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和臣の話(3)

洗濯物のたたみ方。冷蔵庫にビールが冷えてない。つまらないことでイライラがつのった。怒鳴りあうようなけんかをしたことはなかったが、不機嫌な和臣が丸一日口をきかない日や、口論の後で綾人が黙って家を出ていき、夜中にコンビニの袋を下げてそっと帰ってくることが何度かあった。 同棲して8ヶ月が経つ頃、綾人の勤務先のカフェが地権者とのトラブルで移転を余儀なくされ、一時閉店することになった。 確実に開店できる日程の目途が立たないからと店長は他の仕事を探すよう勧めたが、綾人は恩のある店長と開店準備から一緒にやりたいと言いはって、一時的に無職無給になった。 ちょうどその時期、和臣は大手のクライアントを引き先輩から継ぎ、目の回るような忙しさだった。 多忙な人間と暇な人間はかみ合わない。 二人はそれまで以上に気持ちがすれ違うようになった。 9月に入ったばかりのある日、短い口論の後、綾人は三和土(たたき)に出ていた和臣のサンダルをつっかけて、家から出て行った。 原因が何だったか、もう覚えていない。 それほど、些細な事だったのだと思う。 まだ蒸し暑い夜で、和臣は冷えたビールを飲みながら綾人の帰りを待った。フライパンに入っていた麻婆茄子は、彼が戻ったら一緒に食べようと思った。 暑い中、手と時間をかけて作ったのであろう、和臣の好物だった。 頭が冷えると、自分が言いすぎたと素直に分かった。あたり散らして悪かった、いつものようにそう謝ろうと思っていたのに。 缶ビールを4本空け、冷蔵庫に冷えたものがなくなっても、綾人は帰ってこなかった。 それっきり、綾人が和臣のマンションに戻ることはなかった。 電話をしてもつながらず、LINEは未読のままだ。 けんかして飛び出しても、一晩経って帰って来ないことなどなかったのに。 フライパンの麻婆茄子は、翌日には饐えた匂いがしていて、ひどくむなしい気持ちで袋にまとめてゴミに出した。 何日も、何日も、和臣は暗く誰も待っていない部屋に帰った。淡い期待と落胆を繰り返し、綾人はもう帰ってこないのだと自分に言い聞かせた。 家にいるときには不機嫌ばかり巻き散らすようになった自分と、一緒にいることに疲れたのだろう。無理もない。未練たらしく待つのはもうやめよう。 冬物のスーツを出すときに、綾人のものを箱に詰めてクロゼットにしまった。脱いだまま椅子の背にかけてあったエプロンも、奮発して誕生日に買ってあげたヴィンテージのジーンズも。

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