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第1話
「ちょっとアキ、聞いてるん?」
怒りと呆れが混ざった声色に、立浪晶(たつなみあきら)はハッと顔を上げた。眼前には唇を尖らせて晶を睨む、同級生で幼なじみで恋人の早見圭一(はやみけいいち)の姿。帰宅部で中肉中背、身長も低めの晶に対して、陸上部に所属し、ワックスで軽く整えられた黒い短髪に日焼けのあとが眩しい圭一。眉をひそめて睨む圭一の姿に、晶はまた見とれてしまう。
「アキ?」
「……あ、ごめん」
「アキが数式わからん言うからわざわざ部活休んで来たんやろ。なにのんびり寝とんねん」
「ごめんて、ケイくん」
ガラス製ローテーブルの上の教科書は、今日の授業で習ったページが開かれている。計算式の説明文には蛍光ペンで線が引いてあるが、教師に言われた通りに引いただけで晶は理解出来ていなかった。その証拠に、隣にあるルーズリーフは真っ白だ。
「明日、小テストあるんやろ?」
「うん」
「せやったら早よやろうや」
そう言われて、晶は再び教科書を眺めた。xとx²が、数字と記号に挟まれて並んでいる。中学校の数学を適当に流していたツケが今更回ってきて、晶は数学Ⅰの初期ですらつまづいていた。
「だから、そのx²は消したらあかんて。方程式やないんやから」
「2xの2はどないするん?」
「こっちが2の倍数やから、全部2で割ったら消えるやろ」
ルーズリーフの罫線に、数式が並んでいく。xとx²と消された2と、3にされた6、イコール。
「因数分解からやり直しとか、よく高校行けたなお前」
「うっさい」
「つか先週もここ、やったんちゃうん?」
「もう忘れた」
「ほんまもんのアホや……」
ニヤニヤ笑う圭一に、晶は眉を寄せて睨みつけた。圭一は逃げるように窓を見遣り、あ、と声を漏らした。
「雨や」
「……は? 嘘やろ」
「ほんまやって。カーテン閉まってて気付かんかった……うーわ、最悪」
圭一は勢いよく立ち上がると窓際に寄りカーテンを開けた。思ったより大きい音を立てて、雨粒のシャワーが窓ガラスに降る。
「ケイくん、傘は?」
「あるわけないやん。朝の天気予報は晴れやったし」
「じゃあ通り雨やなー。帰る頃には止むんちゃう?」
「なら、いいねんけど……今日チャリやから濡れてるかも。門の前に置きっぱやわ」
「帰り乗れんかったら、うちの駐車場の奥空いてるから置いてったらいいやん」
「俺に二駅分歩けってか? アキ、鬼やで」
「ケイくんなら歩けるやろ」
「アホか。てか駐車場空いてたんやったら最初から置かせろや」
「えーめんどい」
シャープペンシルをクルクル回しながら、晶はクツクツと笑った。外は通り雨にしては大粒で強く叩きつける酷さで、圭一でなくとも憂鬱になる。
「ねーケイくん」
「ん?」
机上の勉強道具一式を放り出して、晶は窓際の圭一に近寄る。圭一の首に腕を回しながら、身体を乗せた。
「……したくなっちゃった」
「はぁ!? おま、勉強はっ?」
「もういいや」
「いいって、あのなぁアキ――っんん、」
晶は圭一にのしかかると唇を重ねた。舌をねじ込み、口内を掃除するように絡めねぶった。仕掛けた晶の方が先に息を切らし、離した唇を唾液の糸が繋ぐ。
「おれ、得意科目は保健体育だけでいいわ」
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