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第1話
仕事がひと段落ついてテーブルをふいていたら店の奥で物音がした。
次に、
「わー!ヒミズ!!」
…店長の悲鳴!?
驚いて店の奥に行くと、…ヒミズさんが倒れている!
店長がヒミズさんの額 に手を置いているところだった。
「まずい!スゴイ熱だよヒミズ!なんで言わなかったの!」
店長は顔を上げて俺を見た。いつになく真剣な表情。
「ハル!アンドー呼んで!」
「は、はい!」
店の電話に飛びついてアンドーさんの番号を押す。
080-8153-9 … … …
オヤ オヤ イチゴ サンキュー … … …
緊急連絡先として店長が番号の覚え方を語呂合わせで教えてくれたけど、緊急時にこの語呂合わせって緊張感ないな…
そんなことを考えながら呼び出し音をしばらく鳴らしてみたが、向こうが出る気配はない。
「店長、アンドーさん、つながりません!」
「折り返してくると思うから、とりあえずヒミズを運ぶの手伝って!」
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
「過労ね。」
ベッドに横たわるヒミズさんを診察していたアンドーさんが、耳から聴診器を外しながらつぶやく。
「ちょっと熱が高いけど、このまま様子を見ましょう。」
アンドーさんがそう言ったところで、ヒミズさんがむくりと起き上がった。
「……へいきです、つかれてなどいません、すぐに店に…もどります」
え――!
「寝てた方がいいですよ、ヒミズさん!」
「そーだよ!店には『臨時休業』って看板、下げとくから!」
「……そんな、わけには」
起き上がろうとするヒミズさんと、店長とアンドーさん。三人の揉み合いが始まる。
俺は部屋の隅でオロオロ見ているしかない。
みんな体が大きいから、まるで、大きな野獣が3匹、ダブルベッドの上でケンカをしているように見える。
少しあって、アンドーさんは急いで自分のカバンに戻った。
中からファーのついた首輪みたいなやつと、細長ーい鎖が出てくる。…ナニアレ。
アンドーさんは口に何やら素早くくわえて、鎖と首輪とをさっと繋ぐと、まだ店長と押し合いをしているヒミズさんのところへ戻って行き、店長に押さえ込まれたヒミズさんの首に果たして首輪をつけてしまった。
かちん、と鍵の閉まる音がする。
アンドーさんは鎖のもう片端をベッドの足に固定すると、くわえていた注射器でヒミズさんの腕になにか注射した。
なんだかみんな殺気立っていて異様な光景だ…こわい!
「鎮静剤よっ!アタシは解熱剤なんて簡単にはあげないんだからね!これでしばらくはおとなしく寝てなさい!こうでもしないとアンタは休みもしないんだから!」
ヒミズさんがおとなしくなると、アンドーさんは点滴をセットして、それからようやく俺たちを振り返った。
「わかってると思うけどサイキ、今日明日はヒミズちゃんにちょっかいだしちゃだめよ。鎖は相当長くとってるから、トイレなんかは自分で出来るだろうし、とにかく安静に寝かせておくのよ。明日の朝、また様子を見に来るから。」
ヒミズさんはぐったりと寝入ってしまったようだ。
茶色でフワフワしたファーのついた首輪が、苦しそうに呼吸を繰り返すヒミズさんの汗ばんだ首筋に巻き付いている。…異様。
アンドーさん、こんなの、いつも持ち歩いているんだろうか…
上目遣いでそっと店長の様子をうかがうと、心配そうにしているのかと思いきや、ほんのりと笑顔を浮かべていたので驚く。
「…鎖につながれたヒミズ、なんか、いいね……野生のケモノを捕獲したみたいになってて、…なんか、…実にいいね…」
…このひと、ナニ言ってるんだ…
「アンタってホントばか!…春川ちゃん、アンタ、サイキをちゃんと見張ってるのよ!?」
なんだか俺が怒られたみたいで、思わず背筋が伸びてしまった。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
店は結局ヒミズさん無しでなんとか閉店まで乗り切った。今日はお客さんが少なくて助かった。店長もいつもよりがんばってくれてたみたいだ。
閉店後、後片付けを済ませて、いつもはヒミズさんがしてくれている現金の管理や帳簿締め、在庫確認や発注処理などの事務処理をひととおり終わらせた頃にはクタクタになっていた。
(…こんなにたくさんの仕事、いつもひとりでこなしてたんだな、ヒミズさん。)
ヒミズさんがひと時でも休んでいるところを、俺は見たことがない。
(…過労、か。)
もっと、俺や店長に頼ってくれてもいいのにな。
ヒミズさんは、完全無欠の完璧主義者なぶん、なんでも一人で抱え込み過ぎな気がする。
「やー、おつかれさま。おなかすいたねー。」
店長が事務所に入ってきた。
いつもはヒミズさんのまかないを食べているから、俺もお腹がぺこぺこだ。空 きすぎてくらくらする。
「ヒミズにも何か食べさせないとね~。ピザでも取ろっか。」
「えっ、ピザですか?」病人に?
「だめかな。こういうときって、ナニ食べさすの?ぼくもヒミズも、お互いあんまり体調壊したことなくて。」
確かに店長って、どこか頑丈そう。
「やっぱり栄養のつくものかな~。特上ステーキとか。」
真顔で言っている。
「…もっと胃腸をいたわってあげないと…。御飯が残ってたので、俺、雑炊作ります。店長の分も作るんで、味見してもらっていいですか?」
ヒミズさんにご飯を作るなんて、恐れ多いし緊張する。
でも雑炊くらいなら、なんとかヒミズさんでも食べられるものが出来るだろう。
1人前用の土鍋を2つ用意して、昆布といりこで丁寧に出汁 をとって粗く味噌をとく。
雑炊のキモは下味 の出来にある、と、俺は勝手に思っている。おいしい具無しお味噌汁を作るつもりで、慎重に味を調える。
ご飯を入れてふつふつ煮立たせ、きざんだニラをくわえると、
「あ、なんかいいニオ~イ」
店長が反応してくれた。
溶き卵を、いつも俺が食べる時より少し多めに作って、店長に出す土鍋にだけくわえて一度だけかき混ぜる。ネギを少し散らし、蓋をしてから店長に声をかけた。
「ヒミズさんのはもう少し煮ておきます。店長、先に味見お願いします。」
店長の前に土鍋を出すと、店長は蓋を開けて匂いを嗅ぎ、
「…食べなくてもわかるね。これ、おいしいやつだ。」
うれしいひとことを言ってくれた。
「お椀、もうひとつ持ってきて。一緒に食べよう。ハルも自分で味見してみなよ。」
うん。上出来だ。店長も、うまいうまいと言って食べてくれている。
早くヒミズさんにも食べてもらいたい。
俺は自分のお椀のぶんをかきこむと、すぐに席を立った。
「もういいの?」
「はい。ヒミズさんもお腹が空いてると思うので。」
「残り、ぼく一人で全部ぺろっと食べちゃいそうだよ。」
店長は申し訳なさそうに言ったが、俺にはその一言がうれしい。
「もちろん!」
笑顔で言って、厨房へ戻った。
救急箱の中から冷却シートを取り出し、水筒にお湯を入れ、紅茶にするか日本茶にするかを悩んで、結局両方を小分けにしてパックに入れることにする。
念のため小さい急須とカップも用意した。
冷蔵庫から冷えたミネラルウオーターを取り出す。
ショルダーバッグをカラにしてそこに用意したものを入れ、肩にかけた。
ご飯もふつふつと柔らかく煮えている。
溶き卵を落として一度だけかき混ぜ、すぐに蓋をして火をとめた。
店長にヒミズさんの部屋の合鍵を借りに行くと、すでに土鍋はカラになっている。
「本当においしかった。はい、これ。」
満足そうに溜息を吐きながら、店長がくれた合鍵には、黒ウサギの形をしたキーホルダーがついていた。やたらふわふわした、女の子っぽいやつ。
「ヒミズも喜ぶよ。」
…だといいな。
「あ、そだ。ヒミズの部屋のクローゼットにパジャマあるから、着替えも手伝ってあげて。たぶん汗かいてるから。」
「はい。」
お盆に鍋敷きを置き、蓋をしたままの土鍋を置いて、慎重に、慎重に、最上階にあるヒミズさんの部屋へと向かった。
ドアをそっと開けてみると部屋のなかは真っ暗だった。
ヒミズさんはまだ眠っているようだ。
つけっぱなしにしている廊下の灯りを頼りに、ベッドの横まで行って、横にあるチェストの上にそっとお盆を下ろす。
カラになった点滴はもう外してあり、チェストとベッドの隙間に押し込まれている。
起こそうか、どうしようか。
せっかくの雑炊が冷めてしまう。お茶だって用意したんだけどな。
おそるおそる、チェストに置かれたランプの照明をつけてみる。
部屋がほんのり明るくなった。
ヒミズさんの寝顔が浮かび上がり、思わず息を飲む。
(…このひとの顔、本当にきれいだな…)
まだ熱があるんだろう、眉間に少し皺を寄せて、苦しそうな呼吸を繰り返している。
まつげ、ながい。
ふだんはきりりとした目尻も、今や、熱のせいか涙がこぼれてしまいそうなほどほんのりと紅い。色白だから化粧をしているようにすら見える。
ランプの灯りに照らされた、まるで彫刻刀で掘り下げたみたいに深くまっすぐな鼻のすじ。
少し開いた唇は、薄くて、端っこは剣の切先のように形よく閉じられている。
―― ああ。描きたい。
気づくと俺はベッドの上に腰を下ろし、ヒミズさんの寝顔を凝視していた。
目が覚めた時の言い訳のために、冷却シートを手に持ってみたりして。
滑らかな肌。
汗ばんでいるせいでおでこに張り付いた産毛が前髪の隙間からちらちらとのぞいていて、
(…かわいい。)
そのとき突然ヒミズさんの目が開いた。
――!!
やばい!!!
「あ!すみません!」
急いで立ち上がって、思わず後ろに2,3歩下がる。
(ヒミズさんは見られるのが大嫌いなのに!)
あ、そうだ冷却シート!
「あの、熱が高いってことだったんで、これ、貼ろうと思って、おでこに…」
おでこ、という言葉 を出した途端、さっきまでの産毛の貼りついたヒミズさんの生え際を思い出し、さらに、それに萌えっとしていた自分をも思い出してうわーっとなる。
そんな俺の耳に、ヒミズさんの苦しそうで重たい声がふいに飛び込んできた。
「……かえってください…」
(………え…)
ひどい声。
…そして、…その内容。
…ですよね。当然そうなるっすよね…。
でも…俺なりに覚悟を決めて、がんばって雑炊まで作ってきたんです。
今食べれば熱々だし、卵もとろとろで、絶対おいしいし…
店長も褒めてくれたし、ヒミズさんも、もしかしたら…って、俺……
――『かえってください』
(帰れ…、って言われた…)
何もしてないのに。ただここに居ただけなのに。
…だんだん、心の底が寒くなる。
(…俺……何を期待していたんだろう。)
別に感謝されたくて来たわけじゃない。だけど…
甘かった。
このひと、俺が見舞いに来たくらいで喜ぶひとじゃなかったんだ。
それどころか、勝手に部屋まで上がり込んでしまった俺を、不愉快極まりなく思っている。
(…いや。)
頭を振る。
こうなることは予想できていた。
こうなったら、俺にだって看病ぐらいできることをちゃんと証明してやろう。
わかってもらって、少しでも認めてもらおう。
と、俺が覚悟を決めなおしたそのとき、ヒミズさんは突然ガバリと起き上がった。
―― じゃらんっ
鎖が鳴る。
あ、このひと、また動こうとしてる!休養とらなきゃだめなのに!
「ダメですよ冷水さんっ、この家からは出られないように、首輪つけられちゃってますから…」
あわあわしながらヒミズさんを声で制すと、ヒミズさんは一度獰猛な野獣みたいな目で俺をにらみ、それからふらん、と脱力したようにベッドに倒れ込んだ。あわわ。
確かに店長の言った通り、シャツは汗でびしょびしょだ。
…でも、おかげで、上半身のきれいな筋肉の形がくっきりと露わになって見える。
あろうことか、俺はこんな状況下でもヒミズさんに見とれそうになっていた。
(だめだって!)
「冷水さん…すごい汗かいてますから…服、着替えたほうがいいんじゃないですか…?着替えるの手伝いますよ、俺…」
言いながら、なるべくヒミズさんを刺激しないようにそっと部屋を見渡す。あそこだ、クローゼット。
店長に教えてもらったとおり、パジャマの替えは、完璧に整頓されたクローゼットの中からすぐに見つかった。
綿製の、肌触りのよさそうな白いパジャマの上下を揃えて、またヒミズさんのところに戻る。
(…せめて着替えくらいさせてもらわないとね。)
体だって冷えてしまう。
委縮して沈みこもうとする笑顔をひっぱりあげ、不自然ながらも口元に必死に貼り付けて、
「失礼します…」
ヒミズさんのシャツのボタンに手を伸ばす……と、ヒミズさんの目がハッと開いた。
伸ばしていた手をすごい勢いで叩き払われる。
「さわるな!」
――!
ヒミズさんは、動かせない体を無理やり動かし、肘をつき仰向けのまま這うようにして後ろへ退いて、俺からいっそう体を離した。
「…はあ…ッ、…はあ…」
きつそうに息をして、本当に動けなくなったのか、マットの上にぐったりと背中を沈めた。
「…たのむから、かえってください…」
目を閉じたまま言われる。
(………。)
―…そんなに、汚いですか、俺は。
……哀しいというよりは、だんだんと腹が立ってきた。
このひと、こんなにきつそうにしてるのに、それでもなお、人を…俺を、完全に拒絶することに必死になっている。
「…俺、そんなに汚いですか?」
そこまでひとを拒む理由が、それですか?
自分以外の人間は、そんなに汚いんですか?
「ちゃんと手、洗いましたし、…たぶん、冷水さんが思ってるよりは…マシだと、思います。」
…そうとも。
俺だって、くたくたなんだ。
今日は一日たっぷり働いて、閉店後もダメ出し覚悟でヒミズさんの普段の仕事を出来る範囲でやりきった。
そのあとで、あなたのために、食べてもらえもしない雑炊まで作って…
…くたくただし、だるいし、足だって棒みたいだし、頭なんか、疲れてふらふらしてるっていうのに。
誰のためにここまでがんばったと思ってるんだ。
それを…
俺を見たなり『帰れ』だって?
…このひとには、ひとに対する感謝というものが足りなさすぎる。
なにがそうさせているのかは知らないけど、…もっと人を信用して、…理解すべきだ。他人は…特に俺は、無害だと。
「…証拠、見せます。」
……汚してやりますよ。
一度免疫をつければ怖くないでしょ?
平気なんだから。危険じゃないから、俺は。
どうせこんな機会でもなきゃこのひとには勝てないし。
だいだい、俺はヒミズさんの体のファンなんですからね。
繊細できれいな形の筋肉に覆われた胸を思い切り広げて、細い腰をなまめかしくさらけ出して、…そんな魅力的な格好、俺なんかに見せたら、…どうなると思いますか?
…はだけたシャツの隙間から、カワイイおへそが見えちゃってますよ?
いいんですか?
……なめちゃいますよ…?
―― ヒミズさんに、罰を。
―― がんばった俺には、ご褒美を。
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