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最終話
ふいに、頬に当てた手が意思を持って蓮の頬を撫で、包み込んだ。
温かい、と思った次の瞬間、修司の顔が近づいて噛みつくように唇が塞がれた。
崩れそうになった蓮の体を、引き締まった腕が抱きとめる。何度も繰り返される口づけが痛いくらいに甘くて、全身がとろりと溶けていくようだった。
吐息と共に唇が離れると、信じられない思いで蓮は修司を見上げた。薄闇の中、黒い瞳が揺らめいて見えた。背中にまわされた腕に、服越しに感じる体温に、触れられているという実感が今更湧いてきて顔の温度が上がっていく。
「しゅ…じさ…」
「……本当にいいのか、俺で」
修司の、熱を押し殺すように震えた声が問いかける。
「……はい」
「本当に?」
「足りないなら、信じてもらえるまで言います。修司さんがいいんです。……好きなんです」
好きだと言って伝わるなら、好きになってくれるなら、何回でも何十回でも言葉にしたい。
――この人に、愛されたい。
「……大好き」
修司の背に腕をまわすと、蓮はありったけの想いを込めて抱きしめる。
応えるように、修司の手が蓮の髪を優しく撫でた。低く掠れた声が呟く。
「俺も……好きだ」
降ってきた奇跡のような言葉に、蓮は一瞬で頭の中が真っ白になる。
足が震えて、言葉がうまく出てこない。
――夢だったら、一生醒めないで欲しい。
「蓮のことが、好きだ」
繰り返された修司の言葉が、温かな甘い雫になって心を満たしていく。胸いっぱいに溢れだした想いが、新しい涙になって蓮の目からこぼれ落ちた。
息が詰まりそうなほど幸せで、蓮は何度も修司の名前を呼ぶと、その胸に顔を埋めた。
腕の中で泣きじゃくる蓮の背中を撫でながら、修司は込み上げてくる愛しさを確かめるように、その額に頬を寄せる。さらさらとした茶色の髪からは花に似た甘い匂いがした。
もう一度だけ、信じてみようと思った。蓮の真っ直ぐな瞳と、震えながらも紡がれた言葉を。
いつか失うことを恐れるより、もう一度、目の前に差し出された甘ったるい幸福に、気がすむまで溺れてみたい。
――自分のものになると言ってくれた、蓮と一緒に。
◇◇◇
次の日は、晴天だった。透き通るような青い空にうっすらかかる白い雲。
アパートの玄関先で、修司が空を眺めて声を上げる。
「帰したくねえなー」
「俺も、帰りたくないです」
顔を見合わせて、二人で笑いあう。
蓮は幸せを噛みしめながらも、昨夜のことを思い出していた。さんざん泣いた挙句、修司に背中を撫でてもらいながら寝落ちして朝を迎えたという、なんとも不本意な一夜だった。
・・・ほんと、ただの子供じゃないかよ、俺のバカ。少しだけ、キスの先を期待したのに。
蓮は自己嫌悪のあまり、思わず溜息をつく。
「昨日、すみませんでした。……泊めてもらった上に、寝ちゃって」
「いいよ。俺も久しぶりによく寝られた。蓮がいたからだな」
修司が目を細めて笑うから、心がじんと熱くなる。
――俺、本当にこの人を好きになってよかった。
そう思った瞬間、ぽつ、と額に雨が落ちた。
「あ…お天気雨」
青い空から、光を反射しながらはらはらと優しい雨が降り注いだ。
「あはは。すごいタイミング」
空を見上げて声を弾ませる蓮の頬に、贈り物のように小さな雨粒がはじける。もしあの日雨が降らなかったら、きっと出会うことはなかった。
運命なんてものがあるとしたら、この出会いがそうだといいのに。
「蓮」
修司の手が蓮の肩を引いた。「え?」と顔を向けた瞬間、ちゅ、と唇にキスが落ちる。
真っ赤になって硬直する蓮を抱きしめると、修司はその耳元に顔を寄せた。
「会いに行くから。その時は、心の準備しといて」
「そ、それって、『そういう』意味ですか?」
「そうだよ」
悪びれもせず修司は口の端で笑うと、蓮の頭をくしゃりと撫でた。
「……はい。待ってます」
増していく頬の熱さを感じながら、蓮は笑顔で頷いた。
夢だったら、ずっと醒めないで欲しいと願いながら。
◇◇◇
いつもより広く感じる部屋は、まだ蓮の気配が残っている気がした。
見送ったばかりなのに、もう会いたくてたまらない。
先が思いやられると修司は苦笑した。
初めて会ったあの日。傘を差しだした時から、こうなることは決まっていたのかもしれない。
夕立の中で視線をさ迷わせていた蓮が、あまりに儚げに見えたことを懐かしく思い出す。
ふいに雨の匂いがふわりと鼻先に蘇った。
その瞬間だった。せき止めていた川が溢れるように、断片的な小説のイメージがコマ落としのように脳裏を駆け抜けていく。
透き通るような鳶色の瞳の少女。
雨の中に取り残された赤い傘。
窓を叩く、雨音と向日葵。
「あ……」
弾かれたように、修司は転がっていたペンとノートを掴んだ。待ってくれ、と次々と浮かんでは消えていく映像に呼びかける。今、言葉にするから。
夢中でペンを走らせながら思う。
今はただ、蓮のために書こう。一番に読んで欲しい、大切な人のために。
『雨と花』。
ふいに浮かんだタイトルに蓮の姿が重なって、修司は小さく笑みをこぼした。
<おわり>
★最後まで読んでくださった方、リアクションを下さった方、本当に本当にありがとうございます!幸せです。。
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