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序章

 河童の妙薬。  河童の一族に伝わる秘伝の薬の事を、人間の世界ではそう呼んでいるらしい。  どんな傷でもなかった事にしてしまうと言われている。 「きゅ……きゅぅ」  大好物のキュウリを齧りながら大きな葉っぱの傘をさして、首から妙薬の入った小瓶をつるして、おいらは泣きながら道をテクテクと歩いていた。  一日、きゅうりは二本までと決められていたのだが、三本目を食べたくて、ついつい弟河童のキュウリをねこばばしてしまった事から、兄河童から叱られ、喧嘩の末に住処を飛び出してきたのだ。  妙薬は勢いで持ってきてしまった。  とぼとぼとぼ。  今まで沼から離れたことがないのに、行くところなんであるわけがない。  ぽつぽつと振っていた雨は大降りになってきて、すごく寒かったおいらは、ふと近くに止まる車に気づいた。  おいらは河童だけれど、兄河童はたまに人の里に人間に化けて降りていて、そのお土産に車の本を買ってきてくれたので知っているのだ。 「きゅう?」  少しだけ雨風を凌げるとワクワクしながら近づけば、何故かその車には屋根がない。  すぽーつーかーと言うのがあると、本で見たことがあるのでそれなのだろう。  これでは、雨風は凌げない……。    助手席側から覗き込むと、運転席で一人の人間の男が、ハンドルに突っ伏しながら泣いていた。  中々の強い雨の中なのに、不思議な事をしている人間は、大きな体の黒髪の男だった。  人間は河童と違って雨が嫌いだと聞いていたが、違う事もあるのだろうか。 「くそっ……なんで俺は……!」  ガン、とハンドルを叩く音においらはびっくりする。  思わず落ちそうになって恨めし気にじっと見つめてみるが、人間は基本的においらたちを見る事はできないため、この男もおいらの事が見えていないみたいだった。  おいらは小さな体を窓から滑りこませて、助手席へとコロンと転がった。  どうせ、雨に濡れたのだから、おいらの身体が乗ってもばれないだろう。  いつもなら人間に近づこうなんて思わないけれど、その時は、きまぐれと寂しさと、あと男がおいらと同じ風に泣いていたから、ほんのちょっとだけ興味が沸いた。  どうせ行くところもないから、この男が泣き止むまで傍で見ていてやろう、とおいらはその時決めた。 ――この物語は、そんなきまぐれな小河童が繋ぐ、素直になれない二人の夫夫の物語である。

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