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おまけのおまけ

 「2月14日」のお礼拍手用として作ったSSです。  「3月14日」の夜に、冷水サイドから見た春川の様子を描いています(*'ω'*)  冷水のヘタレっぷりをお楽しみください。    ┏━━━━━━━━━━━━━━  ┌─╂───  ━┿━┛ ─┘  何かの気配に目を開ける。  春川の大きな瞳が目の前にあり、一瞬たじろいだ。  動ける状態だったら後ろへ勢いよく飛び跳ねていたことだろう。  だが今はその気力すら削がれていた。 「あ!すみません!」  春川はすぐに体を立ち上げて何歩か退いた。  所在なさそうに目を逸らしてから左右の指を絡めると、その手もほどいてサッと顔まであげ、軽く耳たぶをつまんで引いた。  おおかた咲伯(さいき)に命令されたのだろう。  無理やり来させられたと見える。  目だけ動かしてサイドチェストの上方を確認すると、土鍋らしき器が湯気を上らせている。  春川の指には青く細長いビニールのようなものが握られていた。  咲伯からの命令はこうだ。 1 冷水(ひみず)に冷却シートを貼ってくること 2 冷水に雑炊を食べさせてくること …まったく。  春川が私を苦手なことを知っていて、面白がってやっている。 「……かえってください…」 (!!)  なんだこの声は!  一時期大いにハマったSIREN無印の屍人のようじゃないか! (………。)  何を喜んでいるんだ私は。 (……おかしい。)  思考回路が。  安定しないうえに方向性が変だ。  ああ。  体が怠い。  熱い。  苦しい。  目の前でおろおろと何らかの弁明を繰り返す春川を、ただじっと眺めているこの状況は、やけにシュールで、滑稽にすら感じられる。  首輪。  なぜ体を動かせないのかというと、ヤブ医者につけられた首輪が今の体には重すぎるからだ。 ―― こうでもしないとアンタは休みもしないんだから!  格闘の末、朦朧とした意識の中でヤブ医者の声を聞いた気がする。 ――『わー!冷水!!』  咲伯の声。  次に、店の天井に浮かぶ咲伯が私の顔を覗き込んでいるのが見えた。  大きな手で顔を覆われ、『まずい!スゴイ熱だよ冷水!なんで言わなかったの!…ハル!……呼んで、ヒミズを…てつだって…』  薄れていった意識。  記憶が徐々に明らかになる。  そうだ。  思い出した。  店で倒れたのだ。  朝から少し熱っぽいとは思っていた。  風邪を吹き飛ばそうとベランダで乾布摩擦をしたのが裏目に出てしまったのか。  どうやら咲伯がヤブ医者を呼び、ここまで担がれてきて、…… …今は何時だ?  店はどうなってる?  私がこうなっている今、あそこのやりくりが出来るのは春川しかいないのに… …そうだ、店だ! (…こうしてはいられない!)  店に戻らなければ! ―― じゃらんっ 「ダメですよ冷水さんっ、この家から出られないように、首輪つけられちゃってますから…」 ………だったな。(ヤブ医者め…) ああ。頭が重い。 「冷水さん…すごい汗かいてますから…服、着替えたほうがいいんじゃないですか…?着替えるの手伝いますよ、俺…」 3 冷水の着替えを手伝うこと  あといくつあるんだ、咲伯からのくだらない命令は。 「失礼します…」  春川の指が、あろうことか胸元のボタンを探りに来た。 ――!! 「さわるな!」 春川が汚れる!  春川の手指を半ば乱暴にはらい、仰向けのまま這うようにして春川から遠ざかる。  急激に動いたせいか、軽い目眩を覚え、マットの上に沈み込む。 「…はあ…ッ、…はあ…」  汚すどころか、このままでは春川にまで風邪が伝染してしまう。  なのに体がいうことを利かない。 「…たのむから、かえってください…」  春川を汚したくない。  私なんかに触れてしまえば清廉で無垢で、まるで純白の薄い陶器のように壊れやすい春川に、醜い汚泥がついてしまう気がする。  苦しいが、呼吸を止めてみることにした。  ウィルスの蔓延を少しでも食い止めたい。 「…俺、そんなに汚いですか?」  哀しげな春川の声。  汚い?春川が?…なぜそんなことを思うんだ。 「ちゃんと手、洗いましたし、…たぶん、冷水さんが思ってるよりは…マシだと、思います。」  何を言っているのか意味がわからない。 「…証拠、見せます。」  なんだその意を決したような声は。  いいから早く帰ってくれ。息が持たない。  マットが軋んだ音を立てる。  布団がはぐられて、熱に浮かされた体がひんやりとした空気に触れた。 ――心地いい。  熱に侵された愚かな脳が本能的に深々とした呼吸を求める。  しかし次の瞬間、今度は冷たい寒気が背筋の下の方からぞくぞくと這い上がってきた。 …なんの真似だ?なにかの仕返しか。それともこれも咲伯の命令なのか?  もう勘弁してほしい。  私は、あなたを汚したくないだけなのに。  胸を、突如として硬いものが押さえつけた。 「うっ……」  思わず息が漏れる。限界だった。  細長いものが首に巻きついてきて、それが春川の腕だと気づくと同時に体が硬直した。 「…ホラ、平気でしょ?」  春川の声がすぐ下から聞こえて、それを意識する前に下から春川がピョコン、と覗き込んできた。 ………! か……かわいい………!  だめだ、春川を汚すわけには… 「あったかいですか?ヒミズさん…」  胸のうえの春川はモゾモゾと動いて、とうとう羽布団をかぶせてじっとしてしまった。 「………。」  追い出さなければ。わかっているのに、体が動かない。  弱って腐りきった精神が、春川のぬくもりに身を委ねたがっている。 ……そうか これは、夢だ。  熱に浮かされた酸欠状態の頭が、幻影を見せているのだ。  こんなに美しい物が目の前にあるなんて…  眩くて、あたたかい。  これが、現実のはずがない。  夢ならいい。  大丈夫だ。  春川の「本体」は、汚れないから。 「…びしょ濡れの服、脱がしちゃいますね…」  胸の上にある幻影が、少しずつ動いて、冷たくなった寝間着が剥がされていく。  ああ。  あたたかい。  ここちいい…  悪くない気分だ。  いいものだな  誰かが、そばにいてくれるというのは……    ┏━━━━━━━━━━━━━━  ┌─╂───  ━┿━┛ ─┘  翌朝、目の前に裸の春川がいてマットから転がり落ちる。  落ちてみると私も裸だったので昏倒寸前まで驚いた。 「…しー」 …人間の声。しかも、よく知っている人間の、悪戯遊びを楽しむときの声。  嫌な予感がする。 「春川が起きちゃう、冷水。」  声がする方を睨み上げる。 …咲伯だ。ヤブ医者までいる。 「熱は下がったみたいねん冷水ちゃん。」  ヤブ医者がニヤニヤ言う。 「…首輪を外せ。」  いくらかかすれているが、声も戻った。  そんなことよりも、今は、服を着たままの二人に対し春川共々一糸まとわぬ姿をさらけ出されているこの状況に、腹の底から激しい怒りがこみあげている。 「朝になっても起きて来ないから、心配で見に来たんだよ。びっくりした。ハダカで布団にくるまってたから。…ハルと。」  咲伯も同じくにやけた顔でそう言うと、手にしていたスマホの画面を操作した。 …カメラだ。  あとで全部消去してやる。 「ハルを抱き枕みたいにしてて、キミたち相当かわいかった。」 「人が弱っていることをいいことに、あなたが仕向けたんでしょうが。」  立ち上がって春川に羽根布団を掛けなおすと、一日動かずにいた足が若干ふらつき、そこへ咲伯がくすりと笑う声が聞こえたので神経が逆流するほどの怒りを覚え、声がしたほうを思い切り睨みつける。 ―― 殺すぞ! 「春川に何を命令したんですか。」  怒りのせいで声が震える。 「命令なんかしてないよ。お店が一段落したから、ぼくがピザ取って持ってくって言ったら、それは良くないってハルが。雑炊作るって自分で。準備して。疲れてるのにハルも。」 ………。  嘘だ。 「本当だよ?」 ……………。 ………本当なのか?  春川が…自ら……? …私の… …私なんかの…ために…… ………って、 「春川に近寄るなヤブ医者!」 「優しく起こそうとしただけでしょ。それともアンタが起こす?」 「キスで♪」 「そうよキスでキスで~♪」  殺されたいのか。 「にしてもハル、起きないね。よっぽど疲れたのかな。冷水なにかしたの?」 「するはずないでしょう!」 「なんか、汗かいてない?息も苦しそう…」  ヤブ医者が手を伸ばして春川の顔に触った。 「だから汚い手で触るなヤブ医者!」 「ちょおっと大変!このコ、すごい熱!」 えっ 「春川!」「ハル!」  春川を覗き込んで思わず叫ぶと、春川はとろりと目を開けた。  ふらっと私たちの顔を見ると、わずかに唇を動かした。 「…あ、すみません…」  その声!昨日の私と同じだ! 「…寝坊…しちゃって…すぐ、お店…行きます…」 「絶対ダメ!」  苦笑いをしながらフラフラ起きようとする春川を、ヤブ医者が頭ごと押さえつける。 「あんたたちはもう!首輪でもしてないとすぐ無理する!!」 …悪かったな。 「冷水ちゃん!アンタの風邪がうつったのよ。」 「…う…」  返す言葉もない。 「アンタ、もう免疫ついてるんだから、今日は春川ちゃんの看病に徹しなさい!」 「しかし、私には店が「今日は臨時休業だね~。ぼく、張り紙作ってまた来るよ。」  なぜかうれしそうに咲伯が言う。 「ばかね。今度はアンタにうつるわよ。馬鹿でも風邪ひくときはひくんだから、今日は二人に近づいちゃ駄目。」 「え~~~。じゃあ……」咲伯は私たちを振り返ってにんまりした。「今日は、二人きりだね、ヒ・ミ・ズ」  くだらないことを!  こいつは、私と春川をくっつけたくて仕方ないのだ。  二人が本当に出て行こうとするので半ば慌てる。 「待て!首輪を外せ!春川の薬も寄越せヤブ医者!」  二人はドアの前まで行ってすぐに振り向いた。……いやらしい笑顔を浮かべている。 「安心して冷水。その首輪の鎖は、この部屋の中を行ったり来たりするのには十分な長さだよ。」 「アタシは薬は簡単には処方しない主義よ。アンタの風邪がうつったんなら抗生物質も必要なさそうだし。」 「待て…」 「ここにはキッチンもあるし冷蔵庫に食材も揃ってるし、…熱が下がれば二人でバスルームにだって余裕で入れるよ。」 「あんたたちには十分な休養が必要なんだから、今日はゆっくり養生なさい。いいこと、風邪にはね、イチに休養、ニに栄養、サンシが無くて、ゴに愛情。…わかった?」  にやついた二人分の笑顔の残像を残して、ドアは静かに閉まった。  おそるおそる振り返ると、春川はもう寝ていた。  いや、体がだるくて目も開けていられないのだ。  おそらく二人が言っていたことも聞こえないくらいに。  春川が用意していた寝間着は私のクローゼットから引っ張り出したものらしい。  寝間着のボタンをとめて、サイドチェストに置かれた土鍋を見に行く。  蓋を開けると、すでに固くなった卵の上に水滴がはたはたと落ち、その下に、ほぐれた米飯が見えた。  いい匂いだ。  土鍋を持ち、寝室から出てキッチンに立つ。  土鍋を火にかけ、工具箱を取りに行って長い鎖と首輪を切った。ようやく自由の身だ。  土鍋が温まったので一度寝室の春川に声をかけるが、ぴくりともしない。本格的に寝入っているらしい。 ――『イチに休養。』  仕方なく春川の雑炊をキッチンでひとりで食べた。  味噌ベースで、溶き卵と、きざんだニラが入っているだけのシンプルな雑炊だが、出汁がいいのか悪くない味だ。いや、確かにうまい。 (……春川が…、私のために、これを……。)  昨日春川が持ってきたときには確かまだ湯気が立っていた。  上にかけられた溶き卵にもとろみが残っていたことだろう。  口に入れようともせず、春川を固く拒絶したことが今になって悔やまれた。  あまりの美味しさに珍しく涙などが溢れてきてしまい、誰もいないキッチンでひとり泣いた。 ――『ニに栄養。』 ……なるほど。  そうだな。美味なる食事は、体にだけでなく、心にも良い影響を与えてくれるようだ。  では、お返しに、私の全身全霊を込めて、春川が今まで食べたこともないような雑炊をたらふく堪能させてやろう。 ――『サンシがなくて、ゴに……』  ゴに、なんだったか。  まあいい。  これも咲伯の命令だ。  今日は一日、春川の看護役に徹しようじゃないか。  ヤブ医者の薬など必要ない。  私が本気になれば春川の熱なんか一日で下げてやる。  よし。早速はじめるか。  覚悟しておけ、春川。 おわり

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