儀のいいひとしか見かけたことがなかったので今日は例外中の例外、いや、むしろ珍事?
「教授にケツでも撫でさせてやったのか?」
「きーよーはーるぅ!」
見知った客たちばかりしか来ないから、まーくんに後は任せるね。とか言って店主が奥の倉庫に消えてからの、男と男の痴話喧嘩勃発。それもその片方が自分の、奈落噺家の長兄とあって、末弟としては大変居た堪れないが。それにしても、この我が兄の言葉は酷すぎると思う。
「はいはい。三嶋、叫ばなくても聞こえてる。迷惑だろ」
「俺たちしかいないから大丈夫」
正確にはふたりと僕だね。
カウンターの隅に座っていた自分の影の薄さを気にしながら、兄の清春が入店してきてから進行がストップしてしまった宿題を、ひとつにまとめて出来た空いた場所に、ぺったりと顔を横向きに臥せるようにして、斜め後ろ側の音源を振り返る。こっそり息を潜めて他人のように眺めるしかできないのは苦痛だ。いや、違うな。誤魔化すことなく告白すると、憧れの兄の裏側を知ってしまうことが怖いのだ。
清春兄さんは弟の僕が客観視するに、野性味溢れる美丈夫である。身長は成長過程にある僕の頭が兄さんの胸あたりに届くか届かないか、なので(別にぼ、僕がチビというわけではない)かなり大きいし、身体も鍛えているから、しばしば危険な職業の人に勘違いされる、らしい。
僕は兄さんのような、というにはいかなくても、ムキムキの高身長の男になりたいのだ。下から見上げるより、兄さんのようにかっこよく見下ろしたい。それを言うと、「まーくんはこのコンパクトなところがいいんだよぉ」と毎回抱っこしてゴリゴリ「小さくなぁれー」の呪いを仕掛けてくるが、・・・成長期舐めんな。呪いに打ち勝って兄さんよりも大きくなるもん。
「三嶋、忠告。もう学生じゃないんだから。俺たちしかいなくてもマナーくらいは、わきまえろ」
アウトローっぽい見た目に反し、常識人な意見。
そんな兄さんに、お相手の美人さんは目をパチパチして驚いているが、はっと何かに気づいたかのように目つきだけを、より鋭く厳しくする。ちなみに、話し声が常識の範囲内、叫ぶのをやめて潜めるくらいにダウンしたので、僕は変に入っていた身体の力を抜いた。怒鳴り声とか苦手です。
「一週間ぶりの逢瀬に顔もあげないで、よそ見するヤツがお説教?」
「論点がずれてる」
と清春兄さん、いつもの調子でばっさり。
それ正論。正論ですけど。・・・でも、致命的なのは恋人の苛立ちに気づかず、無神経にも視線がずっと手元の端末にやったままなところなわけで。完全にダメダメな兄の姿。余所見しまくりはあからさま。恋人さんには、これらの無作法に申し訳なくなって来た。
ここは身内として出張って、謝るところか?
「レストランを予約してあるんだろ?時間には間に合わせるから、先に野暮用を片付けさせろ」
顔も上げずの無頓着なひとこと。大きな手のひらを恋人さんに向けてストップの合図しかたと思えば、両手を端末に這わせて、ちまちまと忙しなく動かしてから、徐に通話アプリを立ち上げた。
「おい、要たんよ。今から迎えに行ってやるから、そこから動くな。・・・ああん?今日は確かにデートだよ。でも、おまえ電車ストップして困ってるんだろ?かわいい要たんのためなら時間くらい作ってやるって。・・・はいはい、安全運転ね、了解」
「・・・要って、清春の幼なじみだよね。タクシーか歩きで帰って貰ったら?」
何となく通話の内容を察した恋人さんは、ぱくぱく口を開閉させてから、やっとことさ低い声を絞り出した。
「前さ要のかわいさに、とち狂った馬鹿がケツに乗っかろうとしたことがあってな。まぁそんときは俺が渡した改造したスタンガンでバチバチ、でぶのおっさんを撃退して自衛できたらしいんだけど。それがトラウマになっていて、ひとりでタクシーには乗れないんだって」
幼なじみの要くんは確かに人目をひくほどに、かわいい外見をしているが立派な成人男性だ。経理のお仕事をしていて、実家から独立し現在マンションにひとり暮らし中。そのマンションから仕事場までの距離は、駅ひとつ分。歩けば30ほどで帰宅できるのは、清春兄さんとは別の次兄、室生兄さんが言っていたので事実だ。室生兄さんは間違ったことを僕に伝えることがないからね。引っ越し当初はたまに掃除のお手伝い(それをひとはパシリと言う)で、ちょくちょく要くんの家に出入りしていたけど、それを知った室生兄さんが三日月のような笑みを浮かべて、要くんと話し合いをしてからはマンションに呼び出されなくなった。
室生兄さんが言うには、要くんはマンションに僕がくればお迎えに清春兄さんが現れるから、僕を誘うんだって。
つまり。
僕は寝そべったままで、先ほどのノートを手探りで見つけて顔の前に持って来て開く。
つまりだよ。
一本だけ引かれた線を眺めて。そこにもう一本加える。
「要くんは・・・清春兄さんが、好き?だから、お願いをする ?歩いて帰ることもできるのに、わざわざデートを潰すために?」
きゅっと矢印マーク。そして残ったほうにも。
告白すればいいのに。このままじゃあ、要くんは横恋慕したお邪魔虫の何者でもない・・・。
男性なのに美人と言う表現の似合う恋人を残して、清春兄さんの大きな背中が喫茶店から出て行くのを見て、僕はまたひとつ矢印マークを作る。
堪え切れなくて悔し涙目を流している恋人さんからそっと目を逸らしたところで、頭をふんわり撫でられる。
「難しい顔してどうした斑?俺が居ない間に難しい客でもあったか?または常連の誰からにイビられたとか?」
「ち、違う、よ、黄さん」
倉庫の荷物整理を終えたらしい店長さんは、毎度のことで気配を感じさせないので、僕は心臓をバクバクさせてはうぅってなる。「くぅ、かわいいなぁ」何かをボソリと呟いて無精髭の伸びた顔を傾げるのに、急いで首を振ると、カウンターの内側に戻るはずが、なぜか、その逞しい腕は僕を軽々抱き上げてきた。
「も、もしや、俺のまーくんに誰ぞがセクハラを・・・」
「違うって!」
「じゃあ、なんでさ。そんな顔してるの?」
「・・・自分じゃ、どんな顔をしてるのか、わからないよ」
「悩ましい顔。どうしていいのか迷子な感じで」
すっごく、そそられる。と、耳の後ろに唇を押し付けて囁く声は、
「顔が赤くなったなぁ。俺の誘惑が効いたか」
僕の反応に、ニヤニヤと、わかりやすく気を良くするので、とっても恥ずかしくなってきた。
「・・・あっちの泣いている人、気になりません?」
「ああ?・・・なんねぇ」
僕が指で示したほうに首をひねって確認するも、すぐに戻ってきて、きっぱりな返事に仕方なく、これまでの清春兄さんとの成り行きを教えた。
「ふーん?清春、またやってんのか」
「また?ちょっと、そこすごく気になりますけど、まあいいです。兄さんは・・・ええっと、要くんを優先するってことは清春兄さんの特別は要くん、であってますよね?なら、どうして恋人を作るんですか?」
「うーん?どうしてでしょうねぇ」
答えてくれる気がないのか、ニマニマするだけ。いつもの、むちゅっと頬にカサついた唇が触れてきた。
「黄さん!」
「教えて欲しい?」
「はい。お願いします」
「じゃあ、斑からの、ちゅー。・・・お願いならそれなりの誠意を見せて欲しいなぁ、俺は」
迫り来るタコさん唇に、しぶしぶで合わせる。
いち、にー、さん。
随分前にした約束を守って離せば、ペロリと唇を舐められた。
「本当はベロちゅーがイイけど、斑がかわいいので許す。今度はたっぷりの濃厚なちゅーをしようなぁ」
「しません。それより、答え!」
「はいはい。清春が要ラブなのは間違いない。ようするに当て馬作って、本命の気を引きたいって、とこだな。鈍感奥手の要も、そろそろジミぃーな清春の求愛に気づいた感じだし。近いうちにイイ風にラブラブするな、あのふたり」
清春兄さん、最低です。
あんなに泣くほど兄さんを大好きになってくれた恋人さんに失礼です。
「あぁ!斑どうしたっ、なんで泣く!鼻の頭が赤くてなって、ムラムラするほど、かわいいけど!どうしていいのか、俺わからんから、泣くのやめて!」
狼狽えた黄さんに「よちよち」と言われて抱き上げられ(・・・赤ちゃんと勘違いしてる?)ぐるぐる歩き回るのは。僕こと、奈落噺斑の、インテリ兄の室生がやってくるまで続くのだった。
ともだちにシェアしよう!