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プロローグ
ガランガランガラン、と鐘の音が響く。
まだ空は白み始めたばかり、朝靄の中に夜の気配がそこかしこ残っているような早朝だ。
こんな朝早くに、こんなばかでかい音を鳴らしては自分を叩き起こすなんて、あまりに不敬すぎるのではないだろうか。それも、ほぼ毎日である。
天蓋付きの寝台の中でもぞもぞうごめきながら、ハリエットは腹を立てていた。昨晩も遅くまで、魔術士長に懇願されて魔術書の解読をしてやっていた。寝入ってからまだそれほど経っていない。
音の主は別にハリエットを起こしたいわけではなく、鐘はすぐ近くにある騎士団兵舎で眠る団員たちを目覚めさせるためのものなのだと魔術士長に聞いてはいる。
けれど騎士団兵舎が王宮に隣接してありながら、王族たちにすこしも気を遣うことなく朝や夕に大鐘を鳴り響かせているのは、王宮があまりに広大すぎるためにその音が王たちのもとまで届くことはないからなのだとも聞いている。
けれど、王宮のはしにある水車塔に暮らすハリエットにはしっかりと聞こえている。それはつまり、ハリエットは彼らに少しも気遣われていないということではないだろうか。
不敬すぎる。なぜだろう、私は『女王蜂』なのに。
大いに疑問だったし、なんとなく即刻誰かに文句を言いたい気分だったが、残念ながら相手がいない。薄暗くこじんまりとしたハリエットの部屋には、基本的に常に彼一人しかいなかった。
仕方がないので枕元に山のように積まれた魔術書のうちの一冊を掴むと、寝台の外に向かって投げつける。それは床の上に積まれた別の魔術書にぶちあたり、ばらばらと本の塔が崩れるおおげさな音が響いた。
少し経つと、何者かが部屋の扉をノックする。と同時に、扉の上部にしつらえられた小窓が開いた。小窓には鉄格子がはめられている。
「ハリエット様、何か大きな物音がいたしましたが、いかがなさいましたか」
同じく先程叩き起こされたばかり――鐘の音になのか、ハリエットの立てた騒音になのかは不明だが――といった様子の女の声が、窓の向こうから聞こえた。ハリエットの世話を命じられた召使だろうが、声に聞き覚えがない。どうやらまた人間を変えられたらしかった。
「大変だぞ、今朝も塔の外に私の安眠を妨げようという不届き者がいる。即時引っ捕らえて叱りつけてやるべきだと思う」
できる限り大仰な口ぶりで言ってみる。けれど日常生活に必要最低限の会話か、よほどの緊急事態が起こりでもしなければ、召使たちがまるでハリエットを相手にしてくれないのは知っていた。
水が飲みたいとか、腹が痛くて転げ回っているとか、魔術書が暴走して炎上したとかじゃないかぎり、彼らは『そうですか』程度の返答すらもよこさないのだ。何人新しい召使が用意されようと、それはいつも変わらなかった。
「………」
通常通り、今日も一切の返答はなく小窓は閉じられる。魔術士長は、「御身のお声より滲み出る威光に恐れをなして皆言葉を失ってしまうのでしょう」などと言っていたが、正直ただ無視されているだけのような気がしている。
ハリエットは胸のあたりがすう、と冷たくなるのを感じた。
ありとあらゆることが、不敬だと思っている。なんだか、魔術士長が日頃言っているのとは随分話が違うような気がすると、近頃ようやく気付きはじめていた。
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