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おまけ

─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘ 「どうせならカメラを仕掛けなさいよ、カメラを。」  部屋に上がり込んだ安堂(あんどう)が、ヘッドフォンをしたままぼくに向かって悪態をつく。  春川にばれないようにして冷水(ひみず)の寝室から一番離れたこの部屋に陣取った我々は、寝室から聞こえてくる音声に聞き耳を立てていた。 「相手は冷水だよ?これが精いっぱいだって。」  春川に持たせた合鍵には、盗聴用の発信器を仕掛けた小さなぬいぐるみを付けていた。コードネーム:「黒ウサギ」。  バレたら彼すら無事には帰してもらえないだろう。病人とはいえ、冷水は人間離れした勘の鋭さを持ち、同時に鉄壁のプライベートを固守する人間だ。カメラなんてあると知れば、もう二度と口をきいてもらえないしご飯も作ってもらえない。  だけど、わくわくするとは思わないか安堂。  今、冷水の部屋には春川がいる。  春川は冷水に魂を入れてくれる、唯一無二の貴重な存在だ。  今夜こそ、ヒミズに何らかの爆発的な変化が起こるのでは…  ぼくは期待しているのだ。きみもそうだろ? 「エロテロ起きないかしら♪エロテロ♪うふふん」 ………。 …うん。確かにそれもがっつり期待しているのだけれども。  でも冷水だよ?感情を封印したかのような完璧な無表情で相手の感情のみぞおちを突いて蹴り倒す冷水さんですよ?  さすがにそれはないでしょう…。 (………。) (でも…熱に浮かされて感情が振り切れたそのときは…) …起きちゃうんだろうか…エロテロ…  そうなったときのぼくの感情って、どうなんだろう?悔しいの?さみしいの?それとも、うれしいんだろうか? 『あの、熱が高いってことだったんで、これ、貼ろうと思って、おでこに…』 『……かえってください…』 …あ、やっぱり思いきり拒絶されてしまった。  あーあ。春川、かわいそう。無防備な感情のみぞおちを、冷水に思い切り突かれて蹴り倒されている。  あんなに美味しい料理を作ってあげたのに。味噌ベースのニラ玉雑炊。美味しかったのに、アレ。 『…服、着替えたほうがいいんじゃないですか…?着替えるの手伝いますよ、俺…』 「そうよ、がんばって春川ちゃん…!」  安堂が届かぬ声援を春川に送る。  そうとも。がんばれ春川。負けるな春川。  でも、うまくいくだろうか。冷水は他人にさわられることを極端に嫌う。  正確には、自分が触れてしまうことに敏感なのだ。相手を汚してしまうと思い込んでいるらしい。  だから、その相手が春川ならなおのこと。  冷水にとって春川は至高の存在であり、傷つけることはおろか、少しの汚れにもさらしたくないと冷水は考えている。そして自分がさわることで、春川が(けが)れてしまうと信じ込んでいるのだ。  冷水は汚れてなんかいないし、春川だって冷水が思っている以上に強い子なのに。  彼はそこをわかろうとしない。 『さわるな!』  ああ。思いきり言われてしまった…  着替えも手伝ってあげて、なんて、つい春川をけしかけてしまって悪かった。 「冷水ちゃん、ひどいっ!」  安堂が小声で冷水を非難する。  確かに、純粋で繊細な春川の精神は、この一言でさぞズタボロになってしまったことだろう。  疲れた体にムチ打って、おいしい雑炊を作って、冷えピタまで用意してお見舞いに行ってあげたのにね。 『…俺、そんなに汚いですか?』 …お? 『ちゃんと手、洗いましたし、…たぶん、冷水さんが思ってるよりは…マシだと、思います。』 「ヤダけんかしちゃう。」 「…いや…ちがうよ、安堂。」 「え?」  不機嫌そうな春川のこの声色は、何かを強く決意した(あかし)。 『…証拠、見せます。』 「しょうこ?」  そうとも。  あのとき佐東(さとう)に向かって感情を突きつけたときと同じ、自らの強さを証明しようとする声だ。  春川は何かを決断し、それを冷水に突きつけようとしている。 『うっ……』 『…ホラ、平気でしょ?』 「…えっ?なにしたの春川ちゃん…」 「しっ」 『あったかいですか?ヒミズさん…』 ………! 「ちょ、もしかしてまさか春川ちゃん、冷水のベッドに入ったんじゃない!?しかも体を重ねて…」 『…びしょ濡れの服、脱がしちゃいますね…』 ………!!!  その“まさか”だ! 「うそっ…」  安堂は顔を真っ赤にして両手で口を覆っている。 「冷水も抵抗してないみたい。」 「ヤダこのふたり、今、ハダカで一緒の布団に…!」  やっぱりカメラ仕掛けとくべきだった…!!猛烈に後悔…!! 『俺は、お前の仲間だ。』  春川の声に耳を疑う。 …え?春川? 『いい子』 『……ん…』  気持ちよさげな冷水の声!! 『俺の、勝ちだ……』 …“勝ち”って!?  春川くんは今、冷水になにをしてあげたの!?ナニをしてさしあげたの!? 『お前は、俺のものだ…』  わあ!ちょっと!今!どうなっているんだあの部屋は!!! 「え!?春川ちゃん!?ちょっと今どっちが上!?」 『もっとちゃんとあっためろよ……ヒミズ――』 …………!!!  安堂を見る。 「…春川が、上らしい…」  安堂がぼくを見る。 「…アリなの…そういうの…」 「…わかんないけど…、アリ…なんじゃない…?」  安堂が生唾を飲み込んだ。 (は、春川!!)  きみは、想像以上の働きをしてくれたんだな!!  部屋は静まり返ってしまい、それ以上は何も聞き取れなくなった。  カメラを仕掛けることが出来なかった失態を安堂にさんざんののしられながら、ぼくは、春川の強さが冷水に入れてくれた魂の、その尊さに想いを馳せ、彼らの関係性が巻き起こすあたたかな可能性に、もう、わくわくが止まらなくなっていた。  ふたりがこうなってしまったとき、ぼくはどう思うのか。悔しいのか。さみしいのか。それとも、うれしいのか。  その答えがわかった。  ただ、わくわくするんだ。  人形のようだった冷水の、ひととしての新しい変化が見られることに。  そして、春川の底知れない強さが持つ、ひそやかで絶大な能力が導くその先を、もっと知りたくなって、ぼくは、わくわくするんだ! 【追記(あとがき)】  翌朝、今日は是が非でも二人きりにしようと安堂と示し合わせ、にやにやが止まらないまま冷水の部屋に向かった我々は、裸で抱き合うように眠る二人を十二分に堪能して写メに収めた。  春川に冷水の風邪がうつってしまっていたようだったので、冷水につきっきりの看病を命じ、計画どおり二人きりにして部屋を出た。  例の部屋に戻ってふたりで聞き耳を立てていたものの、二人の関係は相変わらずよそよそしい。 …この様子からすると、昨日のあれは、ベッドインではなかったようだと気づく。  ぼくらの早とちりだったのか…残念だ。  でも、わずかに、冷水の口調が柔らかい気がする。  確かに春川は、冷水に何らかの新しい魂をいれてくれたことにはちがいないだろう。  そんなことを思いながら安堂とにやにやしているうち、…なんか、寒くなってきた。  安堂も顔色が悪い。 …なんだか、座っているのもきつくなって、そのうち二人して床に寝そべって動けなくなってしまった。 「…う…伝染(うつ)っちゃった…」「…みたいね…チクショウ…アタシ、医者なのに…」  我慢できなくなって冷水の携帯にSOSを発信し、助けに来てくれた冷水に盗聴の件が思いきり露見し、罵倒され、小突かれ、黒ウサギくんをぼきぼきにへし折られてしまった。  冷水が安堂の布団も用意してくれて、ぼくの寝室で安堂と一緒に冷水が用意してくれた特製ミルク粥を食べる。  モーローとした意識の中で、おいしいお粥につい気分がゆるんでしまい、 「好きって言ってもらえて、よかったねえ、冷水。」 うっかり口をすべらせてしまった。  冷水は無表情でキッチンから水を溜めたカラフェを持ってくると、今度はおもむろにぼくと安堂の携帯をそのなかに沈めた。 …ああ…!今朝の写真、まだバックアップとってなかったのに…!  冷水はそのまま部屋から出て行った。  安堂の情けない悲鳴を聞きながら、窓の外に目を向ける。  青い空。  きっと窓の外には、もう春の風が漂っている。  あたたかくなったら、店を休んで、みんなでピクニックに行きたいな。  小川のほとりで、冷水の手料理を囲んで、春川の澄んだ笑い声を、また冷水に聞かせたい。  春川が笑うたび、冷水の魂にあたたかい光が灯っていくことを、ぼくは知っているから。 「…ねえ、安堂。春川ってさ、冬の終わりを運んでくる、……たんぽぽの綿毛みたいだよね。」  天使みたいだよね。と言おうとしたのだが、さすがに馬鹿にされそうで。  安堂を振り返ると、安堂はお粥の入ったお鍋の横で、テーブルに突っ伏して本気で泣いていた。 「読みかけのBL本の電子データ…あの中にしか保存してなかったのに…!パスワードごと消えちゃった…!」 …うん。まあ、いいや。  これで…終わりということで。 おまけ☆おわり

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