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第140話

「白石さんのお部屋、なんだか春の香りがしますね」 春の柔らかい空気が部屋いっぱいに広がっているのは、出掛ける前に換気をしていったから。今日は比較的天気も良く、日中は過ごしやすかったと思う。当たり前のことなのだが、俺が普段感動することのない、小さなこと一つ一つに、星は素直に反応するのだ。 さらさらとした風に吹かれ、膨らんではしぼんでを繰り返すレースのカーテンと戯れるように。室内でも、季節感を目一杯満喫する星が愛おしく思えてならなかった。 しかし、俺は星の言葉に答えることはせず、自身の重みで沈んだソファーに更なる重圧を加えて笑う。つまりは、ソファーにゴロリと横になっただけだ。 帰宅して早々に、購入してきた食材やら雑貨やらを適材適所にしまい込んでいた俺と、その間に外を眺めていた星と。経過した時間は同じでも、それぞれの行動の僅かな差で、寝転がる俺と立ったままの星がいる。 ただ、確かなことは、この時が誰にも縛られていないことだった。小さな俺の部屋で、得ることのできた二人だけの自由な時間を肌で感じて俺から漏れた笑み。 そこに一つ降ってきた可愛いエピソードが俺の脳内にプラスされ、俺は目を閉じるとしみじみと呟いていく。 「……星くんはさ、ひょっとしたら春風とも話ができるかもしんねぇーなぁ」 ぬいぐるみと話せる星だから、星の頬を撫でている春風とだって話ができてしまうのではないかと。有り得ないと分かってはいるものの、考えてみると、それができたらできたで星らしいとも思った俺は、そう口を開いていた。 「え、何言ってるんですか?」 けれど、俺の呟きはどうやら唐突すぎたらしい。いきなり言われても意味不明だと云わんばかりに、星は首を傾げて俺を見るから。 「……ほら、お前はぬいぐるみとも喋れっから。もしかしたら、風とも話せんのかなと思って」 子供っぽいというか、メルヘンというか、なんというか……星の思考をまだよく分かっていない俺は、この仔猫さんの不思議な感覚を上手く言葉することができないのだが。思いつきで問い掛けたことをわざわざ説明してみると、自分でもバカなことを言っている気がしてならかったのに。 「んー、さすがにそれはムリですね。というより、自然が話し掛けてくるわけないですし……あ、段々と空がオレンジ色に染まってきましたよ、白石さん」 自然はムリだ、と。 そうきっぱり言い放った星は、俺よりも夕陽を眺めて笑ってしまう。悪気もなく茜色に色付けされた横顔を見せつけられる俺の気も知らずに、可愛い顔をしながら酷く現実的なことを俺に告げるコイツ。 このままソファーでだらけながら、星の姿を眺めるのも悪くはないと思うけれど。せっかくだから近付きたいと思ってしまうのは、俺がまだ若いからだろうか。 「……星、可愛い」 キレイな夕焼け空に見蕩れている星の背後を取り、小柄なカラダを抱きしめて唇を近づけ耳元で俺がそう囁くと。ピクンと反応した星は、肯定も否定もすることのないままに、ゆっくりと俺の手に自らの手を重ねていった。

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