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第1話
出張先である見知らぬ土地にて、俺は時計を見て一つため息をついていた。
今日は帰れるはずの仕事が思ったより終わるのが遅かったせいで、どうにも家に辿り着けそうにない。もちろん無理やり帰ろうとすればそれなりに手はあるのだろうけれど、そこまでするものではないだろう。つまりはまずホテルを取らなきゃいけないし、その前に腹が減った。
宿も探すべきだとは思うけど、それよりもまずは腹ごしらえをしようじゃないか。
とりあえず駅前に行けばなにかしらあるだろうと、梅雨時特有のじめじめした空気に辟易しながらネクタイを緩めて歩き出す。
日が暮れたら少しくらい温度が下がっても良さそうなものだけど、逆に湿度が上がった気がする。
そんな風に蒸し暑い道を適当に歩いていると、やたらと風景から浮いている奴が目に入った。
同じように駅に向かっているのか、俺より少し先を行くそいつは、頭が小さく無駄にスタイルが良く、俺と同じ出張スタイルで。
「……春永 ?」
思わず出た声が相手にも届いたようで、そいつが振り返る。ちゃんとした面識があるわけじゃない。だけどやっぱり知っている顔だ。
「あれ、夏目 さんだ」
突然名前を呼んだというのに、相手も同じように俺のことを呼んできて不思議な気持ちになる。今さらだけど、どうして俺は顔見知りでもないのにこいつに声をかけたんだろう。
「夏目さんも出張ですか?」
どこか大型犬じみた雰囲気で駆け寄ってきた春永は、ご自慢の(本人が自慢かどうかは知らないけれど)笑顔を浮かべたまま、ふと首を傾げた。
「ていうかよく俺の名前知ってましたね」
「そっちこそ」
「夏目さんは有名ですもん。女子人気的に」
同じ会社とはいえ、海外事業部の俺と商品開発部の春永はほぼ接点がなく、だからお互い名前を知っているのが意外と言うかなんと言うか。
とはいえ俺だって知っているのはその容姿と名前ぐらいだ。
……少し前のこと、喫煙所で営業の奴らが「春永の奴、なんであんな営業向きの性格しといて営業じゃないんだよ」とぼやいていたのを聞いたのが最初。でもその時は、「商品開発部の○○さんと一緒に仕事したいから、俺と部署変わってくれねぇかな」と続いた言葉の方が気になって、大した印象じゃなかった。○○さんって可愛いのか、っていうのが意識を優先して、春永に対してせいぜい残ったのは商品開発部に営業向きの奴がいるらしいっていう薄っすらした記憶くらい。
けれどその後も何度かそういう話を聞き、どんだけ営業向きなんだよ春永って奴は、という興味が残り、それでも特に会う機会もなく。
そもそも名前しか知らないからわざわざ会いに行って呼び出さなきゃどんな奴かわからないしと思っている時に、今度は「スーツが似合いすぎてサラリーマンらしくない」という話を聞いた。
一体なんなんだ「商品開発部の春永」って、と段々苛立ちが募り始めていた頃、初めて食堂でその姿を目にしたんだ。
背が高くてやけにスーツが似合いすぎている男が目の前にいて、「サラリーマンらしくない」と思った自分の感想でピンと来た。そして食堂のおばちゃんに一人だけ惣菜を山盛りにされて「こんなに食べられないよー。でもありがとう!」なんてにこにこ笑顔を向けているその男の顔を見て確信を深め、近くの席に座った時に「また春永の奴山盛りにされてる」なんて笑われているのを聞いて「ビンゴ」と心の中でガッツポーズをした。
スーツのモデルみたいなスタイルの良さと、にこにこ笑顔が印象的な噂の春永。若干子供っぽい声と口調ではあるけれど、確かに人当たりは良さそうだし営業には向いてそうだと勝手に評価を下して満足して飯に移ることが出来た。
それからと言うもの、社内で姿を見るたびに「営業に向いてるって思われてる奴だ」と内心で思うくらいには気にしていたヤツ。
そいつが目の前にいたからつい声をかけてしまったけれど、別に知り合いでもないのにどうしたものか。
初めて喋るわりには元から知り合いのような距離で話す春永に、やっぱり営業向きっぽいよなぁと勝手に思って話題を探す。
「お前も出張?」
「そーです。今日で終わり。と言っても今日はもう帰れそうにないんで、とりあえずどっかで飯食ってこうかなーって」
「そうか。……じゃあどっか飲みに行かないか?」
声をかけた手前それじゃあと別れるのもなんだから、そんな風に誘ってみたら目を丸めて瞬かれた。よっぽど虚を衝かれたらしい。
それでもすぐに弾けるような笑顔を浮かべて何度も頷く辺り、やっぱり犬っぽさが付きまとう。
「じゃあちょっとだけ歩くんですけど、飯の美味しい居酒屋があるんでそことかどうです? 俺一度夏目さんと喋ってみたかったんですよね」
言っといて答えを待たずに歩き出す春永はにこにこの特上笑顔を浮かべている。どうやら俺が気になっていたのと同様に、春永の方も俺に興味を持っていたらしい。
女子人気というところも深く聞いてみたいし、飯が美味い店があるなら願ったり叶ったりだ。
そういうわけで連れ合ってそのオススメの店に移動しようとした途端。
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