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第6話:忘れたい過去の来訪

 金井にケイの説得が失敗したことを告げた結果、もう少しだけ時間を置こうという話になった。  一応、表面上は自分もケイの説得に回ると話をしたが、奏人にそのつもりはない。 「じゃあ、明日はオフだからって、外に出て軽率な行動はしないように。一応は芸能人だって自覚を持って。ああ、あと、もし何か困ったことがあったら、すぐ俺に連絡すること。いいね?」  住んでいるアパートの階段を上りながら電話をする。その相手はついさっき部屋まで送り届けたケイだった。 「俺? 俺も休みだけど、明日は部屋の掃除と溜まった洗濯を片づけなきゃいけないから、遊べないよ。ほら、もう部屋についたから電話切るね。じゃあ、お休み」  話しているうちに、部屋のある階に着く。そろそろ切らなければと、奏人は電話の向こうで惜しむケイを説得して電話を切った。続けて鞄の中から鍵を取りだし、到着した玄関の鍵穴に差しこむ。 「あれ……?」  不思議なことに鍵を回しても、聞こえるはずの解錠音がしなかった。おかしいと思いながら鍵を抜き、ドアノブに手をかける。  すると、簡単にノブが回った。  もしかして、今朝は、鍵をかけ忘れて出てしまったのだろうか。きちんと確かめて出たはずなのに、と奏人は首を傾げながら扉を開く。  直後、鼓動は驚きに跳ね上がった。  どうして無人のはずの部屋の電気がついているのだ。しかも、その明かりはまるで『この明かりの道のとおりに進んでこい』と示すかのように廊下、そしてその先にあるリビングまで続いている。 「う……そ……」  廊下のみなら消し忘れを疑ったが、これは明らかに異常な光景だ。  得も言われぬ恐怖に唇が震え、勝手に言葉が漏れた。掌が汗ばんでいくのも分かる。  しかし、奏人を愕然とさせる事実はそれだけではなかった。  玄関を入ったすぐの三和土に、自分のものではない靴があったのだ。一目見ただけで品質のよさがわかるそれは、勿論自分のものではない。ならば、これは。 「っ!」  弾かれたように顔を上げると、手に持った鞄を落とし、明かりが灯るリビングへと駈けこんだ。  次の瞬間、目に入ったのは安物のソファーに悠然と座る、上質なスーツを纏った男の後ろ姿だった。男はこちら側に背を向けているため顔は見えないが、奏人にはすぐにそれが誰なのか分かってしまう。 「彰文……さん……」  仕事の予定がぎっしりと書きこまれた壁掛けカレンダーに、今朝読んだ状態のまま置かれた朝刊。目に入るもの全てが見慣れたものなのに、その男――――須藤彰文がここにいるだけで、全てが一度も見たことのない別の空間に見える。 「な、んで……」  呆然と立ちつくしていると、彰文がフッと鼻で笑い、ソファーから立ちあがった。そしてゆっくりとこちらに振り向き、ようやく奏人にその精悍な顔を見せる。  彼の肉食獣を思い出させる鋭い眼光と、引き締まった口元、そして四十を過ぎた年相応の貫禄は二年前、最後に見た時と全く変わっていない。整髪料できっちりと纏められている艶のある黒髪も、彼の律儀で堅物な性格がまだ健在であると表している。 「どうして、貴方がここに……」 「どうして? お前は不思議なことを聞くんだな。俺がここへ来た理由なんて、考えなくても分かるだろう」  彰文はさも当たり前と言わんばかりの顔をしながら、口角を天に向けて笑った。 「お前を連れ戻しにきた」  たった一言が、鋭く尖った刃物となって奏人の胸に突き刺さる。心臓が嫌な音を立てて鳴り響き、冷や汗も止まらない。 「何を……言ってる……んです……か……」  何とか絞り出した弱々しい言葉を、彰文にぶつける。だが、カラカラになった喉は、それ以上の言葉を出すことを拒んだ。 「言葉のままだ。まぁ、俺も鬼じゃないから、今夜すぐに連れて帰ると言うつもりはない。そうだな……今働いてるモデル事務所に辞表を出して、事務処理と引き継ぎを終えるまで二週間といったところか。それまでは待ってやろう」  淡々と日数を計算して告げる彰文の顔を、奏人は殺人鬼でもみるような顔で凝視する。 「何で自分が働く場所まで知っているのかという顔をしてるな。そんなのは当たり前だろう。俺はお前の親代わりだ。お前がどこで何をしてるかなんて、俺の下から逃げた日から全て把握してる」  見た目は気品のある紳士といった風貌なのに、先程から吐き出される言葉はどれも悪魔のようなものばかり。聞いているうちに恐怖が最高潮となり、震える足が今にも崩れそうになった。 「まさか俺が何も知らないまま、お前を手放したとでも思っていたのか?」  無言の奏人を見ながら、彰文が緩やかに歩き出す。そして目の前で止まった。 ケイとほぼ変わらない長身で、尚かつ体格ががっしりしている彰文から生まれる影の威圧感は生半可なものではない。その影に全身を飲みこまれた奏人は、あたかも猛獣の檻に閉じこめられ、今にも襲われそうになっている被食者の気分になった。 そんな奏人を間近で見下ろした彰文が、冷たく笑う。 「悪いが、俺は全部知っていたぞ。お前が大学の卒業式の混雑に紛れて姿を消そうと計画していたことも、一年のアルバイト生活を経て今の会社に入ったことも、全て知った上で自由にさせていただけだ」  衝撃的な事実が、彰文からどんどん告げられる。 その時、ふと脳裏に、先日ケイのマンションの前で人の気配を感じ取った時の記憶が過った。あの時はケイのファンだと思いこんでいたが、今の話を聞くに、恐らくあれも彰文の監視の一つだったということだろう。 「だが、そろそろお前の身勝手に付き合うのも飽きた。お前だって二年も自由な生活ができたんだから、もう満足だろう?」  陳腐な社会勉強も終わりだ、と彰文に残酷な宣言をされる。  言葉が耳を通り抜けた後、奏人はあまりの混乱に思考が纏まらなくなった。一体、この男はさっきから何を言っているのだ。  ただ、それでも今言える言葉は一つだけあった。 「……帰らない……」 「何?」 「俺は、帰りません……だって……貴方に必要なのは俺じゃ……ないから……」  小さく、小刻みに首を横に振って拒絶する。それが自分にできる唯一の抵抗だった。  奏人を見て、彰文が小馬鹿にするように小さく両肩を竦める。 「何をわけの分からないことを……。お前はまだ自分のことを分かっていないようだな」  彰文がさらに一歩、詰め寄ってくる。逃げなければ、と思った時には既に遅かった。言葉を出す間もなく身体を翻らされ、後ろ手を捩じ上げられて近くの壁に押しつけられる。 「い……ぁっ……」  強い力で腕を捻られた激痛に、叫び声にもならない呻きが零れた。 「お前は俺のものだ。お前の母親……美菜から渡されたあの日から、お前の所有権は俺にあるからな」  緩められない拘束に歯を食い縛っていると、耳元に寄せられた彰文の唇からで無慈悲な言葉が囁かれた。そして言葉の終わりと同時に、耳朶を舐めあげられる。 「んんっ……」  生温かい舌の感触に、ゾクッと背筋が震えた。  瞬く間に、身体の奥が熱くなる。 「どうした、耳を舐められただけで感じたのか?」 「違……っ……」 「違う、か。おかしなことを言うもんだな」  空いている方の手で首筋を撫でられ、流れのままネクタイを引き抜かれる。  壁に押しつけられている奏人からは見えなかったが、音だけで全て分かってしまった。動作も、彰文が今から何をしようといているのかも。  「だが強情を張ったところで、身体の方はどうだ?」   彰文の指が全く無駄のない動きで一つずつシャツのボタンを外し、開いた合わせから中へと侵入する。辿りついた先は、まだ柔らかい胸の飾りだった。  やんわりと指で捏ね回し、やがて硬くなった果実を指先で何度も引っ張られる。 「やっ……ぁ……んっ……」 「ほら、胸を弄られただけで、もう腰が震えてるぞ。今からされることを想像して、期待してるんだろう? ハハッ、さすがに八年間、毎日のように足を開かせ続けただけのことはある」 「ゃ、違……あっ……」  そんなはずはないと抗議しようにも、できなかった。何故なら奏人の身体は、彰文の言葉どおり触れられただけで、あからさまな反応を見せていたからだ。  全身の血が、ゆるゆると沸騰していくように熱くなっていく。 「しかしこうして少し触られただけで、犯して下さいとばかりに反応する身体で、よく二年も我慢できたな。他人と接するのは大変だったんじゃないか?」  問われて奏人は、ハッと目を見開く。すぐに浮かんだのはケイの顔だった。  確かにケイに抱きしめられると、いつも身体が変に熱くなって怖かった。その原因が、これだったなんて。 「ココだって、弄ってもいないのにこんなに脹らませて……早く出したいだろ?」  柔く抓って遊んでいた胸から彰文の指先が、ゆっくり下がっていく。  辿り着いたのは、スラックス越しでも分かるほど脹らんだ奏人の下腹部だった。 「あっ……ダ……メっ……」  上から軽く撫でられただけで、自分でも分かるほど腰が大きく震えた。  浅ましい反応なんてしたくないと思っているのに、身体が言うことを聞いてくれない。これでは待ち侘びていると思われても仕方がないだろう。 「この状況でダメなんて言って、誰が信じると思う? まぁ、だがこっちを弄られたら、お前ももうそんなこと言えなくなるだろうけどな」  膨張する下腹部を一撫でした彰文の指が、器用にスラックスの留め具を外す。そして腰回りが緩くなったところで、スラックスを下着ごと一気に太腿あたりまで引き下ろされた。 「あっ」  露わになった下腹部が、外気に触れて震える。 「久しぶりだから、たっぷり濡らしてやる」  言葉と同時に、この二年全く触れていなかった後孔に硬いものが触れる。  指ではない、冷たい感触。奏人は今からされるだろうことに恐れを抱き、腰を引こうとしたが、逃げるより先にその硬い何かが奏人の蕾を押し広げ、内側へと滑りこんだ。  そんなに大きなものではない。だが、久々に強いられる異物感に、自然と眉が寄る。 「くっ……」 「怖がるな。ただの固形ローションだ。すぐに中で溶ける」  彰文の説明のとおり、内側の異物感はすぐに消失した。しかし、ローションの後を追うように彰文の指が中へと侵入してきたことで、再び異物感に襲われる。 「ぅっ、くっ……やめ……、あぁっ」 「懐かしいだろう? お前の中を隅々まで知り尽くした指だ」  ローションによって濡らされた中で、二本の指がぐるりと大きく円を描く。それからすぐさま言葉どおり的確に、彰文は一番感じる部分を攻めてきた。 「やぁ、いやっ、そこ……だめっ! 触らないでっ」  二本の指の先でグチュグチュと押すように中を掻き回されると、口から勝手に淫らな嬌声が落ちる。 「ああ……っ、ん、は、ぁあ………」  意識が高熱を出した時のようにグラグラと揺れ、頭の芯も震えた。押し寄せる快楽の波が、次第に考えることすらも手放そうとする。  「ほら、俺の指に絡みついてくるぞ。前の方も全く触ってないのに、嬉しそうに涎を垂らしてる」  さらに指が増やされ、三本で同じ箇所ばかりを擦られと、その度に脳に電撃のようなものが走り、続けて痺れるような感覚に全身が支配された。  もう、何も考えることができない。理性が全くというほど機能しない。 「や、やっ、やぁっ、あぁっ!」  膝がガクガクと大きく震える。きっと今、彰文に押さえつけられていなかったら、自分は耐えられずに床へと崩れ落ちていたことだろう。 「奏人、後ろだけでイクんだ」  お前ならできるだろう、と冷酷な要求を強いられる。  本当なら嫌だと言いたいのに、今すぐ彰文を振り切って逃げたいのに。  もう、自分の身体に抵抗する力なんてこれっぽっちもない。 「ほら、早く。尻を指で掻き回されただけでイッてしまう、淫乱なお前を見せてみろ」  耳朶を熱い舌で何度も舐め上げられ、さらに指の動きを早くされる。指だけで達してしまうなんて、おかしいのは知っている。だからこそ、絶対に絶頂など迎えたくなかった。 けれど。 「あっ、ぁんっ、や、ああぁぁっーーーー!」  この愚かなまでに穢れにまみれた身体は、言うことを聞いてはくれなかった。  ドクンッと、心臓から巨大な血液の塊が外へと送り出されたかのような衝動が走る。  その次の瞬間、奏人の性器から熱く濁った欲が飛び散った。 「二年前に劣らない乱れぶりだな」  身体の拘束を解かれ、支えをなくした身体が人形のように床へと崩れ落ちる。  その上から、彰文のこの上なく冷たい微笑が降ってきた。 「これで分かっただろう? お前が他人の中では生きてはいけないほど、淫らな人間だということが」  何も答えられない。荒い呼吸ばかり出すだけで、声強く否定できない自分が情けなかった。 「さっきも言ったとおり、期限は二週間だ、それ以上は待たない。それでも我が儘を言うというのなら――――」  バサバサと、頭の上から何かが落ちてくる。 「これを事務所の人間全員に送りつける。勿論、お前にご執心なあのモデルにもな」  それは何十枚もの写真だった。 「……っ……!」  床に散らばった写真が目に入った瞬間に、息が止まった。  写真に写っているのは、高校生の時の自分が彰文に組み敷かれている時ものだ。もう一枚は、大学生の自分が卑猥な道具に犯されているもの。  彰文との行為を、写真に撮られていた記憶はある。止めてくれと何度頼んでも聞いてもらえず、快楽に溺れる姿を撮られ続けた。そのせいでカメラ恐怖症になったのも、まだ新しい記憶だ。 「っ! い、や……そんなこと……やめ……」  ケイにこの痴態を見られるなんて、耐えられない。いくら好きと言ってくれているとはいえ、こんな写真を見たら軽蔑されるに違いないだろうから。 「やめてほしいなら、分かってるな。ああそれと、また全てを捨てて逃げようとしても無駄だぞ。お前には二十四時間、監視がつけてあるからな」  口元で嫌な笑いを浮かべた彰文が、そう釘を刺して部屋から出て行く。  静寂に包まれた部屋で一人になった途端、彰文の執着に心も身体も震え上がった。  壁に付着した自らの汚濁を力なく見つめる瞳から、涙が零れる。  恐らく、彰文は本気だ。  この一年で築き上げた関係も、やっと見つけた居場所も全て、あと二週間で壊されてしまう。  そして、その後に待っているのは暗い未来だけ。それを想像すると底知れない恐怖と辛さが迫りあがってきて――――奏人は堪らず、嗚咽を零した。 ・ ・

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