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日曜日の夜
「おい、ちょっと来い!」
怒りを含んだ和臣の声がした。
顔を見なくてもわかる。普段より低く、地を這うように届く声。
キッチンで卵を割ろうとしていたナギサは、自らの指先が冷えるのを感じた。
思ったとおり、ゴルフから帰った和臣は不機嫌だった。
「おっかえりぃ~。」
玄関で明るく出迎えたナギサを一瞥しただけで、ただいまも言わなかった。むしろ、なんでまだいるんだよ、そう言いたげな眼差しで。
疲れて帰ってきた自宅に、他人がいてほしくない気持ちはわかる。上がり框に腰を下ろしてゴルフシューズのひもを解く和臣を刺激しないよう、ナギサはそっとその場を退散し、キッチンに戻ったところだったのに。
ナギサが出ていくと、和臣は寝室に立っていた。
長袖の紳士的なゴルフウェア姿で、まだ靴下も脱がずに凛と立つ姿に、ああ、いいな、と思った。
同時に、それどころではないことにも気づいた。
和臣は、本気で怒った顔で、開いたクロゼットの中を見つめていた。
「おまえ、この箱見ただろ…… 」
低く押し殺した声が、和臣の怒りの強さを表している。
まずいな。これはまずいな。気づかれないように注意して戻したつもりだったけれど。
ナギサはとりあえず笑顔を作り、「え〜?」と鼻にかかった声を上げて、どういう方向で切り抜けるかを考えた。
「俺はな、自分のものをちょっとでも動かされると、わかるんだよ。」
すごむような声に、知ってるよ、と思う。
そんなこと知ってるよ。そういうちょっと神経質なところも、はじめは驚いたけれど嫌いじゃなかった。
「どういうつもりだよ。興味本位で開けたのか?それとも、なんか欲しいものでもあったのかよ?…… おまえ昨日の話、どういうつもりで聞いてたんだよ?」
和臣はナギサをまっすぐに睨みながら詰問した。
「え、エトぉ…… そんな怒んないでよ。洗濯物しまうついでに、あっこれかあ、ってちょっと、ちょっとだけ、ちらっと、見ただけだよ?中漁ってないし、ほんと、ちらっとぉ…… 」
「ふざけるな。」
呪うような低い声に、ナギサはビクッとした。和臣の周りに、黒い怒りの渦が見えるような気がした。
「出ていけ。」
そう言われても、脚がすくんで動けなかった。
ーー 間違えた…… ナギサのキャラを立てつつ、それでも誠実に謝って許しを請うべきだった。
ナギサが動かないのを見ると、和臣は足音を立てて近づき、その腕をつかんだ。
「おまえみたいなのを、少しでも信用した俺がバカだった。」
和臣は静かにそう言うと、つかんだ腕から引きずるように強引にナギサを玄関まで連れて行くと、離した手で強く肩を押した。
「い…… っ!」
バランスを崩したナギサはドアにぶつかってから三和土に腰を打ちつけたが、それを見下ろす和臣の目に心配そうな色はみじんもなかった。
「あ、あの、オレ…… っ」
和臣は弁解を聞こうともせず、ナギサの頭上で鍵を回した。
「おまえが誰で、何なのかなんて、もうどうでもいい。」
冷たくそう言い放つと、和臣は外開きのドアを大きく開いてナギサを膝で押し出した。
そして皮のブーツをつまみ上げると、コンクリートの外廊下に座る持ち主の隣に放り投げ、音を立ててドアを閉めた。
ガチャ、という音が、薄暗い廊下に冷たく響いた。
―― 怖かった……
和臣があんなに怒るなんて。怒るとあんなふうになるなんて。
ナギサは震えが止まらなかった。
悪意をぶつけられること。
力でねじ伏せられること。
毎日それにさらされていたあの日々を、いやでも思い出す。
だいじょうぶ。
あんなに怒ったのは、和臣が綾人 のことを、綾人 との思い出を大切にしている証拠じゃないか。
だいじょうぶ。
だいじょうぶ。
3月の冷たい外廊下に腰を下ろしたまま、ナギサは胸を押さえて何度も深呼吸をした。
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