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第1話

ニュースキャスターが朝の番組で梅雨入りを発表した日。 兄の奏汰(そうた)が照れ臭そうに告げてきた。 「恋人ができたんだ」 その台詞を聞いたのは今年になって三回目。 さほど驚きもしなかったが、新汰(あらた)は努めて明るく振る舞った。 「わぁ!よかったね、兄さん。おめでとう」 口ではそう言ったものの、心の中では決して祝福などしていない。 ジメジメとしたこの時期に、よくもまぁまた懲りずに恋人なんか作る気になったな。 そんな冷え冷えとした感情しかわいてこないのだ。 「ありがとう、新汰」 嬉しそうに顔を綻ばせる兄を尻目に、新汰は作り笑いのままトーストを齧った。 高校卒業と同時に実家を飛び出した兄の奏汰。 その後を追うようにして弟の新汰も実家を飛び出すと、一人暮らしをする兄のマンションに転がり込んだ。 新汰は近くの大学へ通いながらバイト、奏汰は鑑定士の仕事をしている。 鑑定士といっても様々な種類があるが、兄は宝石鑑定士だ。 世の中には様々な宝石が存在している。 その宝石が本物なのかそうでないのか、本物ならばそのクオリティはどうか。 それらの宝石類を鑑定し、どのくらいの価値になるのかを判断するのが「宝石鑑定士」の仕事だ。 鑑定するだけでなく、それが偽者か本物かどうかを見極める目が必要とされるため、かなりの知識と信頼が求められる。 兄は昔からそういった物の価値やクオリティーを見極める能力に長けていた。 しかし、普段からそういった目利きを必要とされている仕事をしているのにもかかわらず、奏汰が連れてくる恋人のレベルの低さといったらなかった。 こういっては何なのだが、兄の鑑定士としての能力を疑ってしまうほどだ。 物は鑑定できるが、人間は鑑定できない。 天は二物を与えず、というがやはりそうなのだろうか。 しかし、だからといって弟が兄の恋人を否定する権利があるはずもなく。 兄なりの嗜好というものがあるし、新汰が苦言してどうにかなるような問題でもない。 いくら仲の良い兄弟とはいえ、そこに踏み込んではいけないことは重々わかっていた。 けれどいい加減、胸糞が悪くなるような頭の足りない女ばかりを選んでくるのにはうんざりだった。 兄は努力家で真面目で優しい。 そして昔から情に弱い。 泣いて縋られたりして断りきれなかったり、あるいは友人から頼みこまれたりなんかして仕方なく付き合っているに違いない。 「今日は大学は何時に終わるんだ?」 緩く締めていたネクタイを結び直しながら、奏汰が訊ねてきた。 これも毎回の恒例行事だ。 新汰はなるべく通常通りの反応をしてみせた。 「ん〜…18時前かな」 「バイトは休みだろ?なら一緒に飯でも行かないか」 兄は恋人ができると必ず新汰を食事に誘い、そこでわざわざ紹介する。 頭の悪い女を。 「いいよ、彼女も連れてくるんでしょ?」 悪戯っぽく揶揄してみせると、ネクタイを弄っていた奏汰の手がほんの少しだけ止まる。 「あぁ…うん…そうだな」 どこか煮え切らない返事をする兄だったが、その時の新汰は然程(さほど)気にしてはいなかった。 とにかく、さっさと挨拶を済ませていつものようにすればいい。 いつものように。 頭の中はそれだけでいっぱいだ。 「じゃあ、19時にいつもの店でいい?」 「あぁ、店は俺が予約しておくから。気をつけて来いよ」 過保護な兄の台詞にクスリと微笑むと、新汰は「わかった」と返事をして家を出たのだった。

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