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第2話 悩み聞きます
シリルは小走りで人混みを抜け、小高い丘を進んだ。丘の頂上にはすでに大がかりな櫓が組まれ、火が点るのを今かと待ち構える人々がその周りを囲んでいる。傾斜が急なため、息が上がってしまう。
(グレンより少しは早く着くだろうから、色々店を見て廻れるはずだ)
ふと、娼婦たちに絡まれたとき、未成年と間違われたことを思い出した。
(朝剃ってきたからまだ生えてないだけで、僕だって髭くらいあるんだから。……僕って、そんなに子供っぽいのかな)
商売女たちを前にたじろがなかったグレンの馴れたようすが脳裏によぎる。
(グレンは女の人がいる店に行ったことがないって言ってたけど、女の子やほかのオメガと付き合ったことくらいはあるかもしれない。グレンは落ち着いてて男らしくって、背も高くて筋肉質で魅力的だもん)
グレンと可憐な兎の少女が並んでいる姿が頭に思いうかぶ。無口だが腕の立つ豹と臆病な兎は、きっとお似合いだろう。
(そういう経験、ないはずないよね。僕だって働き始めてしばらくは、女の子たちに騒がれてたんだから)
自分で考え始めた想像で、落ち込んでしまう。グレン本人に尋ねたとしても、否定されることは目に見えている。
(グレンのことが知りたい。……夏至祭の会場に行ったら、占いでもしてもらおうかな)
会場に着くと、街よりも人が大勢ひしめき合っていた。恋人同士や親子連れなど、皆朗らかに笑いながら、丘の周囲を取り囲むようにして並ぶ屋台を楽しんでいる。
「いらっしゃい、全部手作りだよ。今日だけのものもあるから、見て行ってね」
アクセサリー雑貨を売る女性から声を掛けられる。ほかにも移動式の馬車に繋がれた、平たいパンに肉を挟んだ軽食を扱う店や、シリルが楽しみにしていた焼きトウモロコシの店、氷で冷やした瓜やオレンジを並べる店、焼きたてのパンにソーセージにポトフまで、さまざまな屋台がひしめき合ってた。
「おじさん、ソーセージ一本。マスタード多めで」
「あいよ、十ギースね」
さっそく目的のひとつを頬張り、人混みから離れた大きめの木に寄りかかる。
(曜日のせいか、今年は盛況だ。焚き火に火が点くまであと少しだし、一番人が多いんだろうな。……こんなに混雑していたら、グレンは僕のこと見付けられないんじゃないかな。焚き火の周りっていってもかなり広いし、場所を細かく決めておけばよかった)
大勢の獣人や人、それに迷路のようにひしめき合う屋台の中で、グレンと上手く落ち合えるだろうかと不安になったとき、ふと手書きの看板が目に入った。
『だれにも言えない悩みを聞きます。話すとスッキリ! 新たな気持ちで夏を迎えましょう。料金十分五ギース、秘密厳守』
「安い……」
五ギースといえば、屋台の値段の半額だ。倍の時間かかっても、ソーセージ一本と同じ金額だと思えば安いものだ。小さなテントの中に入ると、更に仕切りがあって二つに分かれていた。
「すみません、悩みを聞いてもらえますか」
対面して話すように机と椅子が置いてあったので手前の椅子に座ると、眼鏡を掛けた山羊の老人が「いらっしゃい」と紙を差し出してくる。名前を書く欄があったので書き終えると、山羊が手元の砂時計を逆さにする。
「うちは時間制だから、手早く話したほうが得だよ。だけど、ため込んだ鬱憤を、これでもかと長時間話して満足するお客もいるから、人それぞれだね。この砂時計が落ちるのが五分だから、目安にするといい。さて、どんな悩みだい?」
「あの、僕には最近付き合い始めたひとがいるんです。でも、以前付き合っていた人とかいるんじゃないかとか、そんなことばかり考えてしまうんです」
「恋の相談か、若いね。要するに付き合っている人のことを、丸ごと信じられなくなったんだね」
山羊が指を交差させ、肘を机につける。
「そうです……」
シリルは怯んだ。改めて他人の口から聞くと、自分の抱えている悩みがいかに重大なことに気付く。疑っているということは、グレンを完全に信用していないということだ。
「なにかきっかけがあるのかい?」
「僕はオメガなんですが、向こうが番の証をなかなか立ててくれなくて……」
「疑り深くなってしまっているというわけだね」
コクンと頷く。
「話してくれて悪いけれど、私は解決策を提示する役割じゃないんだ。あくまで聞くだけ。周りに言えない彼のいやなところやダメなこと、なんでも愚痴っていいんだよ。……あと五分しかない」
「はい」
空になった砂時計を、老人が再び逆さにする。カタンという音に急かさせるような気がして、慌ててグレンのダメなところを思い浮かべた。
「グレンはいびきを結構かくし、さっきだって僕の口の周りがチョコまみれになったのに、教えてくれなかったし、無口だし……」
「ほう、想い人はグレンというのかい」
「でも、オメガの僕が不安定な発情期に悩まされていたとき、僕を守ろうとして体を鍛えていた。グレンは肝心なことも黙っているから、なにを考えているのか分からないんだ」
そのとき頭になにかが閃き、シリルは席を立った。
そうだ、グレンはシリルが聞けば、答えてくれる。さっきだって「お前が好きだ」と言いかけていたではないか。聞きたいことや言いたいことは、こんな見ず知らずの他人ではなく、本人に直接伝えるべきだ。
「おじさん、聞いてくれてありがとう。五ギース、ここに置いておくよ」
「まだ時間が来ていないがいいのかね?」
「はい、もうスッキリしました」
テントを出ると、辺りを見廻してグレンの姿を探す。焚き火のために組まれた櫓の手前で、皆よりも頭ひとつ大きいのですぐに分かった。グレンからはシリルが見えないのだろう、きょろきょろと目を動かしている。
「こっち、グレン!」
手を振って存在を示すと、グレンが人混みを掻き分けてこちらに向かってくる。
「ずいぶん探したぞ、どこに行ってたんだ」
「ごめん、ちょっと秘密の場所に行ってたんだ」
そういえば、「悩み聞きます」に十分間あまりもいたのだ。追いついたグレンを待たせてしまっているとは思いつかなくて、「ほんとにごめん」と平謝りになる。
「なんだ、またなにか食べていたんだろう? ……なんだ後ろのテント、『悩みを聞きます』? まさか、あそこに行ってたのか」
「はい……」
空のように澄んだ瞳に真正面から見つめられると、正直にいうしかない。きっと呆れられているんだろうな、と下から覗き込むと、グレンはテントを睨んでいた。
「あの店がどうして安いのか知っているか? だれにも言わないという割りに、証明書もなにもなかっただろう。客から得た情報を、情報屋に売っているんだ」
「えっ……」
「個人的な怨恨やだれかの秘密は、思わぬかたちで金になるんだ。名前を聞かれなかったか?」
「あ、名前を書くところがあった」
「お前の秘密は、もうだれかの手に入っているかもな」
シリルは頭を殴られたような気分になった。道理でおやつが買える値段で悩みを聞いてくれたわけだと、妙に腑に落ちた。シリルの好きだ嫌いだという悩みなど欲しがる人もいないだろうが、グレンの名前まで出してしまった。見知らぬだれかに自分たちの恋愛事情が筒抜けになっているなら、かなり恥ずかしい。頭を抱えていると、グレンが低く呟いた。
「そうだな、領主様もああいった輩がいるのは困るだろうし。中はどんなようすだった?」
「ええと、ふたつに仕切られてて、僕は右の山羊のおじさんに聞いてもらった」
「山羊だな、じゃあ俺は左だ。……少し行ってくる」
「え、グレン!?」
言い残すと、グレンは悩み相談室に入ってしまった。数分後、戻ってくるとすぐに胸元からメモ帳を取り出し、鉛筆でなにやら書きつけている。覗き込むと、そこには鼠の獣人が描かれていた。
「お前が見たのは山羊だと言ったな。覚えている限りでいい、容姿を細かく話してくれ」
「あ! もしかして、警察に提出するの?」
「そうだ。自然に流れる情報ならまだしも、これは秘密の闇取引だからな。まさかシリルが引っ掛かるとは思わなかった」
またしても穴があったら入りたい気持ちになる。
「ごめん……。でも、なんでグレンは知っていたの?」
「数年前、お前の両親を殺した獣人を調べているときに、偶然見付けたんだ。俺の場合は情報屋から知ったんだが」
「そうだったんだ……」
シリルたちが領主様のところで働きはじめた頃だろうか。そういえば初めて得た給金を、グレンがあっさり数日で使い果たしていたことを思い出した。そのときは、なんて金使いが荒いんだろうと呆れたものだが。
「……もしかして、だけど。グレンの初任給があっという間になくなったのも、情報屋から買ったからなの?」
おずおずと尋ねると、唸り声が聞こえた。
「あいつらに頼っても、有益な情報は得られなかった。そんなこと、あのときのお前に言えるわけがないだろう」
真の犯人とは毎日職場で会っていたというのに、姿が人間だったためシリルもグレンも分からなかった。なんという皮肉だろう。
そして、グレンが陰ながらそんな働きをしていたことに、胸が熱くなる。彼は出会った当初から、シリルの味方をしてくれた。きっと話していないだけで、ほかにもこのようなことはたくさんあるのだろう。
「ありがとう、グレン。グレンはなんでも黙ってるから、ほんとうに考えていることが伝わらないんだよ。もっと僕に話して、ね?」
似顔絵を描き終わったグレンの手に、自らのそれを重ねる。控えめで無口な獣人は、少し照れたようだった。
「……だが、性格はすぐには変えられんからなぁ」
「だったら、分からないところや疑問があるところを、僕がしつこく尋ねるから。それなら分かるでしょう?」
「ああ、大丈夫だ」
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