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第11話

 「はぁ……。」  「あれ、美津が落ち込んでる。」  「何でお前は人が落ち込んでいるのにそんなニヤニヤしているんだよ。」  共に食堂で昼食を摂っていた友人の松来(まつき)にため息をついてしまったところを聞かれ、謎にニヤニヤしている彼を俺は呆れた目で見た。松来はあははと笑いながらごめんを繰り返し、結局面白がられていることに嫌気が差しながらも彼はしつこく何があったのか聞いてきた。絶対に言わねえし言えねえよ。そうこうしているうちにもう一人の友人、木津(きづ)が「おまたせ。」と言いながら席に着く。  三人とも高校からの友人で、変な気を遣うことなく素で話せる数少ない人たちである。  「木津遅すぎ。用事って何だったの?」  「教授のパシリだよ。美津、この間講義休んだだろ。これその日のノート。」  この間というのはちょうど飲み会があった日の翌日で、元々飲み会で疲れていた上に七瀬さんとも限界までセックスしていた為、その日は結局大学を休んだ。というか起きたら講義は既に終わっていた時間だったのだ。  木津に「ありがとう、助かる。」とお礼を言いながらそれをファイル入れの中に入れ、それから木津と松来が他愛もない話で盛り上がっているのを聞き流しながらまたもや呆然としていた。自惚れすぎだ、俺は。というかチョロすぎる。憧れているんです、とかただのお世辞かもしれないというのに。  そもそも高校も大学も決まった友人としか行動を共にしなかった上に部活にも属していなかったため先輩後輩との関わりもほとんどない。それなのにどうして浅葱は俺のことを知っていたのだろう。  「うわーすげえ。」  突然聞こえてきた黄色い悲鳴に俺も思わずぼんやりと考えていたことが途切れてしまった。キャーキャー騒いでいる女の子たちに囲まれているのはよりによって俺がまさに先程まで考え事をしていた浅葱本人で、彼は女の子たちに困ったような笑顔ではあるが、きちんと対応している。  まあ、ご飯を食べに来たのに囲まれて前も進めなくなっては困るだろうな。  「さすがモデルは違うなぁ。俺のヘソぐらいまであるよあの足。」  「高校の時もこうだっただろ。大学に来てもまだこの光景を見るとは思わなかったけど。」  「え、高校の時ってどういうこと。」  まさか俺が浅葱に興味を持つとは思わなかったのか二人は互いに顔を見合わせてから松来は少し頭を傾げた。「美津知らねえの?あの浅葱だぞ?」って、いや、あの浅葱って言われてもマジで記憶に残っていない。俺が眉を寄せて必死に思い出そうとしている姿を見て木津はため息をついた。  「美津は基本他人には無関心だからね。」  「…まあ。そうだけど。」  「アイツは――」  木津が何か浅葱について教えようとしてくれたとき、「美津さん!」と元気な声が聞こえてきて俺は嫌な予感がしながらも声がした方へと顔を向ければ直ぐに顔を逸らした。いやいや、何でこっちに来るんだよ浅葱!  「美津さん、おはようございます。今日は珍しく食堂を使っているんですね。」  「……お前、取り巻きとどっか行って頼むから。」  「はい、じゃあテラスの方で食べます。あ、あの、携帯の連絡先交換してもらえませんか。」  昨日、仕事上がる前にお聞きするのを忘れちゃいましたので…と困った顔を浮かべる彼にそこまで心を鬼に出来なかった俺はテーブルの上に置いてあったメモ帳に自分の電話番号とアドレスを書いてから手渡した。ありがとうございます!と嬉しそうな顔で頭を下げた彼は木津と松来にも丁寧に別れの挨拶をしてから女子たちにテラスへと連れて行かれてしまった。  その様子をぼんやりと見つめていると木津は「なんだ、やっぱ知り合いだったじゃねえか。」と言ってきた。昨日まで赤の他人だったがな。  二人に浅葱が昨日からウチのバイト先でバイトするようになったと説明すればフーンと興味なさげではあるが少し納得してくれたようだ。  「けど浅葱と言えば木津の部活の後輩だったんだろ。手芸部の。」  「お前よく覚えてんなぁ。」  「だって木津よく運動部に出来上がったお菓子とか差し入れでくれてたじゃん。」  ふたりのそのやり取りを聞きながら、へぇアイツって手芸部だったんだ、なんて考えていたら携帯が震えた。それはよく使っているメッセージのやり取りが出来るアプリからの通知で、新しく友達が追加されたというものだ。予想はしていたがやはり追加されたのは浅葱。番号を教えたんだから自動的に追加されるか。  『美津さん、届いてますか。』  届いたそのメッセージに無視を決め込むべきかと一瞬考えたが俺は『届いている。』と返信をすることにした。  *  浅葱からのメッセージは1日に数回届いた。  内容は割とどうでもいいものばかりで、今日お店忙しかったですか、とか、今何していますか、とか。まあ俺も特に忙しくない時は基本返すようにはしているが、つい先日、彼から『一緒にご飯でも行きませんか。』というお誘いを受けた。は?いや、待って。何で俺を誘うんだ?  結局その日は返事を返すことなく、そのまま翌日バイトへ向かうことにした。  「美津さん、行きましょうよ。」  「行かない。」  スタッフルームに入って目が合うなり直ぐそう言ってきた彼に俺は拒否の言葉を口にしながらロッカーへと向かう。あーそういえば今日のシフトにはコイツも入っていたな…。  「日付とか時間は美津さんに合わせます。」  「行かねえ。ってか他の人も誘ってんの?」  思い出せばここ数日、従業員たちが浅葱の歓迎会を開こうとか言っていた気がするが、もしそれで誘われているとすれば死んでも行かない。というより飲み会自体、あの日でもう控えようと決めたんだから何があっても断ろう。  けど浅葱は「美津さんしか誘ってません。」なんてやけに真剣な目で答えてきた。  「俺となんか一緒にいて楽しくないだろ。」  ほかの人と行ってこいよ、と言いながら俺はその後の浅葱からの言葉は全て無視し、それから仕事へと集中することにする。  そもそも俺なんかとよくご飯食べに行こうって誘えるなぁ、なんて思う。別に同じ学校だからといって贔屓している訳でもないし、ましてやこの性格だ。逆に避けられて当然だと思うのに何故か浅葱は避けるどころか暇さえあれば近づいてくる。なんだか結城と違う犬を飼ってしまったような気分だ。  ご飯ぐらい食べに行ってもいいんじゃないかと少しは考えたが、俺にはそれができない。というのは浅葱が自分のタイプそのものの顔をしているからで、百歩譲って好きになってしまったら恐らく俺は耐えられない。あの藤谷とセフレになったキッカケというのもまた俺が酔っ払った彼を無理に押し倒して関係を迫ったからで。  たまたま藤谷は上手くいってセフレになったものの、浅葱となると拒否された場合、何より恐ろしいのが今働いている店の従業員全員に暴露されることだろうか。そうなったらもう俺は死ぬしかない。  考えるだけでも最悪だ。もう今からこの店辞めたくなってきた。  「美津さん。」  呼ばれて振り返ると後ろに立っていたのはまさに俺の今の悩みの種である彼で、やけにニコニコとした顔を浮かべている。  「行きましょう。お願いです。」  「…お前もよく誘い続けられるなぁ。」  「折れてくれるまでお願いしますからね?」  ふふ、と笑った彼との話を盗み聞きしていたのか、従業員の女の子が「え、秀くん!美津さんとどっか行くの?」と聞いてきた。最悪過ぎる。  「はい、ご飯誘っているんです。」  お前も何で答えるんだよ。  当然のようにそれを聞いた彼女は嬉しそうな顔で「私も行きたいな!」と目を輝かせながら彼に迫っている。それを見てほかの女の子までが「私も誘ってー!」と言い出した。おう、俺を振ってほかの人と行ってくれ。なんて思いながオーダーの通ったドリンクを作ることにした。  「すみません。美津さんと二人っきりがいいので。」  彼の言葉に俺は思わず手に持っていたカクテルグラスを倒しそうになってしまう。  えー残念、と口を尖らせてしまう彼女たちに笑顔で謝る彼の背中を見つめながらコイツ今なんて言った?と思わずもう一度頭の中で繰り返してしまった。俺と二人っきりがいい?頭がおかしいのかこいつは。  午後11時。ラストまで入ってるときは自転車で店まで来ているが、基本早めに上がれるときは電車を使っている俺は皆に軽く挨拶を済ませてからスタッフルームへと入った。浅葱も同じ時間に上がるため、共にスタッフルームへと入ると彼は背伸びをしながらため息をつく。  「…浅葱ってどこに住んでんの。」  スタッフルームに入ってもどうせしつこく誘われるんだろうなんて思っていたが、意外と何も話さなくなった彼に堪らず俺は少し疑問に感じていたことを聞くことにした。  「飯塚です。」  「え、嘘。同じ?」  まさか住んでる場所が同じだとは思わず、つい反射でそう言ってしまえば浅葱は嬉しそうな顔で「美津さんも同じなんですね。」なんて言い出す。詳しい住所を聞けば本当に互いの家までの距離は歩いて5分もかからない場所にあるようで、流石にそれにはまたもや驚かされた。  「じゃあ一緒に帰れますね。」  「……なぁ、浅葱。何で俺のこと嫌わないの?」  どうせ聞くなら今のうちに聞いておこう。そう思った俺は彼にずっと感じていた疑問を投げかければ浅葱は意外にも疑問を疑問で返してきた。  「美津さんを嫌う理由なんてありますか?」  「は。」  いや、挙げていったらキリがないだろう。  「…目つきが悪いとか言い方がキツいとか性格が悪いとかいろいろあるじゃん。」  「え、そうですか?僕はそう思ったことはないですけど。」  「ほかの人からもそういう話聞くだろ?」  っていうか何で俺も自分で自分の嫌なところを挙げているんだ。馬鹿か。けど浅葱はその質問に少し目線を上げて悩むも、それからいつものようにかっこいい笑顔を向けてくる。  「でも、僕は自分の目と耳で確かめるまでは人の話を全て鵜呑みにしないので。」  事実、美津さんとてもいい人ですし。憧れですし。  そんな言葉とそんな顔を向けてくる浅葱に俺はだめだこいつは、と少し頭を抱え込んだ。腹立つぐらいにタイプだ。それは顔だけじゃなくて性格も。一瞬でも自分と浅葱がセックスしている様子を思い浮かべてしまった自分を全力で殴りたい。ノンケ相手になに妄想しているんだ。  「……いいよ。ご飯食べに行こう。」  「え、本当ですか!?」  大人っぽい綺麗な顔をしている彼はまるで子供のようにガッツポーズしてしまうぐらいに喜び、その様子を見て俺もまた胸が苦しくなった。  結果的に彼の誘いを受け入れて後悔しているかといえば自分でもよく分からない。ただ単に嬉しかったのかもしれない。自分の中身をきちんと見てくれている人かもしれないって。  いつかは自分の周りの人間関係をきちんとしなくてはいけないということぐらい分かる。藤谷とか結城、七瀬さんとのぐちゃぐちゃとした関係はいつかケジメをつけなきゃいけないと。ただ、なかなか踏み出す勇気がない自分にいつも嫌気が差していた。  *  浅葱とご飯を食べに行く約束をした日、お互い日中は用事があったため待ち合わせ時間はかなり遅くになった。  彼が予約を入れてくれた店はお洒落な雰囲気があるイタリア料理店で、店に入ったときも既に時間は9時すぎと少し遅めだった為か人が少ない。これぐらいの人の少ない感じが一番落ち着いていていいなと思った。  「やっぱりお洒落な店知ってるんだな。」  「スタッフに紹介されたんです。」  スタッフということはモデルの仕事関係の人か。やっぱりすげえ、なんて思いながら彼とメニューを見つめ、互いにどれを頼むか話し合って10分。ようやく注文をすることができた。  というか待ち合わせた時から思ったが、彼の着ている服はやっぱりお洒落というか彼によく似合っていて改めてかっこいいなと感じた。モデルだからとかじゃなくて普通に男として尊敬する。どうやったらそんなに自分に似合う服を見つけられるんだ。きっとカッコいいしスタイルもいいから全ての服を着こなせる浅葱が凄いんだろう。  思わずジッと見つめてしまったからか、俺の目線に気づいた彼と目が合ってしまい、彼は頭を少し傾げて「どうしましたか。」と聞いてくる。かっこいいなんて口が裂けても絶対に言わないが。  「美津さんって映画鑑賞が趣味なんですね。どういうものを見るんです?」  「好きな監督の作品は全部見るからジャンルはいろいろだなぁ。」  運ばれた料理を口にしながら彼に俺の趣味やらいろいろと聞かれ、全部俺の話しかしていないというのにやけに彼は楽しそうに全部聞いてくれる。逆に俺が「浅葱の趣味は?」と聞けば彼は少し考えてから「読書と音楽ぐらいですかね。」と答えた。  音楽はなんとなくそういうイメージは掴めるが、読書が趣味とは。ちなみにどういう本を読むのか聞けば意外にも純文学とミステリーが特に好きらしい。  「すげぇ意外。雑誌ばっかり読んでいるのかと思った。」  「あはは、仕方ないですよね。天文学を学んでるって言うだけでも驚かれますし。」  「あーそれは確かに俺も思ったけど。」  酷いですね、と言いながらもどこか楽しんでいるようにも見えるその顔につい俺はまた見つめてしまい、クルクルとパスタを巻き上げている手を止めてしまった。けどそれもなかったことにしようと手を動かし始める。  けど、普通にモデルやっているぐらいの容姿に加えて頭もいいとなると女の子が放っておくわけないよな。聞いていいか分からないが、俺は水を一度口に運んでから彼にまた質問を投げかけた。  「浅葱って本当に彼女いないの?」  「え?いないですよ。」  「いや、告白されたこととか数え切れないぐらいあるだろ。」  何で俺はこんなに前のめりになって聞いているんだ?  自分の失礼とも思える質問に少し情けないと感じながらも浅葱は素直に「告白はされたことありますけど、今は彼女はいないです。」と答えてくれた。  「美津さんもそういうこと聞くんですね。」  「…ごめん。失礼だと思うけど正直信じられないからちょっと聞いてみた。」  「謝ることないですよ。けど、逆に聞かせてください。美津さんは付き合っている人いるんですか?」  心臓にナイフが突き刺さったぐらいの衝撃が走ったが俺はなるべく平然とした顔で「いるように見える?」と聞き返した。それに対して浅葱は「いるように見えたので聞きました。」と答えてくる。どこを見てそう思ったんだ。  「だって美津さん、優しいですし見た目も綺麗じゃないですか。」  見た目綺麗とか、そう直球で言ってくるのお前と七瀬さんぐらいだよ。  別に酒を飲んだ訳ではないが、少し打ち明けようかなと思ってしまったのは彼があまりにも話しやすいからだろうか。  「1年ぐらいいない。お前はなに、半年とか?」  「いえ、高1からいないので4年ぐらいですかね。」  「よ、4年!?」  思わず驚いてしまったが彼のその言葉は嘘ではないようだ。  「なに、お前4年間何してんの。女の子とそういうことになったことは?」  「中学はありましたけど、別れてからまったくないです。」  俺の中でどこかモデルとか容姿の整っている人間は恋人が途切れないとかそういった偏見的なイメージを持っていたが、どうやら彼は違うらしい。中身がこんなにも純情な人ってむしろ見たことがない気がする。  「好きな人がいるんですよね。」  「えっ…」  「ずっとその人のことが好きだから、恋人とか作れなくて。」  好きな人がいるから4年間もずっと片思いして恋人も作ってない?その話を聞いて彼のことを思わず可愛いと思ってしまったのと、何よりそこまで思われている女の子がいるなんて彼女はなんて幸せなんだろうとふと考えてはちょっとだけ胸が苦しい。  いやいや、別にフラれてないのに何で俺が苦しくなるんだ。けど、たったほんの少しとはいえ、好きになりかけていたんだから当然だよなぁ。  「美津さんはどうして前の恋人と別れたんですか?」  「…俺は…なんていうか、相手に好きな人が出来たから別れようって切り出されたから別れた。」  「え、な…なにそれ、酷くないですか?」  「前々から別れる雰囲気はあったから覚悟はしていたけど、やっぱり別れた後が辛いかな。今も連絡を取り合ってるけど。」  ここまで話すつもりはなかったが、彼はやけに自分の事のように辛そうな顔を浮かべていて、「美津さんの元恋人だから悪く言えませんが、酷すぎると思います。」と彼は言った。やっぱりほかに人から見ても酷いのか。  「今も連絡取ってるって、またヨリを戻そうと言い寄られてるんです?」  「直球では言われてないけど、そういった関係になっているというか。いろいろと流されてしまってる。」  「…美津さんから言わせるつもりなんですかね。」  少ししんみりとしてしまったこの空気を途端に変えたくなり、俺は自分でも流されやすいから仕方がないよ、なんてなるべく明るく言って気持ちを切り替えた。俺が無理して空気を変えようとしているのに気づいたのか、それから彼とは恋人の話題は口にしなくなり、そのまま会計をして店を出ることにした。  駅へと向かい、そこから最寄りに着くまでの間、さっきまでの空気はどこへ行ったのか二人で別の話題で盛り上がり、気づけばそれぞれの分かれ道の近くまで来ている。  「今日はすごく楽しかった。浅葱っていい奴だったんだな、今まで冷たくしててごめん。」  「僕こそ楽しかったです。しつこく誘ってすみませんでした。」  いいよ、と俺は少し笑ってみたが、このまま別れてしまうことが急に寂しくなり、その寂しさを紛らわせるかのように「じゃあ、またな。」と言って真っ直ぐに歩き始めた。  本当に楽しかった。  あんな形とはいえ、第三者から見た俺と七瀬さんの関係はやはりおかしいんだなということに改めて気づけただけでも充分だ。  最近の彼が優しいから、思わず俺もついヨリを戻そうかなと考えたが…やっぱりまた傷ついてしまうのではないかという恐怖が無いわけではない。また別れていろんな人と寝てしまう自分に嫌悪感を抱いて、負の連鎖を起こしたくないな。  そんなことを考えながら歩いていたら、「美津さん。」と後ろから呼ばれた。  浅葱は俺の方へと歩み寄り、それから少し眉を寄せながら何かを言いづらそうにしている。どうしたんだろう、と彼の顔を覗き込みながら「なに?」と聞けば彼は手を強く握り締めながら俺にあることを言ってきた。  「好きです、美津さん。」

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