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第14話

「な……なんで!」  突然突き放され、章良は混乱した。意思を確かめた訳では無かったが、真琴は自分の事を少しは好意的に想ってくれていると、そう思っていたが、それは章良の一方的な勘違いだったのか。  二階に上がった時に見たのは、少し息が乱れ顔を上気させた真琴だった。  部屋に居たのは、あの男と真琴だけで、男が出て行く前に章良へ放った言葉も意味深なものだった。真琴の身を案じる事ばかり思考が先行していたが、あの一連の出来事を冷静に見ると、あそこで何があったのか、認めたくは無かったが疑いようも無い。 〈……逃げて来たんじゃないのかよ……〉  真琴の身体についた傷は、転んで出来る傷では無い事は一目瞭然だが、それでもあの男を庇うのを見ると、真琴とあの男の間に自分が入る余地など無いのではないかと思えて来た。  口では、もう好きでは無いと言いながらも、それでも身体だけは繋げる。章良には理解出来ないが、真琴とあの男の間ではそう言う事があるのかもしれない。  夜の営業の間中、章良はそんな答えの出ない事ばかりを考えていた。  店の座敷にあるテレビでは、新しく発生した台風が東シナ海を北上していると繰り返し流れている。常連客は、二日後には接近して来るだろうから、早めに対策をしておこうと言う話をしている。何時もならそんな話にも気軽に参加する章良だったが、この日は全てが上の空で足下がグラグラと揺らぐ様な感覚に陥っていた。  そろそろ閉店が見え始めた時間になり、店にやって来たのは漁業組合会長の磯谷辰朗だった。カウンター越しに真琴に話し掛け、真琴と一緒に勝手口の外へと出て行く。勝手口扉の磨りガラス越しに写る二人の影では、真琴の話を熱心に何度も頷きながら聞いている辰朗の背中が霞んで見えている。  辰朗は歳で言うと自分の父親ほどの年齢と言っても間違いは無く、実際に三人の息子は皆成人し、それぞれ自立して家庭も持っているほどだ。辰朗が結婚したのは十八の頃で、愛妻の喜美子は四歳年上の姉さん女房だと聞いている。所謂〈出来婚〉と言うやつだったらしい。高齢化が進むこの島ではまだまだ若い部類に入り、漁業組合会長就任も異例の若さらしい。しかし、それに関して誰も異議を唱える人はおらず、逆に絶大なる信用がある。  とにかく面倒見が良い、少しでも困った人が居ると、夜中でも飛んで行くほど島を愛している。章良がこの島にこうして受け入れられ、暮らしてけるのも彼の力が大きいからだと言えた。  心身共に疲れ切っていた真琴のSOSを拾い、そしてここに居場所を作った恩人だった。恐らく、章良の知らない真琴の事情を一番知っている人物かもしれない。だから、真琴も悩みや気持ちを吐き出す事が出来るのだろうが、章良はそれが少し悔しかった。  自分は年下で、選挙権はあると言ってもまだ二十歳にはなっていたい。どう考えても頼りになるとは思えなかったが、それでも、少しは頼って欲しいと思ってしまう。  暫くして、二人が戻って来ると、何事も無かったかの様に辰朗は座敷にいる漁師仲間の中へ入って行き、真琴はカウンターの中で鰹の刺身と酒を盆に乗せた。 「浄水君、これを辰朗さんにお出しして」 「……はいよ」  真琴に言われた通りに、良く冷えた冷酒と鰹の刺身を辰朗の元へと運んで行った。 「アキ坊」  章良が盆の上の品をテーブルへと並べている時、辰朗が章良の肩を叩き――。 「今日、ワシと一緒に帰るぞ」  そう言って、小さな子供にする様に、頭をクシャっと撫でながら日に焼けた顔を破顔させる。それに対して、章良が曖昧な表情で返事し座敷を後にする。  程なくして、常連の客が次々と帰る中、章良が店内の掃除をし始めると真琴がカウンターの上に大きな食品保存容器を重ね始めた。 「それ、どうするの?」 「これ、腐りそうな食材をさっき簡単に調理してたんだ、帰る時に辰朗さんの家に持って行って」 「え? どう言う事?」  真琴が手を止め、数秒下を向いてゆっくりと深呼吸をして顔を上げて、何時もの笑顔を見せる。 「……少し、お店を休もうかと思ってるんだ」 「なんで!? いつもこの店は島民の憩いの場だから休めないって言ってたのマコちゃんじゃん!」 「……そうだね……」 「じゃあ何で!?」 「アキ坊」  章良が真琴へ詰め寄った時、後ろから章良の肩を掴んだ辰朗に止められた。 「辰っちゃん!」 「まぁまぁ、マコさんはここに来てからずっと、週いっぺんだけの休みで盆も正月も島の皆の為にここを開けてくれとったんじゃ、ここらでちいとお休みするだけで、辞める訳じゃない。少しゆっくり休んだ方がええと、わしがそう勧めたんじゃ」 「…………」  そう言われてしまうともう何も言えなくなってしまい、章良が真琴の顔から視線を外す。 「そう言う訳なんだ、だから今日から浄水君は辰朗さんの所へ……勝手に決めてごめんね……辰朗さん、浄水君を宜しくお願いします」  真琴が改まった様子で、辰朗へ深々と頭を下げた。 「おう! 任しとけ、アキ坊はワシの所で預かるけぇ。マコさんは心配せず、しっかりと休めよ。もし、何かあったら直ぐに連絡して来い、こりゃワシとの約束だでぇ」 「……はい」  真琴が小さく震える声で二度ほど〈ごめんなさい〉と謝ると、辰朗が真琴の背中をポンポンと叩きながら。 「マコさん、あんたはもうこの島の人間じゃけぇワシらにとったら家族みたいなもんだ、そがいに恐縮する事は無い。ワシも毎日顔を出すけぇ、な!」 「ありがとう……ございます……」  最後の声は何かを堪える様に、語尾がほとんど聞き取れなかった。章良は自分がこの島へと来た時の鞄に荷物を詰め、辰朗の乗る軽トラの後ろへと放り込んで、一ヶ月暮らした【鮨なぶら】を後にする。店の側は車を着ける事が出来ない為、ここから店は見えなかったが、港に面した海沿いの道に出た時、店の二階が見えた。章良が車の窓から振り返ると真琴の部屋の窓明かりが見え、そこに人影があるのが解った。 「…………」  この距離からその表情は解らなかったが、章良には真琴が泣いている様にしか見えなかった。  真琴にとって自分はどんな存在だったのだろうかと、章良はそう考えずにはおれなかった。最初は敬語で話していたのが、少しずつ固く結ばれた紐が解ける様に気持ちを開き、昨日までは漸く本来の真琴が見せる笑顔や、躊躇いながらもスキンシップも受けてくれる様になっていたにも関わらず、昔の男が現れた途端、最初に会った時の様に余所余所しくなってしまった。笑う顔も言葉も、話し方や視線も、物腰は柔らかいが、それが返って冷たく感じてしまい、章良はどうして良いのか解らなくなっていた。  海沿いの真っ直ぐな道が終わり、山側へと進路を変えると、見えていた二階の窓も見えなくなってしまった。 〈……もう、これで本当に終わってしまうのか?〉  章良は大きく嘆息をして、真っ暗な海を見つめていた。   【続】   2019/07/22 海が鳴いている14  八助のすけ 

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