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第13話
「起きろー」
遠くから修司の声が聞こえた気がした。
自分の部屋ではない、頬にあたる畳の感触に蓮はうっすらと目を開けた。
…寝ちゃったんだ、俺。
まだ修司の家にいることに安堵して再び目を閉じる。酔いがまわっているせいか、湯水に浸かっているように頭がふわふわとして心地良かった。
「…蓮、起きろって」
軽く肩をゆすられたけれど、まだこうしていたい。帰りたく、ない。
嶋さんの声がしないけど、帰ったのかな。意識がぼんやりとしてまとまらない。
沈黙の後、額にかかる髪を梳かすように撫でる優しい指の感触がした。
気持ちいい。こんな幸せな夢なら、ずっと目を閉じていたい。
……本当に、夢?
みるみるうちに鼓動が速まっていく。
蓮がはっと目を開けたのと、唇が柔らかく塞がれたのは、ほぼ同時だった。ほんの一瞬触れた後、修司の端正な顔がふと離れ、その拍子に至近距離で視線がぶつかった。
「あ……」
お互い呆気に取られた顔で見つめあう。
次の瞬間、赤面して体を離した修司を前に、蓮の頭から酔いがいっぺんに吹き飛んだ。
「え…。い、今……」
驚きと戸惑いで頭が破裂しそうで、何から言葉にしていいか分からなかった。
修司は自分のしたことが信じられないという顔で蓮を見つめていたが、やがて掠れた声で呟いた。
「……ごめん。俺、最低だ」
その顔に浮かんでいるのは明らかに後悔で。
蓮は体を起こすと、咄嗟に修司の腕を掴んでいた。
「あのっ…! 全然嫌じゃないです……むしろ、嬉しくて……」
まだ混乱しているけれど、伝えるなら今だと蓮の心が叫んでいた。
声が震える。言葉にするのが怖い。それでも、今言わなかったら絶対に後悔する。
祈るような気持ちで、蓮は修司の腕に触れた手に力を込める。
「俺っ…、修司さんが好きです」
「……ごめん」
間を置かず低く押し出された声に、胸がずんと重く冷たく固まった。
「頭、冷やしてくる。鍵置いてくから、帰る時ポストいれておいて」
腕を掴んだままの手が、修司の手でそっと外された。振り返らずに薄暗い玄関に向かうその背中はひどく遠く見えて、この部屋を出て行ってしまったら、もう二度と手が届かないような気がした。
「……っ、待ってください!……じゃあ、なんでキスなんかしたんですか?」
蓮はよろよろと立ち上がると、ぴくりと動きを止めた修司の背に歩み寄った。
「お願いだから、嫌いなら嫌いって言ってください。そう言ってくれないと、俺、諦められない」
言いながらも、まるで駄々をこねる子供だと蓮は唇を噛みしめる。修司の優しさに付け込んでいる、わずかな望みでもいいから縋りたくて、泣き声をあげるだけの。
修司は小さく息を吐くと、観念したように蓮に向き直った。
「嫌いなわけ、ないだろ」
いつもは気だるげに見える黒い瞳が、激しい色を宿して蓮を見つめた。
「けどな。お前はまだ若くて、これから出会いだってたくさんある。俺よりもずっと蓮の事を大切にできる奴がきっと現れる。小説も書けない、甲斐性も無い、何も持ってない俺なんかに付き合う必要ねえんだよ。一時の恋愛感情なんていつかは必ず醒める。だから蓮の気持ちには応えられない。……俺はもう、誰の事も縛りたくないんだよ」
痛みをこらえるように吐き出された言葉だった。蓮は思わず気圧されて瞳を揺らす。
けれど、目は逸らさないでいたいと思った。
「全然答えになってないです。……どうして勝手に決めるんですか? いつか現れる誰かじゃなくて、俺は修司さんがいいんです。なんにもいらないです。好きだっていってくれたら、それだけで」
「……蓮」
我慢していた涙がぽたぽたと頬から落ちていく。
みっともない。恥ずかしい。きっと、困らせてる。
けれど、そうまでしても俺は、この人に好きだって言って欲しい。
「どうしたら伝わりますか……?」
蓮は手を伸ばすと修司の手を取り、涙で濡れた自分の頬に当てた。そのまま愛おしむように頬を摺り寄せる。大きくて温かい、大好きな手。
「……俺、修司さんのものになりたい」
涙で視界が滲んで修司の顔がぼやけていく。
――心から好きだと思える人に愛されたい。望むのは、ただそれだけなのに。
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