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第5話

「せっかくなので、君に、ちなんだ動物にしてみたんだが」  墨が乾いたのを確認して姿見に映す直前に、審神者はそんなことを言った。  いや、そう言われなくても彼が描いたのは狐だろうと予想はしていた。  先ほどの彼の鋭い眼差しを思い出す。彼のあんな顔はきっと誰も見たことがないだろう。そう思うとわずかな優越感に口が緩む。  果たして、彼の目には自分がどんな狐に見えているのか、そんな期待と不安が入り混じった気持ちで姿見に掛けられていた布を開いた。  そこに映されていた己の姿を、小狐丸は二度見した。  鏡に映った己の胸には、鋭い目に立派な牙、そして全身に横じまの入った立派な獣がいた。 (これ、狐じゃなくて虎ぁッ!)  そう、そこにいたのは虎だった。  正面を捉えたその顔は美しく、肉食獣ならではの貫禄すらある。どうやら審神者が絵心は本物のようだ。いや、そんなこと、今はどうでもいい。  主は小狐丸にちなんだ動物を描くと言ったはずだ。なのに、どうしてこんなところに虎がいるのだ。狐はどこに行った。  鏡の中の自分は両目を大きく見開いたまま開けたまま固まっている。 (もしかして、また名前を……間違えられたのか?)  今日出会った時、主は己を猫だと呼んだ。訂正したが、この短い間に狐が虎に変化してしまったんじゃないだろうか。彼の記憶はそれほどまでに脆く、儚いものなのかもしれない。  だとしたら……だとしたら、彼に名前を覚えてもらうために小狐丸に打つ手など、もはやどこにも存在しない。大人しく彼が準備してくれた『てーしゃつ』を着て、その名を読み上げられるのを待つ以外に、あの唇が「小狐丸」と動くことはないのだ。  絶望に打ちひしがれている背後に審神者の気配がした。小狐丸とは対照的に主は背後から鏡を覗いてその出来に満足そうであった。 「うん、よく出来ている」  なんだかその笑顔を見ると気が抜けてしまった。  まあいいか、そんな諦めのような達観のような脱力が体と心を支配していく。  名前を覚えていなくとも、彼が己のために一心不乱に描いてくれたことには事実なのだから。名を呼ばれることに固執などしなくてもよい。  彼が自分を大切にしてくれる証がここにあるじゃないか。  そう気を取り直して、背後の主を振り返った。そして思い切って頭一つ小さな主に尋ねてみた。   「に……似合いますか?」  少し照れてしまい、はにかんでしまったが仕方ない。  普段控えめで少し堅苦しい彼の思い切った問いに、審神者は二、三瞬いたが、すぐに優しい笑顔で頷いてくれた。 「ああ、よく似合ってるよ。――小狐丸」  最後の言葉に、小狐丸は我が耳を疑った。 (今、ぬしさまが……私を呼んだ……?)  確かに聞こえたはずなのに幻聴かと疑うほど、信じられずに硬直してしまう。  呼んだ本人はその驚いた様子を別の意味に捉えたらしく、いつものようにバツの悪そうな顔で頭を掻く。 「おや、また間違えてしまったかな」 「いえ、合っております!」  我に返り、慌てて肯定すると身を乗り出すように彼に迫ってしまった。すぐに姿勢を正すも、その喜びに顔が緩んでしまうのはどうしようもなかった。  そんな笑う狐を眺めながら、審神者もまた目を細めた。 「やはり君は笑うと大きな猫のようだ」  そんな風に言われると小狐丸は我慢できず、人目をはばからず笑った。 完

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