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第1話 街での二人
「グレン、もうちょっと離れて歩かない?」
「ダメだ。こんな人混みで、はぐれたらどうするつもりだ」
ふかふかの獣毛に覆われた指が、シリルの手をキュ、と掴む。滑らかな毛の感触が心地いいけれど、ひとまわり大きなグレンに手を引かれていると、まるでシリルが保護されるべき子供のようで恥ずかしい。
(付き合う、というか番:(つがい)候補になったのはいいけど、グレンって心配症なんだよなぁ)
周りは獣人や人でごった返している。今日は夏至祭で、年に一回太陽に感謝する日だ。夕方になると、領地いちばんの街にある小高い丘で、大がかりな焚き火が焚かれる。焚き火には魔女や悪魔などをかたどった人形をくべて、悪いものを追い出す狙いがある。祭りの屋台や占い小屋がひしめき合う中、人も獣人も入り乱れて歌い踊り、ご馳走を食べてまた踊るのがこの地方の習わしなのだ。幼い頃から楽しみにしてきた祭りは、大人になっても輝きを失わない。
「僕、丘に着いたらソーセージが食べたいな。それに焼きトウモロコシでしょう、あと、この日にしか出ないっていうパン屋のおかみさんが作ったケーキも!」
指を折ってこれから食べるものを数えていると、グレンがクックッと笑いながら肩を揺らす。
「なんでも好きなものを食べればいい。母さんに、晩飯は外で食べると言ってきているしな」
職場の先輩であるセスが、シリルの両親を殺した狼型獣人だったと分かったのは、一か月前のことだ。
彼は獣人と人間の合いの子で、人の姿も獣形も取れると、襲われそうになったときに分かった。オメガであるシリルを狙って狼の獣人に変身したセスだったが、グレンによって殴られ半殺しの目に遭い、今では過去に犯した罪を償うために囚人として暮らしている。
シリルとグレンは、変わらず領主様の屋敷で植物図鑑編纂チームの一員として働いている。セスが残していった鉢植えを見るたびに、少しやるせない気持にはなるけれど、植物に罪はない。それらの世話はシリルが行っている。
「ところでお前の首輪の鍵なんだが、俺が持っていていいのか?」
物思いにふけっていると、出し抜けにグレンが尋ねてきた。
「いいよ。僕が持つより安全だろうし」
グレンはまだ、番の証であるうなじを噛ませるという行為をしていない。
シリルと、黒豹の獣人であるグレンの母が首輪の管理をしていたからというのもあるが、発情期に首輪を外しても、「噛むと痕が残るから」と言って、噛んでくれなかったのだ。グレンなりの優しさだったのだろうが、そう言われたときシリルは少し不満に思えた。
(グレンの意気地無し。少しくらい痛くたっていいのに。それとも、まだ僕を番と思っていないのかな)
次の発情期を迎えたらグレンにうなじを噛んでもらい、職場でも家でも、晴れて「番になりました」と報告するのを、シリルは夢見ているというのに。
(グレンと付き合うことになったって言うと母さんは驚いていたけど、ずっと息子でいてくれるのねって、僕のことを抱きしめてくれた。すごく喜んでたな。……グレンも、母さんくらい感情を表に出してくれればいいのに)
繋いだ手の先をちら、と覗うと、視線が合った。
「なにかして欲しそうな顔をしてるな。……まだ丘まで少しあるが、腹が減ったのか?」
シリルたちが歩く両脇には、商店街が並んでいる。ちょうど焼き林檎のチョコレートがけが、職人によって店頭に並んだところだった。グレンを覗ったその先を見ているのだと勘違いされたようだ。
「ち、ちがっ」
林檎が焼けた甘酸っぱい香りがたちこめ、鼻先をくすぐられる。思わずシリルが唾を飲み込むと、グレンが心得たように「少し待ってろ」と店へと向かった。
「ほら」
紙皿に乗った林檎を渡される。爽やかな林檎と、チョコレートの蕩けるような薫りが食欲をそそる。添えてあった木の棒を差したまま、シリルはチョコがけ林檎にかぶりついた。はじめにチョコレートの酩酊するような甘さがきて、次に皺がいくほど焼けた林檎の皮にやや酸っぱさを感じ、最後にすっかり柔らかくなった果肉から水分があふれ出して口の中一杯に広がってゆく。
「お……、美味しいね、グレン!」
「ああ」
焼き林檎が欲しいと思われたのは誤解だったが、あまりの美味しさに同意を求めてしまった。グレンも初めて食べたのだろう、頷いたあとは夢中で林檎に向き合っている。先ほどまで、グレンが番の証を立ててくれないことに不満を持っていたことなど消し飛んでしまうほど、シリルも林檎を食べることに一心不乱になった。
「あぁ、美味しかった!」
林檎の芯と木の棒しか残っていない紙皿を手に、グレンのほうを向くと、噴き出された。
「グレン?」
「すまん、ちょっと待ってくれ。腹痛い」
そう言って、苦しそうに自らの腹部を押さえている。
「なに? 人の顔見て笑うなんて、失礼だよ、グレン」
憤慨しながら歩いていると、時計店の前を通りかかり、ピカピカに磨かれたショーウィンドーのガラスに、自分の姿が映った。ガラスの中のシリルは、泥棒のイメージそのままに、口の周りに黒い輪のようにチョコレートを付けていた。
「なにこの顔!? ひどいよグレン、笑わないで注意してよ!」
「すまん、あんまりおかしかったから、注意するのも忘れていた。……ほら、取ってやる」
ひとしきり笑って涙を浮かべたグレンが、ポケットから紙ナプキンを取り出し、シリルの口元を拭ってくれる。
「取れた?」
「もう少しだ」
拭われているあいだ、まるで子供に鼻をかませるような格好になる。
(さっきの手を繋ぐのといい、今口を拭われているのといい。周りから見て僕とグレンは、保護者とその子供に見えるかもしれないな)
シリルとグレンは、体の大きさも手の大きさもかなり違うのだ。こんな仕草をしていると、大人とその子供に間違われても仕方ないだろう。
「あら、ガタイのいい雪豹のお兄さん。夏至祭のあと、私と過ごさない?」
胸元を大きく開け、、短いワンピースの裾から太腿を見せた豹の女が、雑踏のあいだからスルリと現れた。同じように露出の激しい格好をした獣人の女たち三人に、あっという間に囲まれる。
「あたしはこの坊やが好みだわ。まだ成人してないだろうけど、年に一度のお祭りだし羽目を外してみない? 安くしとくからさ。……ねぇ、ほんと髭も生えてないんじゃない? つるつるしてる」
狐の獣人にさわさわと顎を撫でられ、思わず飛びすさりグレンにしがみついた。そのようすがおかしかったのか、三人の女が一斉に笑いだす。
「あはは、まだ女は早いのかな。お兄さんの影に隠れちゃってる」
「からかってごめんね、坊や。雪豹のお兄さん、その気になったら『ジェシーの館』に来てね。アルファからオメガ、獣人も人も揃えて待ってるよ!」
騒がしい三人が過ぎると、化粧と香水の残り香がした。
「な、なんだったんだ、今の」
こわごわグレンから離れると、再び手を握られた。
「娼館の客引きだ。祭りになると、風紀が乱れていかんな。休みが終わったら、領主様に報告しないと」
ふう、と悩ましげにため息をつくグレンは、さきほどのことなど日常茶飯事だと言わんばかりだ。なぜか、胸の奥に針を差し込まれたように、ちりちりと痛みが生じてモヤモヤとした。
「僕はからかわれただけだけど、グレンってば思いっきり客だと認識されてたよね。さっきみたいなこと、しょっちゅうあるんだ?」
「聞いてどうする」
「き、聞きたいから聞いちゃ悪い? 質問に質問で返さないでよ」
グレンの目が、急に真面目な光を帯びるので焦ってしまう。鼓動が大きくなる。シリルは聞いてはいけないことを聞いているのだろうか。
(で、でも僕たち一応付き合っているんだし。これくらい聞けなくてどうする!)
グレンの強い眼光に負けないよう、必死で足を踏ん張り向かい合った。しばらく睨み合っていると、グレンが「ふう」とため息をついた。
「スケッチする道具を買いに街に夕方来ると、たまに絡まれることがあるが、今の程度だ。店に行ったことはない。俺はお前が」
「わーっ、分かった! もういいから! 疑ってごめん!」
両手を振り上げ、グレンの言おうとした言葉を封じる。聞かなくても分かっている。きっと「俺はお前が好きだから」とか、「愛しているから」といった甘ったるい言葉が続くのだ。
二人きりの時ならいいが、今いるのは街の往来、しかも浮かれた群衆のど真ん中だ。噂にならないとも限らない。あまり目立ちたくないシリルとしては、休みのあと同僚たちに冷やかされるのだけはごめんだった。
黙っているとグレンがまた手を繋いできそうなので、通りの向こうにある丘目がけて走りだした。
「離れるな、シリル!」
「丘の焚き火のところまで競争しようよ。はぐれたって、目的地は一緒でしょ? 向こうで落ち合おうよ」
そう言い残すと、シリルは恥ずかしい気持ちを打ち消すように足を踏み出し、雑踏へと消えた。
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