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第79話 別れ①
気がついたら眠っていた。
カラダのあちこちが地味に痛い。
灰谷と殴り合ったところだ。
見ればちょっとした青アザになっている。
今頃灰谷も同じ痛みを抱えているのかな、と思う。
……トイレ行きたい。
城島さんの留守だけどちょっと借りちゃおう。
用を足して手を洗っていたら、バターンと玄関のドアが乱暴に開く音がした。
「城島!城島!」
叫ぶ男の声がする。
もしかしてさっきの人が戻ってきたとか?
でも、この声――。
オレはゆっくりとドアを開け、顔を出す。
そこには城島さんが立っていた。
オレを見つけた城島さんの顔はみるみる曇っていき、うつむいた。
そして床にヒザをつき頭を抱えこんでしまった。
「城島さん……」
何も言わないでくれとでもいうように、オレに手のひらを向けた。
飛びこんできた城島さんの顔を見て確信した。
何もかも捨ててきたと言った城島さんは、この部屋であの人を待っていた。
カギをいつでも開けっ放しにして、仕事に行く時もコンビニに行く時も出張中でさえ。
いつ探しに来てもいいように。
出張中に来たら、来たことがわかるように、また来てくれるように合カギを。
そして、その人が来たら一服できるようにタバコとライターと灰皿を置いた。
「城島」と言って飛びこんできたということは、さっきの人の名前が城島で。
オレが城島さんと呼んでいたこの人は城島ではない、という事になる。
あの人の名前をオレに告げて、呼ばせることで、いつもあの人のことを思い出していたのかもしれない。
なんて……なんて……。
オレは城島さんの背中に抱きついた。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
謝ることしかできなかった。
二人の大事な場所にオレが勝手に入りこんだ。
オレが城島さんを傷つけた。
「……ごめん、真島くん。オレ……」
オレは城島さんを、自らを城島と名乗っていた人をさらに強く抱きしめた。
*
少し落ち着きを取り戻した城島さんが……ああ、城島さんじゃないんだっけ。
まあ、でも、オレには城島さんだ。
城島さんが静かに話し始めた。
「真島くん。オレ、何もかも捨ててきたって言ったよね」
「うん」
「でもね、生きてるとまた、持ってしまうんだよ。君との出会い。君との関係。君をカワイイと思う気持ち。これはオレが所有していていいものなのかなって。君に会わない間、ずっと考えていた」
「それって……もう会えないってこと?」
「それを、決めかねてる。決めかねてるってことは、君のことを大事に思い始めたって事だと思う。最初は危なっかしくて見てられなかっただけだったけど。昔の自分を見るようで」
城島さんがオレを優しい目で見つめた。
「オレもね、これでもずいぶん酷い目に遭ったんだ。遭いたかったのもあるんだけど。あいつに執着し続ける自分を痛めつけてやりたいって。でも、世の中、今の真島くんが想像もつかないような酷い人間もいるし、酷い世界もあるんだよ。君にはそっちには落ちて欲しくないなって。オレがギリギリ踏みとどまったのだって、たまたま少し運が良かっただけなんだ」
「……」
「わからないよね」
「わからない」
オレは正直に答えた。
「うん。それでいいんだよ」
オレは城島さんの横顔を見つめ続けた。
「城島を思う痛みが快楽なら、真島くんは僕にとってたぶん癒しなんだ。でもね、癒されていいのかな。癒されているオレはあいつと向き合っていることになるのかな。そんな風に思ってしまうんだよ」
「オレは……城島さんに癒やされてる。城島さんに甘えてる」
城島さんはオレを見て軽く微笑んで頭を撫でた。
「うん。いいんだよ。オレが望んでそうしたんだから。真島くんは何も悪くない。悪いのは君に容易に踏みこんでしまった、踏みこませてしまったオレ自身だ。――結局のところ、カタチはどうあれ、人は人を想わずに、人と触れ合わずに生きては行けないものなのかもしれないね」
オレの中で不安だけが膨らんだ。
そして、言うまいと思っていた言葉があふれだしてしまった。
「城島さん、オレとはもう会ってくれないの?」
「お互いのために、その方がいいと思うんだ」
城島さんはオレの顔を真正面から見つめた。
オレも見つめ返した。
優しい顔だった。
優しくてあったかくて、そして寂しくて悲しい顔だった。
――城島さんの顔がゆがむ。
口を塞がれた。
激しいキスだった。
荒々しいキスだった。
オレも必死で応えた。
長い長いキスが終わり、唇が離れると息が上がった。
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