2 / 5
第1話
『女王蜂』は、我が国の至宝。御身は生まれながらに神より多くを与えられ、やがてそれを国と民草に遍く賜して下さる方。
五日に一度必ずハリエットのもとを訪れる魔術士長は、たびたびそんな話をする。
この国――テオメア王国に生まれる子どもに、魔術の素養を持つものが極端に少なくなったのは、ここ百年ほどのことらしい。
テオメア王国には、古くから魔術を研究する者たちが多くいた。魔術とは、もともとは全能の創造神に近づき、その神秘を暴くための学問だったという。しかし言葉を唱えたり陣を描くだけで思うままにあらゆる現象を引き起こすその力は、当然ながら人々の当たり前の暮らしにも大いに役に立った。
国を安寧に治めるため、やがて王国は魔術を大規模に利用するようになった。あらかじめ魔術術式の仕込まれた街を作り、河川の水量を調節したり、魔獣や野盗を避ける結界を張る。あるいは家々の暖炉やランプに火を灯したり、病を治癒することにも魔術は使われた。テオメア王国の主な産業は採掘される宝石による交易だが、その鉱脈を探ることにも魔術が用いられている。
かつては単なる求道者、あるいは研究者だった魔術士たちは、そうして民草に奉仕する存在として働くようになった。彼らは魔力を安定して確保し、それをあらゆる場所に送り込む技術を確立させると、魔術士がおらずとも術式が機能するよう機構を作り上げ、国中に『水車塔』を建てた。
『水車塔』とは地下深くの力源より魔力を吸い上げ、そしてそれを術式に循環させるためのものである。今も独りでに発動する数多の術式には、すべてこの水車塔と呼ばれる魔導器から魔力が送られている。
テオメア王国を人の身体に例えるならば、水車塔はその心臓であり、国中に敷かれた術式は血管、そしてそれを巡る魔力は血液。つまり王国は、今やまさしく魔術によって機能し、生かされていた。それを欠いた暮らしなど考えられず、失われれば恐らく国は国として成り立たない。
ところで魔術士というものは、修練を積めば誰しもがなれるというものではない。魔術を扱えるかどうかは、生まれつきその身体に魔力を引き上げ貯め込むための虚(うろ)を備えているかどうかで完全に決まってしまう。
昔、テオメア王国ではほとんどの子どもが大なり小なり虚(うろ)を備えて生まれてきたというが、ここ百年ほどそれが極端に少なくなった。そしてそれは必然的に、魔術士もその数を減らすことを意味していた。
水車塔の発明によって、術者がおらずとも魔術が行使される仕組が作り上げられたとはいえ、だからといって魔術士が必要なくなったわけではない。術式も水車塔も故障のないように管理し続ける者が必要だし、生活環境の変化にともなって新たな術式を仕込まなければならなくなることもある。
魔術士の減少は、テオメア王国にとってはいわば国家の非常事態だった。国王は魔術士団に素養を持つ子が生まれなくなった原因を探るように命じたが、現在でもほとんどわかっていることはないらしい。
けれど太古の昔よりのあらゆる史料を検(あらた)めた結果、虚を持つ子を確実に孕み、生む方法については判明した。
五千年以上を遡った時代の文書(もんじょ)に残されていた、優れた魔術素養をもつ子ばかりを生み育てた者の記録。
それはかつて『女王蜂』と呼ばれた。
人と変わらない姿かたちをしながら、ただの人とは比べ物にならないほどに膨大な魔力を引き上げる虚をもち、さらに雌雄の区別なく孕むことができる生き物。
そしてそれがその腹から生む子もまた、もれなく広い虚を持っている。その血は濃く、その孫、さらにその子に至るまで、確実に同じ素養をもって生まれるという。女王蜂の血脈は、長らく魔術による繁栄を約束されるのである。
当初は、寓話や神話の類ではないかと思われていた。けれどそれを間違いのない真実であると証明した存在がいる。
近年、それどころかここ数百年を遡っても記録にないほどの高い魔術素養をもつハリエットが生まれたとき、魔術士たちは彼を『女王蜂』ではないかと疑った。
その後、ハリエットが男の身体をしていながら、精巣のほかに女性の生殖器に限りなく近い臓器を備えていることが判明したことで、その疑いは断定されることになった。
この子こそいずれ多くの優れた魔術士を生み出す聖母、テオメアの救世主に違いないと。
ハリエットの両親はそこそこに豊かな暮らしをする平均的な貴族で、魔術士なわけでも、なにか体質的に特異なところがあるわけでもなかったが、どういったわけかハリエットを産み落としたらしい。
女王蜂は大変に希少で、だから大切に大切に守り育てなければいけない。まるで宝玉を宝物庫に厳重にしまいこむみたいに。
そういった理屈で、ハリエットは生まれてすぐに両親から引き離され、王宮に引き取られたらしかった。女王蜂をしまいこむ宝物庫としては、両親の暮らしていた屋敷ではいくぶん役不足だったのだろうとハリエットは理解している。
そして少なくとも物覚えがついてからあと、ハリエットはたった一度だって水車塔の外には出ることなく暮らしてきた。どうやら宝玉は、片時も宝物庫を離れてはならないものらしい。
「で、子どもというのはどうやったら出来るものなのだ?」
魔術士長に、ハリエットは何の気なしに聞いてみた。定例の面会でのことである。
物覚えついてからずっと、ハリエットは魔術士長におのれの使命について言い聞かされてきた。類稀な魔術の才を国のために役立てることも勿論だが、何よりいずれ優れた素養をもつ子どもを残すことを期待されていると。
四つや五つの頃にはふうんそうなのか、と思うくらいで深く考えることもなかったが、ハリエットはもう九つである。どうやって子どもを作ればいいのかについては説明されていないことに、やっと気づいたのだった。
「……年齢を重ね、心身が成熟すると、人は番(つがい)というものを求めます。一般的には、妻や夫という名称を使うことが多いですが」
「ああ、それは知っている。この本にも書いてあったぞ」
ハリエットは、魔術書の山の下に隠れていた絵本を引きずり出して魔術士長に見せた。
凶暴なドラゴンに拐われ、高い塔に幽閉された美しい姫を、勇敢な騎士が救いに来る。姫を救った騎士は、その行為の報酬として姫を妻とする。めでたしめでたし。そういった内容の絵本である。
「状況からして、父親と母親がいると子どもが出来るらしいのも想像できる。だが、どうやったら子どもが出来るのかはしらない」
「それは……」
「優秀な子を残せということは、いつか私も番を見つけて、そしてそれと子どもを作るということであろう。その番というのはどうやったら見つかって、どうやって子どもを作るのだ?」
「子どもは…………カンムリオオドリが運んでまいります。善き夫婦の元には、産着(うぶぎ)に包(くる)んだ赤子をカンムリオオドリが運んでくると決まっているのです」
「……鳥がか!?一体どこから!?」
「さあ、それは何人(なんぴと)も知り得ぬことです……さてハリエット様、そろそろ今回の成果についてご報告頂けますか」
番についての回答がまだだったが、魔術士長は有無をいわさぬ様子だった。
一般的には”初老”とか言われるような年齢らしいが、魔術士長は老人のようには全く見えない。艶やかな髪を腰まで伸ばし、女のようにたおやかな印象の彼は、しかし同時に常にひどく厳しい表情をしてもいるせいか、存在そのものに気圧されるような迫力があった。
魔術士長がハリエットに面会を求める主な目的は、ハリエットの仕事ぶりを確認し、新たな仕事を与えることにある。ハリエットに子どもの作り方を教えるためではない。
ハリエットはしぶしぶこの五日間の『成果』を話した。
「素晴らしい、この短期間で七冊。特にこの、フラウミン湖底の力源と第二〇三号水車塔間の魔力路の解除術式については、火急に解読を必要としておりましたので。メロア領の領民たちも感謝の言葉が尽きないことでしょう」
「ふふん、当然だ」
その気になればもう二、三冊はいけたぞ、と胸を張って言うと、魔術士長は革手袋をはめた手でぎこちなくハリエットの頭を撫でた。なんとなく、壊れ物に触れるみたいなみたいなおそるおそるした手つきだなと前から思っている。
魔術士の減少と同時に、適切に受け継がれず読み解くことが不可能になった術式や機構は数多くあるといい、それらの解読は魔術士団にとって現在急務になっているらしかった。
しかし魔術というのはそもそも虚に魔力を湛(たた)えてこそ理解できるような性質のものであって、ろくなそれを持たない現代の魔術士に読み取れるものなどごく僅かだという。
よって必然的に、それらはほとんどハリエット一人の仕事となっていた。魔術士長は負担が大きすぎるのではないかといつも恐縮しているが、ハリエットにとってはなぜ出来ないのか理解できないくらいに簡単な作業である。相性がいいものなら、本に手をかざすだけですべてを読み取れてしまうことすらあった。
容易にこなせるものというのはそれだけで面白いし、うまく出来ると魔術士長が珍しくその顔を少しばかりほころばせてみせるのも気に入っている。それに一応報酬もある。ハリエットは、この仕事が嫌いではなかった。
「さて、我が君。今回の報酬は一体何をご所望でしょうか」
聞きながら、魔術士長の目線は執務机の上にある大きな空(から)のガラス瓶に向いている。真円の球体に四つの猫脚がついたそれには、普段はいっぱいに色とりどりの飴玉が詰まっていて、ハリエットの主な報酬のうちの一つだった。
お腹をこわすかもしれないので一日一〇粒までで、と魔術士長に区切りを作られるくらいには、ハリエットは飴玉が好きだ。
「報酬……報酬な。……なにがよいだろう」
けれど不思議と、今日は飴玉がほしいとは思わなかった。なぜだろう、と首をかしげると、魔術士長が膝をついて顔を覗き込んでくる。
いつもは見上げるほど高くにあるつむじが、今は目の前に見えることがすこし可笑しい。魔術士長は恐ろしいほどの無表情に朴訥とした口調が相まって常に人を殺しそうな雰囲気を纏わせている人だが、今はなんだかやさしい目をしていた。
「……どうかなさいましたか。使用人たちからも、常(つね)よりもお元気が無いようだと報告を受けておりますが」
つい先日から――あるいはそれよりもっとずっと前から、胸のあたりが『冷たい』感じがしている。なんとなく、そのせいではないかという気がしていた。
冷たくて、少しだけざわざわして、誰でもいいから手のひらを握ってほしいような気持ちになる”かたまり”が、胸のうちにひっそりとしまわれているのだ。
「最近な、この辺りが、なにか……、つめたい」
「……冷たい?」
「うん。なんだかな、すーっとして、部屋がいつもより広い感じがするし、お前や召使たちが早く私に会いにくればいいのにと思う」
これは、なんだろう。病気だろうか。胸をあたりを押さえながら言うと、魔術士長は一瞬目を瞠ったようだった。それから、片手でゆっくりと顎の輪郭を撫ぜはじめる。彼の考え込む時の癖だった。
「だからな、私は早く子作りをするべきなのではないかと思うのだ」
「……は?」
「私は、まだ女王蜂としての役目を半分しか果たせていない。だから、この辺りがすーすーするのではないかと思うのだ」
なので、子作りの相手を連れてきてほしい。いわゆる番というやつだな! 笑顔で言うハリエットを前に、魔術士長は青い顔をして硬直している。
「……どうした?だめか?」
「いえ……いえ、ハリエット様。御身は、まだとても……幼いのです。貴方をそのように思い煩わせてしまった己を、私は恥じます。すでに貴方は、ご年齢に見合わない堂々たるお働きぶりで日々民草を助けて下さっています。これ以上何かをなさらなければならないということなど、あるはずもございません」
「……だが、」
「それに番は、何者でも良いというものではないのです。私などがご用意できるような種類のものではありません。偉大なる御身の連れ添いとなる者です……それが一体どこの誰であるのかは、御身が女王蜂として成熟したとき、自ずと明らかになることになっております」
「『明らかになる』?」
「ええ。……来(きた)るべきときが来れば、確かに間違いなく、御身にはすぐにおわかりになります。ハリエット様はその時、たった一人の番をお選びになるのです。しかしそれはまだずっと先、年月を重ね、御身が婚姻に相応しい年齢になったのちのことです」
「……ふうん?」
次に伺う際には、必ず報酬を持ってまいります。それだけ言って、魔術士長はその日は帰っていった。
◇◆
五日ののち、魔術士長は二つのものを携えてハリエットの居室へやってきた。陶製のボンボニエールにいっぱいの飴玉と、それから人間の子どもだ。
「だ、っだ、だだだ、誰だ!それは!」
「私の孫です。この国の第五王子でもあります」
いつも通り、表情筋をぴくりとも動かさないまま魔術士長は言う。隣には、魔術士長の腰ほどの背丈の子どもが立っていた。
頭髪は魔術士長と同じ黒髪だが、瞳は金色ではなく青色をしている。
すんなり整った輪郭の線と形の良い眼(まなこ)、意志の強さを感じさせる眉。血の繋がりを確かに感じさせる程度には、二人は面立ちも似ていた。
「……王子が孫だと?ではお前は王の父親だったのか!?」
「そうではなく、私の娘が王に嫁いで授かった子です。……我が君、お加減が優れないのでしょうか?」
魔術士長が見慣れない”生き物”を部屋に引き入れるのを見た途端、ハリエットは思わず寝台の中にもぐりこんでいた。
考えてみれば、同じ年の頃の人間に会うのはこれが初めてである。大人とばかり関わってきたせいか、頭も手も何もかもがちいさく設(しつら)えられたソレはハリエットには何かものすごく奇妙なもののように見えた。
もっとも、ハリエットも似たような見た目をしているはずなのだけれど。
「べ、べつにそうではなくて……あの、ソ、ソレに驚いたのだ」
「成程。しかし日の高いうちから寝台に上がるというのは、あまり高貴な振る舞いとは思えませんが」
「し、しかしだな……どこの誰ともわからぬものを許しも請わずに部屋に上げるなど、不敬ではないのか?というか、ソレはなんなのだ。なんでそんなものを連れてきたのだ」
「……そうですね、確かに先に説明を済ませるべきでした。御身のせめてもの無聊(ぶりょう)のお慰みにと連れてきた子です。この子も生涯をこの国の中枢で生きることを定められた者ですゆえ、長じてのちは必然的に関わり合うことになるでしょう。どうか友人になってやっては頂けませんか」
「……ゆうじん?」
それはつまり、いわゆる”友だち”というやつのことだろうか。水車塔の外の世界について、魔術士長が持ってくる絵本や文芸書を読んでハリエットもそれなりに知っている。そのうちの何冊かには、確かに”友だち”というものが登場した。
それは親子や兄弟、夫婦などのように血縁や書面による契約という裏付けを持たない、非常にあやふやな関係性だったと記憶している。一体どのような条件が揃えばその関係性が成立したとみなされるのか、ハリエットにはよくわからなかった。けれど物語の登場人物たちは、大抵そんな”友だち”という存在をやたらと尊んでいたし、愛していた気がする。
「わ、私は……友人というものを、よくしらない」
「ええ、初めは誰しもがそうでしょう。関わり合ううち、自然と友人になっていくものなのです。ですからこの子を、これから時々こちらに伺わせます。さあ、ご挨拶を」
「……『ソレ』ではなく、シナンという。よろしく」
天蓋のカーテンからおそるおそる顔だけ出してみると、シナンは全く怖じける様子もなくこちらをじいと見つめていた。朴訥とした口調まで魔術士長に似ているようだったが、その瞳だけは彼と違ってきらきらとしている。飴玉みたいだった。
そして言うとおり、それからときおりシナンはハリエットの部屋を訪れるようになった。
ともだちにシェアしよう!