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第106話

「とりあえず、座ろうぜ」 弘樹の言葉に思わず息を呑んだオレは、保健室からの脱出ミッションに失敗した。扉の前に立ったままのオレの手を引き、弘樹はオレをベッドに座らせると横に並んで腰掛けた。 どのクラスでも授業が始まり、さっきまで騒ついていた廊下も校庭もシンとしている。カチカチと時計の針の音だけが、やたらと大きく聞こえてくる気がして無駄に緊張する。 オレが大人しくベッドに腰掛けたことで、弘樹に掴まれていた手は離してもらえたけれど。なんだか、空気がやたらと重い。 「月曜日さ、俺がどうしたのって聞いた時あっただろ。そん時、セイは虫に刺されたって言ったけど。本当はソレ、キスマの痕だよな?」 なんて答えたら良いのか、というより弘樹が何を言っているのか分からないオレは、黙ったまま弘樹の話を聞くことしかできなくて。そんなオレに、弘樹は話を続けていく。 「セイを連れてショップになんか行くんじゃなかったって、すごい後悔してる。キスマつけたのってさ、あの時一緒に行ったショップの店員、なんだろ」 「……なんで、そう思うの」 どうして、弘樹が白石さんのことを知っているんだろう。憧れの存在だって、確かに弘樹は白石さんのことをそう言っていたけれど。オレと白石さんの関係を知る人は、兄ちゃん以外にいないはずなのに。 「買ったシューズ試したくて、日曜の昼間にジョギングしながらセイの家の近くのコンビニまで行ったんだよ。そしたら、奥の駐車場に黒の外車が駐まってた……それで、運転席にいたのがこの間のショップ店員の兄さんらしき人だった」 力なく笑いながら、それでも話を先に進めていく弘樹はまるで独り言を呟いているかのようで。詳しいことが分からないオレは、とりあえず弘樹の話が終わるまでは沈黙を貫こうと思った。 「……あの兄さん、外車なんか乗ってんのかよって。そんなこと思って見てたらさ、昼間から堂々と彼女と車内でイチャついてたんだよ。それがなんかムカつくけど、イケメンがするとやっぱすげぇ様になってて」 車の話をされても、興味のないオレにはよく分からない。あの車は外車だったんだって、逆にオレが知ることになった気がする。でも、車は兄貴のお古って言ってたから、白石さんが好きで乗ってる車ってわけじゃないと思うけれど。 「その彼女っつーか、イチャついてた相手が黒髪でさ。角度的によく見えなかったんだけど、なんか結構ボーイッシュな感じで。あの店員、ああいうタイプが好きなんだなぁって思って見てたんだ。そしたら……車から降りてきたのがさ、セイだった」 「……ウソ、でしょ?」 「白いパーカーに黒のスキニー、お気に入りの赤いスニーカー。俺が見間違えるわけねぇじゃん、何年一緒にいると思ってんの」 ……つまりは、見られていたってことなんだ。 弘樹は、コンビニでオレと白石さんを目撃してしまった。それも、オレが言い逃れできない瞬間を。

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