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第1話

 アラームのスヌーズを何回か無視して、嫌々起きるいつもの朝。身体の下で痺れた手をもぞもぞと出して隣を探ってみるも、受け止めてくれるのは空っぽの布団だけだ。青白く、爽やかな香りのする夢を見ていた。その夢のみぎわで今日は遅番だからなんて答えたような気もするが、なにしろ寝ぎたない自分のことだ、ほんとうにただの夢だったのかもしれない。  寝室を出ると、静まり返ったリビングはしかし既にカーテンが開け放たれており、朝日と呼ぶにはいくぶん高い太陽の光が、カーテンレールに吊るしたサンキャッチャーをきらきらときらめかせている。これをつい買ってしまった箱根旅行から、気付けば半年くらい経っているんじゃないかな。  リビングだけでなく、洗面所のタオル、洗濯機の中のシャツ、それに、テーブルの上の濃紺の皿――彼の名残はあちこちにある。  ラップのかかった皿の上に無造作に乗った、小さな紙切れを摘み上げる。 「有加里へ」  水色の罫線の上に踊る、黒いインクの線。跳ねや払いが少し大げさな癖字は、それでいてバランスが妙に整っていて、彼を良く表しているような気がする。こんな時の書き置きくらいでしか見ることのない彼の字が、有加里(ゆかり)は好きだった。 「味噌汁は温めて……はーい」  癖字に返事をしながら、皿にかかったラップを端から慎重に剥く。  今朝のメニューは、焦げ目のついた厚切りハムに、ほうれん草入りの卵焼き。それから、昨夜の残りのきんぴらごぼう。朝の弱い自分のために、ご飯は小さなお握りになっている。片手鍋の中の味噌汁の具は、豆腐とわかめだ。  わざわざ用意してくれなくていいと言っても、どうせ作るのだから一人分も二人分も変わらないとけんもほろろで。自分は自分で、遠慮なんかしてみせても起きるのは決まって彼より遅く、その頃にはもう、ささやかながら贅沢な朝食が用意されている。  彼の泊まった翌朝は、有加里にとって特別だった。  つやつやと光る汁椀に、よく温めた味噌汁をよそう。先日新調したこの揃いの椀は夫婦椀と銘打たれていて、いまだにそれが気恥ずかしいのだけれど。  両手を合わせ、口の中で呟く。 「いただきます」  英記(えいき)と出会ったのは、知人に招かれて参加したバーベキューだった。郊外のキャンプ場に独身男女が集まって、当然ながら合コン要素なんかも含まれた、ある週末のごくありふれた出来事。早々に輪から外れて、ハッチを上げたトランクをベンチ代わりにちびちびとジュースを減らしていた自分に、その車の持ち主だった彼が声をかけた。出会いとしては悪くはなかったかもしれない、だけど、そこからまさか自分の恋愛が始まるなんて思ってもみなかった。

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