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第13話

「……マコちゃん……マコちゃん!?」  章良は広くは無い店内をトイレの中まで探し回ったが、真琴の姿は無かった。嫌な予感が当たったと、何故あの時戻らなかったのかと章良は激しく後悔しながらも、今度は二階へと駆け上がって行く。 「マコちゃん!? マコちゃん!!」  古い木造の階段を賭け登りながら、章良の心臓は早鐘の様にドクドクと鳴っていた。あの状況を見て何も無いと言う事はあり得ない。 〈押し入り強盗〉  自分の頭に浮かんだ言葉に自分でゾッとする、章良が真琴の部屋の扉に手をかけ、扉を勢いよく開いた。 「――――――!!」  扉を開いたそこには、一人の男が直ぐ目の前に立っており、章良は思わず弾かれた様に後ろへと飛び退き間合いを取る。そこに立っていたのは紛れも無く自分とすれ違ったその男だった。 「だ……だれだ!」 「誰だぁ? それはこっちが聞きたいな……お前もしかして真琴の間夫か?」 「ま……間夫!?」  男は入り口の上がりに立ち、章良を頭の上から足の先までまるで値踏みする様にジロジロと不躾な視線を絡めてくる。章良は真琴に何かあったのではと、今すぐにでも男を突き飛ばし、部屋の中へと飛び込みたい気持ちに駆られ、男の身体の隙間から見える部屋の中を探る様に見ているが、そこから見える室内に真琴の姿は無い。 「マコ……」 「違う、彼はこの店で雇っているアルバイトだ……孝史が勘ぐる様な仲じゃない」  章良が真琴の名前を呼ぼうとした瞬間、部屋の死角になった場所から真琴の声が聞こえた。 〈……たかし……たかしって……〉  真琴の声を聞いて安堵したと同時に、その聞き覚えのある名前に緊張が走る。アルバムに挟まっていた写真の裏の名前、そして寝言で呟いた名前も【孝史】だ。真琴が昔好きだっただろうと思われ今でも心の中にいる男が、今、章良の目の前に立ち不敵な笑みを浮かべていた。 「ごめんね、直ぐに僕も下りて準備するから……先に行って玄関を掃いててくれないかな……」 「…………」  章良は、真琴の声が僅かに震えている事に気が付いていた。脅されている? そう思うとこのままここを離れても良いものかと迷ってしまう。 「孝史、これから夜の開店の準備なんだ……帰ってくれないか……まだ時間的に今日最後の定期便には間に合う……」 「……まあ、今日の所は一旦帰るがまた近々来る……それまで自分がどうすべきか考えておけよ真琴」  孝史が、真琴からは死角になっている部屋の奥に顔を向けながら声をかけながらブランド物の革靴に足を入れた。 「何度来ても……僕の答えも、僕の気持ちも……変わらない……」   「その時に、今と同じ言葉が言えるかどうか楽しみだな、お前は結局何も変わっちゃいないんだ、おれと一緒で変われねぇよ、いい加減諦めろ」 「帰れっ!」  その言葉に高笑いした孝史が、廊下の壁を背にして立っている章良の直ぐ前まで来て、片方の口の端を上げ章良にだけ聞こえる様に囁く。 「気をつけろ~あいつは魔性だぞ……何も知らない顔をして、何時も男を狙ってるぜ、お前も食われねぇ様にな……アルバイト君」 「なっ!!」  孝史は、章良の肩をポンと叩き、そのまま階段を下りて行った。章良は男を追いかけるか一瞬迷ったが、真琴の身が心配になり部屋と入り口を仕切る襖を勢いよく開けて部屋へと飛び込んだ。 「――――――マコちゃん!!」  先程まで死角になっていた、入り口から一番奥の部屋の角に、真琴が座っているのが見え、その姿に章良は言葉を失って立ち竦み動け無くなった。  何時も着ている作務衣は半分脱げた様にはだけ、下に着ている白いシャツは引き裂かれ、片方の肩が露わになっている。上半身に絡みついた服を片手で手繰る様に掴み、こちらを一瞬見て直ぐに顔を背け、猫の様に背を丸める。  上気する顔と、その乱れた服の真琴を見て、ここで二人が何をしていたのは、未成年の章良でさえ察しがついた。 「見ないでっ……出てって……僕を……見るな……」  先程まで気丈に張っていた声は、章良の姿を見た途端、震えて涙声へと変わって行く。 「……マコちゃん血が出てる、手当し――……」 「大丈夫だから! お願い、出てって」 「でもっ!!」 「独りにしてくれって言ってんだよっ! 出て行け――――!!」 「マコ……」  取り付く島も無い真琴の拒絶に合い、章良は伸ばしかけた手を引っ込め、そのまま踵を返して部屋を出て部屋の襖を閉めた。軽いタンと言う乾いた音と同時に部屋から漏れて来たのは、押し殺した様な真琴の嗚咽で、章良は真琴の鳴き声を背中に受けながら、爪が食い込むほど拳をきつく握りその場を後にした。  ◇◇◇  見られた……一番知られたく無かった人に、見られたくなかった人に……。  殴られた頬より、押さえつけられた手首より、カッターを押し当てた首の傷より、章良に今の姿を見られたその事実が、劇痛となって胸を抉る。  あの時、カッターの刃を首に当てたのは本気だった。この自分勝手で残酷な男の元から逃げ出し自由を手に入れたはず、しかし、結局自分は逃れる事は出来ないと悟ったあの瞬間は、もう命を絶つ選択をするしか無いと思ったが、いざ刃を引こうとした瞬間、頭の中で【マコちゃん】と章良に名前を呼ばれた気がして、その僅かに躊躇った瞬間に孝史の足がカッターを蹴り上げ、パキンと高い音と共に銀色の刃が宙を舞った。  怒りを露わにした孝史にまた押さえつけられた瞬間、一階から〈ただいま〉と言う声が二人の耳に届き、章良が直ぐに二階へと上って来た為、孝史は渋々真琴の身体を解放した。  章良が疑われ無いだろうかと、震える喉からむりやり声を出し咄嗟にアルバイトだと言ったが、それを孝史が何処まで信じたのかは解らない。  怖かった……  もし、章良が声をかけて来た時、真琴が手を伸ばせば間違いなく章良は手を取り抱き締め、そして優しくしてくれただろう。怖かったと泣きすがれば寄り添い慰めてくれただろう事も容易に想像はつくが、それは出来なかった。  あの夜……ゲイでは無いノンケだった孝史を無意識にしろ誘惑し、狂わせてしまったのは紛れも無い真琴自身だと自覚している。どう見てもノンケでしかも未成年の章良を孝史の様にしてはいけないと、今日の孝史を見て改めてそう思い、自戒の念を込めて突き放した。 「……これ以上一緒にいたら彼まで壊してしまう……僕は……僕に関わる全ての人を不幸にしてしまうから……それだけは嫌だ……ふっ……うぅ……じょうすい……くん……っ……ごめんね……好きになって、ごめんな……さい……ごめんなさい……ごめ……ふっ……うぅ……」    後から後から溢れる涙は、真琴はパタパタと音を立て畳の上に落ちる自分の涙を見つめながら、このまま自分も涙と一緒に流れ消えてしまいたいとそう思った。 「……痛い……」  やっと閉じかけていた心の傷が開き、忘れかけていた痛みに抗う事も出来ず、ただ震える自分の肩を自分で抱き締めた。  ◇◇◇  コチコチ、コチコチ……ボーンボーンボーンボーンボーン  鮨なぶら、この座敷に上がる柱に開店当時から吊してある古い振り子時計が、間もなく夜の営業時間が来る事を告げる。店を片付け、カウンターに座り顔を伏せていた章良が、ノロノロと顔を上げて二階への階段へ視線を向けたが、二階からは物音一つしない。  明らかに傷があり、尋常では無い状態の真琴を言われるがまま放って来てしまった。あれは本気の拒絶で自分はこう言う時にどうすれば良いのか全く解らなくなってしまった。 「小説なら……この先の展開も簡単に出そうなのにな……」  章良がもう一度大きく嘆息をした時、二階の扉が開く音がして、キシキシと階段を下りる音がした為、章良は慌てて階段の下から上を見上げた。 「マコちゃん!」 「……ギリギリになってしまった……お店開けようか」  階段から下りて来たのは、これまでと変わらない真琴の姿だったが、頬には大きな湿布と、首にも大きな絆創膏が貼られており、とても痛々しい。だが、もう泣いては居なかった。 「……ああ、うん」  章良が躊躇いがちに店内に下りた真琴の後ろ姿を眼で追いながら、店の入り口の鍵を開ける。 「ごめんね、ビックリさせちゃって」  カウンター内に入り、冷蔵庫の中を物色しながら真琴が明るい声で話し始めた。 「えっと……大丈夫なの?」 「僕は大丈夫、これはちょっと店内で転んだんだ……彼は中学の同級生……もう察しがついているかもしれないけど、元彼なんだ」 「…………」 「前に少し話た事があったよね……僕は東京に住んでて、そこを逃げ出して来たって。その頃一緒に暮らしてたのが彼……」 「……何しに……来たの?」 「僕を探して……迎えに来たらしい」 「迎えにって! 待ってよ! まさかマコちゃん、帰るって言わないよね!?」 「……断ったよ」  真琴は章良と話ながらも淡々と手を動かし、昼出来なかった下準備を進めている。 「良かった……マコちゃんは、あの男の事が今でも好きなのか?」 「ううん、もう過去の事だ。今は好きでは無いかな……あの人の元を去ると決めた時、僕は人を愛すると言う気持ちも一緒に捨てて来た。だから、彼の事も愛してないし…………これから先、誰も愛さないって決めたんだ」 「…………だれ……も?」 「うん、誰も」 「一生?」  真琴が作業の手を止め、顔を上げて数秒間章良の顔を見つめ――。   「浄水君、今日を最後にここから出て行ってほしい」  突然、真琴は何時もと変わり無い口調でそう言いながら、その言葉とは裏腹に綺麗な顔で微笑んだ。 「安心して、ちゃんと君の行き先はお願いしてあるから」 「で、出て行けって事?!」 「そう、さっきそう言った……もう店も手伝わなくて良いよ、これまでとても助かった、ありがとう」  章良は、突然の事に言葉も出ず、ただ呆然と立ちすくんでいた。 【続】  2019/07/17 海が鳴いている13  八助のすけ    

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