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その日の放課後、祥は教室に残されていた。目の前には腕を組んで椅子に腰掛ける担任がいる。
張り詰めた空気が祥を包み込むが、彼は何も言おうとしない。その姿は、二人の間の沈黙を楽しんでいるようにすら見える。
しばらくしてから、ようやく彼が口を開いた。
「で、何で残されたかは分かるよな」
「はい……」
担任の――紫藤豪紀 先生は、溜息をつきながら言った。
「確かにヘッドホンを外させてくれと言ったのは俺だ。だけど、園山に怪我をさせろとは言っていない。……まぁ、今回怪我したのはお前の方みたいだけどな」
先生は包帯が巻かれた祥の右手に目をやった。壁に打ち付けた時に切ってしまったのだ。
「お前、園山の顔を潰すつもりだったのか?」
「そんなこと、無いです」
紫藤先生の目付きは鋭いため、他の先生と話す時よりも緊張する。
名前からするとかなり体格が良い姿を思い浮かべてしまうが、彼は背が低く、男子の中では小さめの祥とあまり変わらない。まだ若くて、後ろから見る分には可愛い方の見た目であるが、それに似合わず目力の強さは凄まじい。
「責任感が強いのはお前の長所だ。けど、感情に任せて行動するのはやめろ」
「はい……」
痛いところを突かれてしまった。今回の事件はそのせいで起こったようなものだ。長所だと言ってフォローを入れてくれたが、短所を直さなければならないことに変わりはない。
「あと喧嘩っ早いところも気をつけろよ」
「はい……」
「さっきから『はい』ばかりだぞ」
「はい――あっ」
「今後またこんなことがあったら、その時は覚悟しとけよ」
「それはもう……反省してます」
眼鏡の下から覗く先生の視線が突き刺さり、祥は体を固くした。
「他に言いたいことはあるか?」
「済みませんでした」
「それは明日園山に言え」
「はい」
こんなに凹んだのはいつ以来だろう。怒られたことに対して落ち込んでいるのではない。自分がしてしまった軽率な行動を悔やんでいるのは言うまでもないし、冷静になってから考えてみると、いきなり殴りかかった自分が悪いに決まっている。
「まぁ、俺が頼み事したせいでお前が気負いすぎたって言うんなら、こっちにも非があるのかもしれないが」
「そんなこと無いです! これは俺のせいで――」
「だから、こんなことになる前に、さっさと誰かに相談しろ」
「はい」
口調はそっけないが、この人は本当に生徒のことをよく見ている。良い先生だ。
「あ、井瀬塚には罰として、明日から一週間数学のプリント出すからな」
「うっ……はい」
(まあ、数学好きだからいいけど)
紫藤先生は数学の担当だ。今回の行いに罰があるのは当然である。このくらいは仕方が無い。これも、祥を思ってのことなのだろう。良い先生だ。
「あ、そうだ井瀬塚――」
「センセー、分からないトコがあるんだけど……って、あれ、取り込み中?」
突然教室のドアが開く。そこから入ってきたのは、祥とは同じクラスで幼馴染の筑戸優梨 だった。
「いや、もう終わる」
「え、今何か言おうとしてましたよね」
「やっぱり今度でいい。それから、今日はもう閉店」
優梨が入ってきたことで言葉が途切れてしまったが、先生はその続きを話そうとはしなかった。急ぎの用事ではないのだろう。
「えー……俺、質問があったのに」
「まあいい、井瀬塚も筑戸も早く帰れ。一般生徒の下校時刻は六時だからな」
二人は壁に掛けられた時計を見上げた。その針は五時五十八分を指している。
(前言撤回。この人やっぱり鬼だ)
良い先生だと思ったことを少し後悔しながら、祥は優梨を連れて教室から飛び出した。
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