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 今日も開店休業だな。雨はあと幾日つづくのだろう。  そういえば一昨日から誰とも話をしていない。多忙で華やかな中ではこんなことはあり得ない。  このままひとりで住み続けるくらいなら、同居の弟子がいる方がマシか。  もし誰か弟子入りを希望する人が来たなら、どんな人物でも受け容れよう。師の元から逃げた自分の罪滅ぼしに、今度の縁は決して自分からは断たないと心に決めた。  窓越しに外を見ると、軒先に駆け込む人影が見えた。  雨宿りだろうか。ジャケットの肩が濡れるのを気にも留めず、看板と下の紫陽花を見つめている。  (ひさし)の中へ入ればいいのに。車が跳ね上げた泥水を革靴に浴びながら紫陽花を熱心に見ているのは、花好きだからか。  声を掛けてみよう。ガラス戸を開け、雨音に負けない声量で呼び掛けた。 「こちらへどうぞ。ベンチを使ってください、タオルもあります」  濡れた前髪を掻き上げもせず、振り返った姿に息をのむ。 「先生……」  こちらを見つめて微笑んだのは紛れもなく、長い時間を共に過ごした華道家その人だった。  額に張り付いた髪もそのままに微笑む姿を、信じられない思いで見つめる。何故ここに? 何の知らせも出していないのに。 「やっと見つけた」  その表情に怒りの色は無かった。怒るどころか、子供のように喜んでいる。  多忙を口実に何日も放っておくくせに、時折こんな表情で私を見るのだ、この男は。 「その節は……不義理を致しまして」  恩を仇で返したと思われても仕方がない。逃げるように飛び出したのだから。  師匠は店と私を見て目を細めた。 「いい顔になった。ここがお前の場所か」  カトレアのようなこの笑みに、長い年月囚われてきた。勢いで逃げ出さないと離れられない程に。  雫を纏ったどんな花よりも華やかな男を前に、勝手に心拍数が上がる。  雨に濡れて美しさを増すのは、紫陽花だけだと思っていたのに。  濡れた身体を拭き、前髪を見慣れたいつもの形に整えたい……でも、今の自分はそれをしてはいけない。ぎゅっとタオルを握りしめた。  テントを打ち付ける雨が強くなる。 「大きな仕事を断ったと噂で聞きました。どこか悪いんですか?」 「いや。健康だよ」 「本当に?お変わりないですか?」 「あ、体型が変わった。お前がいないと外食ばかりで、ちょっと太った」  オフの時だけの茶目っ気も相変わらずで、ますます訪ねて来た理由がわからない。  タオルを渡そうと一歩近づく。 「お前に話があって来たんだ」  雨音が少しだけおさまった。 「弟子を募っていると聞いて。どうだろう、私を弟子にしないか……いや、弟子入りさせてもらえませんか?」  ――! 「いいよな、政孝……いや失礼。師匠!」  いいも悪いも、たった今『もし誰か弟子入りを希望する人が来るのなら誰であろうとその縁は自分からは断たない』と、誓ったところだ。 「仕事も住まいも来週末には片付ける。また来ますよ、師匠」  言うだけ言って、返事も聞かずに男は雨の中へ消えて行った。  駆け抜けた嵐の後の静寂の中、持っていたタオルで頭を覆う。  ――なんてこった。  僕と師匠、二度目の人生の幕が上がる。   <セカンドライフ おしまい>

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