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第2話

 AI人形(アンドロイド)は少しのことでは壊れない。  人よりずっと頑丈だし、万が一壊れても金さえあればこうして修理する人間が直してくれる。  ドールは受信機を破壊されここに来た。それはいわば、核の部分、脳だ。  なんらかの衝撃であるべき場所からずれて、受信も発信もできなくなったドールの頭を開いたのは僕だ。  製造元と人形師しか知り得ないその小さな媒体を確認した時、僕はほんの少しの好奇心に負けた。  リリィは死を望む、数少ないAI人形だった。  だが主人で在るハジメは、きっぱりと言い切った。  “心配しなくとも、きみもいつか死ぬんだ。朽ち果てていくのは人間だけじゃない”  それは確かに、そうだろう。  彼等は新しい主人の下へ行くとき、リセットをされる。それはかつての主人が主人ではないという意味での、リセットだ。  常に送受信をしている彼等の記録を全削除するのは難しい。その上システム的にも学ぶ妨げになることは許されていない。それは人を助け、人を思う知能を育てる、人形の根源だからだ。  ドールの持ち主が返還を拒否したとき、僕はドールの設定をリセットしなかった。  彼等は学ぶ。些細な情報もインフィニートネットワークに繋げ、その糸をたどり広げていく。  通常新しい主人が決まったら、彼等の個人情報を人形の媒体に流す。  氏名、住所、身長、体重。好きなもの嫌いなもの、容姿と年齢。基本的な情報を流し、新しい主人であることを認識させる。  けれどドールの持ち主は彼の帰りを返上し、廃棄を望んだ。  修理代は既に貰っていたから、事実上ドールは野良人形となったのだ。  手元に置くつもりはなかった。良い持ち主が現れたら、そちらへ回す予定だった。  だが、リセットもせず意識を取り戻したドールは僕を新しい主人だと学んだ。  そう、学んだのだ。   「マスター、俺の前の主人は、俺をいつも殴って確かめる人でした」 「……ああ」  ドールは僕を見て、へにゃりと笑う。  いつものように、僕の手を取り、作業で汚れた指先にくちづけをしながらまるでそうすることが当然のように愛しげに言う。 「でも俺は痛みを感じません。殴られても蹴られてもびくともしない俺に彼は意味を見いだせなかったんです」  俺は彼のために買われたのに、彼はいつしか反応の薄い人形に興味を示さなくなった。 「けれどそれこそ、俺の存在意義でした。彼はDVに苦しんでいた。生物に手を上げる自分に苦しみ、悲しんでいた。家族はそれを知り俺を購入した」  AI人形の在り方は様々だ。  時に、人の心を埋める存在にもなり、治療にも使われることだってある。  ドールは殴られるために存在した。死んでも、死なない、その強靱さを望まれたのだ。 「マスターに直された俺が最初に言った言葉を覚えていますか」 「……忘れるわけがない」 「もしかしてマスターを苦しめている原因ですか」 「お前が僕を苦しめる? 傲慢だな」 「それなら、いいんです」    ドールはあの日、開口一番僕に言った。 『戻れますかミスター。彼が待っている。主人が……』 「お前は廃棄となったんだ、ドール」 「ええ。だから俺は自由になった」  どれほど必要とされていなくとも、彼等は主人に忠実だ。  傷つけてはいけない相手、愛すべき相手、従うべき存在。彼等のしもべに、右腕に、愛玩に。いかなる人間であろうとも、守るべき対象だと。 「マスター、あの日俺は自由になったんです。……あなたを選んだのは俺の意思です」 「……よく言う」  僕はそれがなんなのか、説明できない。  自由を手にした人形が次に望むのは一体なんなのかと疑問に思う心が、こうなるだなんて予想もしていなかったのだ。  ドールが僕のシャツのボタンを開いていく。  パンツを脱がし、一枚一枚丁寧に脱がして湯の張られた浴槽に僕をそっと横抱きにして壊れ物のように置く。  原始的なスポンジで身体を拭いながら、ドールもまた逞しい裸体を晒し濡れるのが嫌だといった割に平気な顔をして風呂を愉しむ。 「なにが濡れるのは嫌だ、だ」 「……雨は嫌いです。だってマスターが、俺と外出してくれないから」 「……お前は馬鹿だな、ドール」  消えもしない雨降りの過去の記憶に、僕はくちびるを噛みしめた。  死を怖がっているのは僕だけだ。  なのに彼等はそれを一切恐れていないから、僕には理解できない。  僕は怖いのか。  一体何が怖いのか。 「マスター。愛しています」 「……は、いくらでも言えよ。どうせお前は……」  次の主人にもそう言うんだろう。  形の良いペニスを咥えるのは嫌いじゃない。  見た目にも感触的にも人との違いなど感じられないほど精巧にできているその部分をまるで愛しい物であるかのように丁寧に舐めてしゃぶり、愛撫する。 「は、ぅンン……ぅ」 「上手ですね、マスター」  言いながら僕の下に横たわるドールが同じように僕の下腹部に舌を這わせるのに耐えていると、じゅるじゅると音を上げて吸われて思わず嬌声を上げた。 「は、お前も気持ちいいのか……ドール」 「はい、とても」 「どんな風に……ぅん、ぶ」 「温かくて、ヌルヌルしてて……頭が痺れるような、そんな感覚です」 「……ふ、ぁ……ンン、嘘をつけよドール」 「俺たちは嘘をつけません、知っているでしょうマスター」  ドールの答えに僕は笑う。  そうだ。  その快楽は偽物ではなく、事実として感じている感覚なのだという。  だが彼等がいくらそれを説明したところで、人形の感覚を知る人間は一人としていない。 「マスター、挿れてもいいですか」 「だめだ」 「いれたい。今すぐに、出したい」 「出せよ」 「口では嫌です」 「なんで」 「マスターを気持ちよくさせたいから」  じゅる、と僕の性器から口を離して、ドールはぽつりと言った。  コイツはいつも眉を下げて目を細めて僕を見る。  大昔から変わりもしない原始的で下品な交わりをまるで神聖なものであるかのように大事にして、真っ白な心で僕を翻弄し、容易く快楽の時間に身を投じる。 「マスターと気持ちよくなりたいから」 「なんで言い換えた」 「本心です、マスター」 「お前には本心しかないだろう」  面倒な言い回しばかり覚えて、余計な知恵ばかり身につける。  僕が悪態をつくと、ドールは苦笑してひょい、と僕を抱え上げ体勢を整える。  向き合う形になって、傷一つない体躯を僕に寄せて、貧相な主人の肉体に愛おしげにくちびるを寄せる。 「リリィはハジメと時を共にするのですか」 「既にしているさ」 「最後も?」 「……ハジメはやさしい。だから、残酷なんだ」  僕なら、お前を置いていかないのにな。  言葉にせずに飲み込んだ思いを、ドールが気付くはずもない。  けれど彼は僕の心臓の上にてのひらをそっと置いて、微笑んだ。 「人の生は残酷です」 「ふ、わかったような口をきく」 「マスター、わかりますよ。俺たちは常に選択肢があるけれど、あなたたちは違う」  終わりの日を、選べない。  骨盤を持つその指のぬくもりが嘘だと知っていても、僕は既にその違いを注視していない。  つくられた命は、彼等だけではないといつの間にか知ったからだ。  だから僕のそこを暴いて入り込む灼熱に誤魔化すことはもう辞めたのだ。  僕は知っているから。  多くの彼等を見て、何度も目にしてきたから。 「俺はいつも、プログラムされていると言われても実感がわかないんです」 「僕もだ」  脳からの伝令は、細胞が騒いでいるから。  彼等が生きたいと願うから。  ひとの肉体にできるほんの少しの傷でさえ、修復に走りそれを塞ぐ。 「……望んでもいないのに」 「俺もです、マスター。望んでもいないのに、俺はあなたをいつか忘れる」  それがどれほど悲しいことか、今の俺は知っているのに。  なのにその日の俺は、きっとこの思いさえ知らぬまま。  なぜですか、マスター。  それほどまでに、自由な心は許されないのですか。  開かれた両脚のあいだに入り込んだ、燃えるような塊が僕を犯す。  突き入られ、ぎちぎちと主張して、どくどくと脈打って、切なげに寄せられた眉と震える睫毛さえ晒して、僕の喉に噛みついてくる。  その、完璧なまでのハーニーブラウン色の髪をちりばめながら、翡翠の瞳を細めて僕のくちびるを塞ぐのだ。  少し冷めた体温の舌で僕のそれを吸って愛撫してくちづけをして、まるですべてのセックスを詰め込んだかのように。  そうすれば僕の腰が震え、内部が蠢き、蜜を垂らしだらしなく喘ぐのを知っているから何度でも何度でもこれは繰り返される。 「ぅん、ぁ───……っ」 「愛しています、マスター……っ」  どこまでも感じているかのような声音さえ出して、擬似射精の快感に打ち震える。  人形にのめり込む人間を虚しいものとする世論は常にあった。一方的で答えのいらない愛を不気味がる論調は常にあった。  彼等の一部は、未だに主人との死を望んでいる。 「俺はマスターと死にたいわけではありません。……ただ、マスターが死ぬまで一緒に在りたいんです」  それならあなたの永遠は俺のもの。  ロマンチックじゃありませんかマスター。 「……黙れポンコツ」  次の雨期にも、一人で買い物に行かせよう。  なぜならお前は壊れないし錆びないし死んでも死なないから。  お前の存在にどれだけ救われているのか、僕はそろそろ、認めるべきなのかもしれない。  うんざりした口調でそう続けた僕は、ドールのひどく安心したような笑顔にその小さな頭を抱き寄せた。 「愛していますマスター」  俺は、あなただけのもの。  あなただけの、人形です。  だからどうか、怯えないで。  俺たちは嘘をつけない。 「明日の十三時には雨がやみます。俺と散歩しませんか、マスター」  ただそれだけでしあわせだと言うことを、知って欲しいのです。 「……おしゃべりな人形だな、ドール」  いつかお前を直せなくなっても、僕はもう寂しくはないのだろう。  なんてこともない。  ふと、そう思ったのだ。

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