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「いつもそうやって空を見上げてるね。」
まだ子供の声も響かない早朝の公園。ジョギングコースである池のほとり、毎朝見かけるその男に不破は初めて声をかけた。
この地に引っ越してきて数ヶ月。会社にも慣れ土地勘もできた。心に余裕が生まれ周りにも目を向けることが出来るようになった頃、この男の存在に気がついた。
犬の散歩コースなのか、いつも大きな犬を連れている。池を眺めることが出来るベンチに座り、水面ではなく空を見上げている姿を毎朝のように見かけた。
最初はただの風景の一つであったはずの彼が、だんだんと気になり始めたのはいつからだろうか。
不破の問いかけに先に反応を示したのは彼の足元に伏せていた犬だった。主人を守るように立ちあがり尻尾をピンと立てる姿に若干尻込みしていれば、ゆっくりと男がこちらに顔を向けた。
「…………」
「えっと、何をそんなに見ているの?雲?」
いつも空を見上げている瞳が今は自分を映している。
真っ直ぐに向けられる視線が僅かに揺れた。
困惑したような表情。
想像していたよりも綺麗な顔立ちに、緊張していた心が一瞬跳ねた。
「…………」
「えーっと、」
急に話しかけて不審がられたかな。
不破の問い掛けに答えようとしないのに戸惑っていれば、彼は脇に置いていたバッグからノートとボールペンを取り出した。
「…………」
「…あ、」
サラサラと筆が走り、向けられたノートを確認して不破は口を押さえた。
『すみません、私は耳が不自由です』
それだけ書かれたノートを膝に乗せると、男は落ち着かせるように犬の頭を撫でた。主人の手が気持ち良いのか目を細めると、犬はまた足元に伏せる。
「賢いですね。」
そう呟いて、あっと思う。
不破は辺りを見回し小さな枯枝を見つけると、それを使って足元にガリガリと音を響かせ綴った。
『かしこい イヌ ですね』
「…あいあとう」
特有の籠った声。フワリと嬉しそうに笑う男に不破の心臓がまた音を立てた。
青い空が広がる四月。
この日から不破は朝のジョギングに水と一緒にノートを持つようになった。
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