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月曜日(7)
綾人は何かの理由で、自分だということを隠して俺に近づきたかった。だから姿を変えた。
幽体ならイメージするだけでなんとかなるのかもしれない。
報道によると、綾人は病院に搬送されて間もなく亡くなった。すぐに身元が確認されてニュースになれば、自分が死んだことを俺が知るかもしれないと考えた。
それを避けたかった?
目の前にいる綾人が幽霊だと俺が知ったら、綾人は消えてしまう?
それとも、うちにある荷物の中に、綾人が処分したいものでもあったのだろうか。
だとしたら、もう目的は達成されてしまったのではないか?
どうしても、綾人が「もういなくなっている」方に思考がたどり着いてしまう。
ナギサの姿を探して歩き回った和臣は、自宅マンションのすぐ近くまで来ていた。定時に会社を出てきたのに、あたりはもうすっかり暗い。
和臣は緩い下り坂を歩く。ここは一昨日、スーパーからの帰りにナギサと歩いた道だ。
あのときも、不思議に思ったのだ。
似たような建売住宅の間を抜け、何度も曲がるその道程を、迷わずに歩くナギサの軽い足取りを。
そして。
あのとき、道端にしゃがみこんで固く目を閉じていた和臣は、綾人が自分を呼ぶ声を聞いた。激しい耳鳴りがしていて、動悸も早かった。自分はパニックを起こしていたし、その声は、幻聴か、無意識に記憶から呼び起こしたものだと思っていた。
でもあの声は。
ナギサのものではなかっただろうか。
「和臣」
綾人の声はそう呼んだ。かつてそうだったように。
一緒に住み始めたころ、お互いに、敬称をとって呼び合う練習をした。くすぐったいその時期を思い出すと、胸が苦しくなる。
ナギサが、本人の言うように高校の後輩だったとしたら、和臣のフルネームを知っていてもおかしくはない。ただ、とっさのあの場面で、呼び慣れているわけでもない下の名前が出るとは思えない。
ナギサの声を思い出そうとする。
騒々しい外見と語尾の上がるしゃべり方がじゃまをして、声質そのものを思い出すのが難しい。
が、ナギサの声は綾人より少し低い。
ただ。
ベッドでのうわずった声は、確かに、綾人に似ていると思ったのだ。
不思議に思ったことを思いだした。
どうしてナギサは、来たばかりの和臣の部屋で、ベッドサイドに電灯のリモコンがあることを知っていたのか。そこに手をのばした和臣を、ためらいもなく制したあの時。確かに違和感を覚えたのに、そのまま忘れてしまっていた。
そもそもどうして頑なに消灯を拒んだのだろうか。
消灯すると消えてしまう?
それとも綾人の姿に戻ってしまう?
いや、でも一昨日の夜は、もう寝ると言って消灯することは嫌がらなかった。
ゴルフに行くまだ暗い早朝のベッドに、ナギサは確かに眠っていた。暗い中でも、ふわふわした金髪と小麦色の肩はちゃんと見えた。綾人の姿に戻っても、消えてもいなかった。
それじゃあ綾人が恐れていたのは、なんだったんだろう……
和臣は顔を上げ、南向きに並んだマンションの窓を見上げた。
最上階からの数、右端からの数。ベランダに置いた物干し台の形。何度確認しても、自分の部屋に間違いない。
和臣の部屋に、明かりがついていた。
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