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 五月というのは、とても過ごしやすい時期である。暖かすぎず寒すぎずの穏やかな気候で、新学期の環境にもなれる頃だ。だが、五月病というのがあるように、ストレスが溜りやすい時期でもある。  ここにも一人、ストレスを募らせている少年の姿が。  井瀬塚祥(いせつかしょう)は、隣の席に座るクラスメイトを見つめていた。いや、正確には睨んでいた。ヘッドホンをして机に顔を伏せている彼を。 (あいつ、本当にヘッドホン外さないよな……)  外界からの干渉を全く受け入れないといった様子の彼――園山永緒(そのやまながお)は、高校二年生に上がる時にこの学校に来た転校生だ。彼は朝来てから夕方帰るまで、授業中ですらヘッドホンを外さない。  どの先生に注意されても聞かないため、祥はその責任感の強さを買われて、担任から園山を説得して欲しいと頼まれていたのだ。  それから一週間、ヘッドホンを外すように言い続けてきたが、まるで聞く耳を持たれない。いささか気性が荒い祥にとっては、そろそろ我慢の限界だった。 (くそ、こうなったら実力行使しかない!)  椅子を鳴らして勢いよく立ち上がると、園山の机にバンッと渾身の力で手を叩きつける。    それに驚いた様子も見せずに、園山はゆっくりと顔を上げた。祥はできるだけ静かな口調で話しかける。 「お前さ、いつもそのヘッドホン外さないよな」 「……」 「何で外さないの?」 「外したくないから」 「何で外したくないの?」 「……別に、そっちには関係ない事だし」  その一言で、遂に祥の堪忍袋の緒が切れた。園山の胸倉を掴んで無理矢理立ち上がらせると、鋭い視線を送りつける。こちらの方の背が低いため不恰好になってしまったが、そんなことに気を取られてなどいられない。 「お前さ、そんなこと言ってるけど、周りの人がどう思ってるか分かるか」 「周りの人?」 「そう! 授業中もヘッドホン外さないような奴がいたら、教室の風紀が乱れるかもしれない。それに先生だって、一生懸命授業してんのにお前みたいにやる気ない奴がいたら、失礼だろ!」    一度に言い切ったため息が上がってしまった。しかし園山は肩で息をする祥を冷めた視線で見下ろすと、気怠げにその口を開く。 「風紀を乱すとか、そっちが言えることなの?」 「……ッ」  思わず言葉に詰まってしまう。そこに関しては反論できなかったからだ。  実際、自分は今園山の胸倉を掴み上げ、怒鳴りつけている。さらに祥の髪の毛は金に近い色で、長めの前髪の横をヘアピンで留めていた。一見軽薄そうに見えるが、これには一応理由がある。    まさかの反撃にペースを乱されたが、この状況で言い訳をするのは格好が付かない。 「俺はお前のことについて言ってるんだ! 毎日毎日そのヘッドホン外せって言ってんのに、何で外さないんだよ!」   休み時間のため周囲はざわついていたが、急に始まったいさかいに視線が集まってくる。  そんなものさえ刺激となり、苛々を募らせていった。祥が手を強く握り締めた時、何かを感じ取ったのか園山がヘッドホンを外して首にかけた。  だがそれはもう遅い。    園山が察知したものは恐らく正しかった。祥は力を込めた拳を、相手の顔に向かって振りかざす。  が、園山は首だけを横に動かして、それを蝶でも避けるかのようにかわしたのだ。 (避けられた……!?)  園山は、祥が動揺した一瞬の隙を見て、胸倉を掴んでいた手を払い落とした。 (今度こそ!)  さっきよりも勢いをつけて拳を打つ。それも軽く避けられたが、園山の体勢が僅かに崩れた。そこを狙って足を払おうとするが、やはりよけられてしまう。  そうしている間に、相手を壁際に追い詰めることが出来た。 (これで最後だ――)  固く握った拳を繰り出す。怒りの感情を動力源にして放つそれは、一番の威力を持っていた。だが、またしてもひらりと避けられてしまう。    全力を尽くした勢いそのままに、祥の拳はゴキッという嫌な音とともに壁に打ちつけられた。 「もう終わり?」  頭上から澄ました声が聞こえてくる。いとも簡単に全ての攻撃をかわされた屈辱と、あまりにも白々しい園山の態度への憤りが、一気に祥のもとへ押し寄せた。 (こいつ……ッ)   その瞬間始業のチャイムが鳴り、園山は何事もなかったかのように自分の席に着く。  教室内の空気が静まり始め、皆授業に備えようと動き出した。    祥も自席に戻り何とか鬱憤を鎮めようとするのだが、一度頭に血が上ってしまえば、なかなか下がらない。  授業が始まって徐々に落ち着きを取り戻していったものの、その後祥が隣の席を見ることはなかった。

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