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第2話
ビーがくうんと鳴いて、蓮は我に返った。
雨は全然止む気配がない。この調子だとしばらくここから動けない。文句を言われるのは間違いないけれど、晴子に迎えに来てもらおうか。
迷いながらスマホの自宅の番号を呼び出そうとした瞬間。ふらりと目の前を通りがかった、ビニール傘をさした男と目が合った。
二〇代後半だろうか。彫りの深い端正な顔立ちをしているけれど、どこか掴みどころのない雰囲気の男だった。
首の中ほどまで無造作に伸びた黒髪に、白いTシャツとくたびれたジーンズ、その上足元はサンダルというラフな格好だ。完全に気を抜いた服装なのだろうけれど、背が高くて均整のとれた体躯のせいかサマになっている。
その気だるげな黒い瞳に、蓮は思わず目を奪われた。
随分と長い間、視線を合わせていた気がした。
男はふと足をとめると、ぱしゃぱしゃと水音をさせてこちらに歩み寄ってくる。
「どうした? 雨宿り?」
屋根の下で肩を並べると、柔らかな低い声で、男は以前からの知り合いのように蓮に話しかけてきた。
「あ……はい。傘忘れちゃって」
「急に降ってきたもんな。犬も一緒?」
「ハイ……」
かっこいいけど、変な人だったらどうしよう。
蓮は一瞬目を泳がせたが、普段知らない人間を警戒するビーが落ち着いていることに少し安心する。
男は「そうか」と呟くと、持っていたビニール傘を蓮の目の前に差し出した。
「これ使って」
「え! いや…いいですっ」
「遠慮すんなって。犬、濡れるだろ。俺んちすぐそこだから大丈夫」
「でも!」
この雨の中借りるのは、いくらなんでも気が引ける。
けれど男は体を屈めると、あたふたしている蓮の足元に畳んだビニール傘を置いた。
目の前を掠めた癖のある黒い髪から、微かに煙草と石鹸に似た香りが漂ってどきりとする。
「そんじゃ」
「え、ちょっと待って……」
男は振り返りもせず、ざあざあと地面に飛沫をあげる夕立の中に踏み出した。広い肩がみるみるうちに濡れて、張り付いたTシャツが骨格をうかびあがらせる。
「あ……ありがとうございます!」
蓮の声は届いたかどうかは分からなかった。ビーがくうんと鳴いてスニーカーに顔をすり寄せたけれど、蓮は小さくなる男の背中を呆然と見つめていた。
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