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第1話

「ビー! そろそろ帰ろう!」  鼻を鳴らして歩いていく愛犬の背中を追いかけながら、片桐蓮(かたぎりれん)は思わず声を上げた。照りつける八月の強い日差しが、耳元までの柔らかな茶色の髪に反射する。    肌にまとわりつく暑さに、蓮はため息をつくと額ににじんだ汗を手の甲でぬぐった。  透けるような薄茶色の、くっきりと大きな瞳。血色のよい唇に色素の薄い白い肌は、ハーフみたいだと子供の頃からよく言われる。一見少女のようにも見える中性的で整った容姿は、この小さな町では人目を惹いた。 「あら、レンくん! 帰ってたの。大学は夏休み?」 「はい、今日戻ったばっかりで……わ、ちょっと待てってば!」  ビーは脇目もふらず、通りをずんずん進んでいく。すれ違いざま声をかけてきた近所のおばさんなどお構いなしだ。「すみません」と会釈すると、蓮はビーに引っ張られるようにその背を追った。 ーーー  結局ビーの気の赴くまま、見覚えのない公園まで来てしまった。ブランコと滑り台などの遊具はあるけれど、がらんとしていて子供の姿も人の気配もない。  それもそうだと蓮は思う。夏空はいつのまにか黒い雲に覆われて、いつ雨が降り出したとしてもおかしくなかった。母の晴子から頼まれた買い出しも済ませた今、一刻も早く家に戻りたい。 「ほら、帰るよー」  しつこく土の匂いを嗅いでいるビーにしびれを切らして、蓮はその体を持ち上げた。ずっしり重い上に、シーズー特有のふさふさとした毛が鼻をくすぐってこそばゆい。  さて戻ろうと踵を返した途端、ぽつ、と額に雨が落ちる気配がした。  まずい。そう思った瞬間、ざあっと激しい音とともにどしゃぶりの雨が降り注ぐ。 「あーもう。マジかー…」  一瞬でびしょ濡れになった髪が額に張り付いた。  慌てて周りを見渡すと、向日葵の花壇の横に、屋根付きの小さな休憩スペースがあるのが目に入る。あそこなら雨宿りできそうだ。  腕の中で小刻みに震えるビーをかばうように、蓮は走り出した。 「うわ……びっしょびしょ」  タオルを持ってきておいて良かった。ボディバッグから取り出したスポーツタオルで手早く自分の髪と服を拭くと、ぺったりと毛が張り付いたビーの体も拭ってやる。    本当についてない。蓮は空を見上げて溜息をついた。帰省一日目だっていうのに、買い物と犬の散歩。普段男手がないからってうちの親、人使い荒すぎだろ。……おまけにこの夕立。    友達からは海だ飲み会だ合コンだと、楽し気な報告がひっきりなしにSNSに届いている。貴重な大学二年の夏休み、三週間も帰ることにしたのは間違いだったのかもしれない。    ふいにポケットの中でスマホが震えた。画面を見ると、友達の馬場から「彼女できました!」とメールが届いていた。家庭的な雰囲気の女の子と、これみよがしに顔をくっつけている馬場の画像付きだ。蓮は「おめでとう」の後に、やけっぱちでビックリマークを連打して送信するとがくりとうなだれた。  …これで友達の中で独り身なの、俺だけだ。    女の子に言い寄られることも多いのに誰とも付き合おうとしない蓮は、仲間内では宝のもちぐされだの草食を極めてるだの、言いたい放題言われている。    けれど昔から、好きになるのは決まって男だった。  相手はクラスメイトだったり、時には先輩だったり。引かれるのは分かっているから、告白はおろか今まで誰とも付き合ったことなんてない。片思いばかりの人生だ。    蓮はベンチに座りこむと、水たまりに降り注ぐ雨の飛沫を見つめた。    恋がしたいと心の底から思う。  恋をして、一度でいいから心から好きだと思える人に愛されてみたい。  そう願うことは贅沢なんだろうか。

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